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ロボットのアニエスが好きになったのは、頭がはげたおじさんだった

作者: さくらりんご

ロボットのアニエスが好きになったのは、頭がはげたおじさんだった。


頭が綺麗にはげていたから、人混みの中でもおじさんのことを目で追うことができた。


そのおじさんの頭は、きれいにはげていた。


毛は一本もなく、太陽の光が当たるとだれよりも光った。


ときどき人混みに紛れて見失いそうになる瞬間もあったが、その日はお天道様が空高く照っている日だったから、おかげでおじさんの頭はピカッと光って、アニエスはいつでもおじさんの位置を把握することができた。


アニエスは、孤独な博士が生み出した美しいロボットだ。


髪は美しいダークブラウンで、腰のあたりまで綺麗に伸びていた。


風が少し吹くだけでもアニエスの髪の毛は綺麗になびいた。


アニエスがあまりに美しくできてしまったから、アニエスの身に何かが起きてはいけないと、博士はアニエスに帽子をかぶせた。


外を歩く時は地味な服を着させた。


肌を露出させないこと、長ズボンを履くこと、アクセサリーは一切つけないこと、帽子をかぶること、そして帽子をかぶるときは髪の毛を必ず帽子の中にしまうことが外出するときの条件だった。


今日も、アニエスはダボダボの長ズボンに、博士の野球帽をかぶっている。


アニエスは、好奇心旺盛なロボットだったから、街の中にあるものすべてがいちいち気になってしょうがなかった。


改札の音。


ピッという音が気になってしょうがない。


ピヨピヨという音は一体なんなんだろう。


小さい大人が通るときにピヨピヨ鳴ることが判明したとき、アニエスは嬉しかった。


博士にこの謎解きを紹介したが、あまり外出しない博士は、そもそもピヨピヨがなんのことであるのかさっぱりわからないようだった。


自動販売機。


この言葉を教えてくれたのは博士だ。


博士がくれたカードを自動販売機に当てると、ピッとなって、アニエスが大好きなお茶のペットボトルが出てくる。


自動販売機は街の至る所にあったから、その全ての自販機でお茶のペットボトルを買いたい衝動に駆られた。


でも博士に怒られるのはわかっているし、お茶のペットボトルをたくさん買ったところでお荷物になってしまうことは学習済みだから、アニエスは一日にお茶は一本というルールをすでに自分の中で決めていた。


お茶の中にもいろいろな種類がある。


緑色のお茶、ちょっと濃い色のお茶、そして最近知った茶色のお茶。


今日はどのお茶にしようしようかな。


自動販売機の前で悩んでいたアニエスの隣で、「がちゃん」という音がした。


その音の主こそが、頭のはげたおじさんだった。


どうしてなのか。


アニエスは、製造されて(生まれて)初めて誰か一人の人間に惹かれたのだった。


人間からしてみたら、どこにでもいる平凡なおじさんだ。


でもアニエスには違った。


彼は、平凡なおじさんではない。


ツルツルした綺麗な頭がアニエスにそう思わせたのかはわからない。


とにかくアニエスは、そのおじさんのことがすぐに好きになった。


お茶を買おうなんてことはとっくに忘れてしまったアニエスは、まるで何かに取り憑かれたかのように、そのおじさんの後を追った。


おじさんは、改札を出た。そしてアニエスも手慣れた手つきでピッという音を鳴らしながら、改札を出た。


気持ちの良い日だ。


アニエスは、青空が大好きだった。


8月の初めだったから、蒸し暑い夏の空気の中には、陽気な雰囲気が流れていた。


早く歩くことはあまり好きじゃないアニエスだったが、この時ばかりは一心不乱に歩いた。


おじさんを絶対に見失いたくない。


おじさんは、アイスクリームが好き?


おじさんは朝ごはん食べた?


コンビニのスイーツは何が好き?


今日の夜は何を食べるの?


りんごの皮をきれいに剥ける?


ハンバーガー好き?


ハンバーガーと一緒に何を飲むの?やっぱりお茶?


おじさんに、いろんな質問をしたかった。


おじさんに、いろんなことを教えてあげたかった。


それだけ、アニエスはおじさんに夢中だったのだ。


当のおじさんは、まさか美しいロボットのアニエスに好かれているなんて夢にも思わない。


仕事のこと、支払いのこと、嫌な人間関係のこと、忘れたいこと、情けない自分……


この蒸し暑い夏の暑さのおかげで嫌なことを忘れられる瞬間はあったが、それらは常にどんよりと胸のところに居座っていた。


今日もなんてことない一日。


特別なことなんて起こらないなんでもない一日。


それはきっと幸せなことだろう。


でもおじさんは、なんのために毎日を生きているのか、わからなくなっていた。


おじさんの胸のうちを知る由もないアニエスは、引き続きおじさんの後を追っている。


信号が変わるのを待っているおじさんの後ろで、「振り向け」と心の中でつぶやいてみたり、おじさんの影を踏みながら思わずくすくす笑ってしまいそうな瞬間もあった。


肩をつんつんと叩いて話しかけてしまうおうかと本気で思ってみたこともあったが、それでは博士との約束を破ることになってしまうから、そういうわけにはいかなかったのだ。


カフェで飲み物を注文する以外、人との会話は禁止されていた。


博士のことをお父さんのように慕っていたアニエスは、博士との約束をやぶりたくなかった。


おじさんとのその距離、約2メートル。


おじさんに近づけて嬉しいはずのアニエスだったが、その時なぜかアニエスの中で怒りの感情が湧いてきた。


なぜおじさんは振り向いてくれないのだ。


なぜ後ろを振り向こうとしないんだ。


なぜおじさんは私のことを知ろうとしてくれないんだ。


アニエスはだんだん博士のことも憎く思えてきた。


だいたい博士が悪いんだ。


博士が作った変なルールのせいで自分はこんな思いをしている。


ルールなんてなければ、今頃おじさんとチョコレートの話をしているはずなんだ。


怒りの感情はどんどん増していった。


手にコップを持っていたらそれを思いっきり床に投げつけていたことだろう。


アニエスが気に入っていた魔法のコップ(あったかい飲み物を注ぐと色が変わるからアニエスはそう呼んでいた)だって今頃とっくに壊れている。


さっきまでルンルン気分だったアニエスは今、憎しみと怒りとごちゃごちゃした感情で満たされていた。


みんな大嫌いだ。


おじさんも大嫌いだ。


博士も大嫌いだ。


……。


「おじさんのバカ!」


我慢しきれなくなって、アニエスは大きく叫んだ。


やっとおじさんが振り向いてくれたけど、もうどうでもよくなっていた。


おじさんが悪いんだ。博士も悪いんだ。


アニエスの目からは涙が溢れ出てきた。


もうどうにでもなれ。


太陽が燦々と降り注ぐ中、アニエスがたどり着いたのはベンチが2つだけある小さな公園だった。


たくさん泣いたからなのか、さっきまであった憎しみと怒りの感情はもうなくなっていた。


あるのは寂しさと、悲しみと、アイスクリームを食べたいという欲求だった。


その時、公園のベンチに腰掛けていたアニエスの前で、誰かが足を止めた。


それは、アニエスの幸せと、怒りと、悲しみと、寂しさの原因となったおじさんだった。


少しだけ眉毛を下げながら、おじさんは言った。


「どうしたの?」


「……」


おじさんのことを好きになったの。それでおじさんの後ろをずっと追いかけてたの。でもおじさんが気付いてくれなかったの。もし気付いてくれていたらこんなことにはならなかったのに……。


頭の中でいろんな言葉が浮かんだけど、結局アニエスは頭を横に振るだけにした。


「そうか。」


おじさんはその3文字しかいわなかったけど、その言葉には優しさが込められていた。


アニエスにはわかるのだ。その言葉の裏側にどんな感情が込められているのか。


アニエスはもう一度おじさんを見た。


何か言いたかったけど言葉が出てこない。


いや、そもそもカフェで飲み物を注文する以外、人と会話してはいけなかったのだ。


アニエスは左手の親指の爪を、右手の親指の平でただひたすら撫でていた。


「今日はすごく暑いからね。こんな日に外を歩いているとやになっちゃうけど、気をつけてね。」


おじさんは眉毛を下げながら、優しく微笑んだ。


何かに困ってそうなアニエスを少しでも励まそうと、おじさんなりに必死に考えたセリフだった。


アニエスは何もいわず、ただおじさんをうるうるした目でじーっと見ることしかできなかった。


おじさんは優しい人だ。だから好きになったのだ。


おじさんは来た道を戻り、公園の出口の方へ向かった。


おじさんが行ってしまう。


おじさんがくれた優しさに対して、アニエスは何かお礼をしたかった。


おじさんが公園の出口に差し掛かったちょうどその時、アニエスは急いでベンチから立ち上がって、おじさんのところへ駆け出した。


「おじさん!」


おじさんはハッとして後ろを見た。すると女の子がおじさんのところまで走ってきた。


「おじさん」


もう一度そう言ってから、アニエスはまるで初めてその言葉を発するかのように「ありがとう」と小さな声で言った。


そして、ポケットに一つだけ入っていた飴玉をおじさんに差し出した。


それが、女の子なりの感謝のしるしだと瞬時に理解したおじさんは、すこし照れながら、嬉しそうにその飴を受け取った。


飴玉を受け取ってくれたことが嬉しくて、アニエスはニッコリ笑った。


純真無垢な最高の笑顔。


それは、純粋で純真でなんの混じりっ気のない正真正銘の笑顔だった。


おじさんは、久しぶりに心が洗われる思いをした。


気持ちの良い青空だ。遠くで聞こえてくる自動車の音も、親しみのある音に感じられる。


おじさんも自然と笑顔になっていた。


そして、軽く頭を下げてから、元来た道を戻った。


なんて素敵な午後だろう。


アニエスは、早く博士に今日の出来事を伝えたかった。そして、エアコンの効いた博士の部屋の中で、早くチョコレートのアイスクリームを食べたいと思った。


太陽が燦々と降り注いでいる。


今日も車の量は多い。


電車も勢いよく走っている。


そんな都会の一角で、美しいロボットのアニエスと頭のはげたおじさんは出会った。


おじさんは、まだ頭を悩ますさまざまなことを抱えていた。


でも、気持ちはなんとなく明るかった。


今日は何を食べようかな。


そうだ。久しぶりにハンバーガーにしよう。


飲み物は……お茶がいいかな。



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