1 熱烈な読者
1 熱烈な読者
ぼくは夕食を済ませてテレビのバラエティ番組を見て時間を潰していた。時間を潰すことに罪悪感はない。テレビは恰好の時間を潰す道具だ。今日も風呂に入って寝床に着けば終わる。
何気なくスマホを開くと新しいメールの通知が入っていた。珍しいことにネット通販の宣伝ではなさそうだ。メールのタイトルには「愛読者の一人より」とあった。ぼくは嬉しくなって口元が緩んだ。これまでこんなタイトルのメールをもらったことがない。ぼくがメールを開くと次のような文章が載っていた。
美祢林太郎先生
突然のメールをお許しください。
私、山花進と申します。今年の9月で68歳になりました。
物心ついた頃から、読書が好きで、小説を中心に手当たり次第に読んでまいりました。この度、縁あって先生の小説『麦川アパート物語』を拝読することができまして、痛く感銘致しました。すでに5回読み直して、読み直す度に新しい発見があり、その都度凄い小説だと再確認しているしだいです。清潔感溢れる文章、煌めくような言葉の輝き、ユーモアの躍動、ダイナミックなストーリー展開に、ただただ敬服するばかりでございます。
私は先生の小説を読了して、久しぶりに心が洗われたような気持ちになりました。こんな気持ちにさせてくれた小説は未だかってありません。先生には感謝の念に堪えません。
これからも先生のご活躍をお祈りしております。
一読者の山花進より
ぼくは山花氏のメールを読んで気恥ずかしくなった。たしかにぼくは『麦川アパート物語』という題名の小説を書いて、それをネットに搭載して、誰でも読むことができるようにしている。格好つけてこう言っているが、発表の場がここしかないからだ。山花と名乗る男もネット上でぼくの小説を読んでくれたのだろう。だが、自分で言うのもなんだが、残念ながら「凄い小説」でも「清潔感溢れる文章」でもなければ、「煌めくような言葉の輝き」もその中にはない。そもそも5回も読み直すような高尚な代物ではない。ぼくの小説に芸術性はなく、ただのエンターテイメントにしかすぎない。一度読んでもらえれば御の字である。褒めてもらえるのはありがたいが、これは褒めるにしても度を越している。これではまるで褒め殺しではないか。そうは言っても、ぼくの気分はなかなかいい。こんなにぼくの書いた小説が絶賛されたことは、これまで一度もなかったからだ。数人の友達は読んで面白いと言ってメールを寄越してくれたが、それも義理と人情からであることは、ぼくだって重々わかっている。それでも、読んでくれる人がいることは、素人小説家としてはとてもありがたい。小説は俳句や短歌とは違って、読み通すにはそれ相応の時間を必要とするからだ。特に、忍耐力は必須である。
山花氏の褒め言葉には歯の浮くような美辞麗句が並んでいるが、具体的なことが何一つ書かれていない。もしかするとぼくの知り合いが山花氏の名を騙って、ぼくをからかっているのかも知れない。簡単に浮かれていては後々馬鹿を見るかもしれない。そう言えば、どうして、ぼくのメールのアドレスを知っているのだろう。山花さんにお礼かたがた訊いてみることにしよう。ぼくは心を弾ませながら、早速返信を打った。
山花進様
美祢でございます。
この度は、私ごときものに温かい励ましのメールをありがとうございました。これからの創作の励みに致したいと存じます。
ところで、私のアドレスをどこでお知りになったのでしょうか? 私はアドレスをどこにも公開していないと思いますが・・・。いえ、決して有名人のように秘密にしているわけではありません。少し不思議に思ったもので、お教えいただければありがたく存じます。
山花様の益々のご活躍をお祈りしております。
美祢林太郎 拝
すると、数分も経たずに返事が返ってきた。何という素早さだ。
美祢林太郎先生
早速の返信を有難うございました。先生の誠実なお人柄が忍ばれるようです。
さて、お問い合わせの件ですが、私が先生のメールのアドレスを知ることができましたのは、グーグル検索によります。先生のことを詳しく知りたくて、グーグルで調べておりましたら、どこかで先生のアドレスが出てきました。もしかすると、古い過去の記事かもしれません。今もこのアドレスが生きているのかどうか半信半疑でしたが、こうして先生と交信することができました。もし、失礼があったのならばお許しください。
これからも先生にメールしてよろしいでしょうか? 先生からいろいろと学ばせていただきたいと願っております。
山花進 拝
ぼくのアドアレスはどこかに紛れ込んでネットの世界の中に入っているんだろう。別に差し障りはないから、いいんだけど。しかし、それを見つけ出すなんて、結構一生懸命にぼくのことをググったんだな。とりあえず、返信しておくか。
山花進様
早速のご返信ありがとうございました。
こちらこそこれからもよろしくお願いします。
それと、私、先生と呼ばれるほど偉くないので、美祢さんと呼んでいただいて結構です。もっとフランクなお付き合いをお願いします。
では、また。
美祢林太郎
すぐに山花氏から返信が来た。
美祢林太郎先生
優しいお言葉ありがとうございました。
しかし、先生は私の先生ですので、これからも先生と呼ばせてください。
では、今日はこれで失礼させていただきます。
山花進 拝
ぼくにもファンができたんだと思うと嬉しくなった。よくわからないが、文章から見てもきちんとしている人ではないか。またいつかメールが来たらいいな。
気がついたら、テレビはつけっぱなしで、ニュース番組に代わっていた。茨城県沖を震源地とするマグニチュード4.3の地震が起こり、東京も震度3だったそうで、夜の新宿や渋谷を映し出していたが、レポーターは普段の街と何も変わりがないと言っている。ぼくはテレビを消して、シャワーを浴びて寝ることにした。明日は土曜日で仕事も休みだ。
朝6時に起きた。休日はゆっくりと寝ていたいと思っても、目がひとりでに覚めてしまう。サラリーマンの性だ。パジャマを着たまま、食パンをかじり牛乳を飲んだ。それからスマホを開くと、山花氏からメールが入っていた。
美祢林太郎先生
おはようございます。
今日は一日ご自宅でご執筆でしょうか。それとも取材旅行にお出かけか、資料を探しに図書館に行かれるのでしょうか? いずれにしましても、次回作を楽しみにしております。
昨夜、茨城を震源地とする地震が起こったようですが、先生のお住まいの東京に被害はありませんでしたでしょうか? 私の住む山形県上山市(よく間違って「うえやまし」と読まれますが、正しくは「かみのやまし」です)は震度1ということでしたが、感じるような揺れはありませんでした。日本は地震の国なので、いつ大きな地震が来ても不思議ではありませんね。『麦川アパート物語』でも、最後に震度7の地震が起こって、巨大なピラミッドがバベルの塔のように崩壊してしまいましたものね。ああしたことが、実際に起こっても不思議ではありませんね。
では、今日一日が良い日でありますように。
山花進 拝
ぼくの小説を読み込んでいるのがよくわかる。山花さんは上山市に住んでいるのか・・・。
美祢林太郎様
度々、メールしてすみません。お忙しかったら、お手すきの時にでもお読みいただければ幸いです。
自己紹介をさせてください。
私、山花進は山形県上山市に住み、今年の9月で68歳になりました。我家は代々果樹農家(代々と偉そうなことを言っておりますが、戦前は小作人でした)で、サクランボとラ・フランスを栽培し、生計を立てています。専業農家です。
先生はサクランボが山形の名産品なのはすでにご存じですよね。ラ・フランスという果物はご存じでしょうか? これは西洋梨の一種でこれも山形の名産品になっています。味は上品で良い香がしますが、見た目はごつごつしていて不細工です。ラ・フランスと言ってもパリではなく、フランスの田舎で作られていたんでしょうね。
洋梨は日本の果物では珍しく採ってすぐは食べられず、しばらく置かなければなりません。すぐに食べると大根を生噛りしているようで、不味いです。私も毎年友人、知人に送るのですが、どれだけ注意しておいても、届いたらすぐに食べる不届き者が後を絶たず、一個500円もする程の高い果物が、一個丸々台無しになってしまいます。今年はもう終わってしまいましたが、来年収穫できましたら、先生にも送らせていただきたいと思っております。
もしかすると東京の高級果物店では、洋梨は新潟のル・レクチェか、または青森のゼネラルレクラークが並んでいるかもしれません。新潟県や青森県の人は、地元の品種が一番だと自慢しているでしょうが、我々山形県人はもちろんラ・フランスが一番だと断言できます。最近、山形から新潟に引っ越した友人がいるのですが、引っ越したとたんにル・レクチェのファンになりまして、あろうことかル・レクチェを私に送ってよこしたんです。山形の裏切者です。そこでとっびっきりのラ・フランスを友達に送ってやりましたよ。これでかれも違いがわかったと思うのです。
今年は霜の害で、サクランボと同じようにラ・フランスも平年の6割くらいしか収穫できませんでした。かなり価格が上がりましたが、生産者の我々が不当に儲けているわけではありませんので、そこのところをご理解頂ければ有り難いです。
サクランボは寒河江(これで「さがえ」と読みます。他県の人は読めませんよね)や東根が有名ですけど、上山のサクランボやラ・フランスも地元では美味しいと評判です。我家の果物も品評会で毎年高い評価を得ています。自慢ではありませんが、私どものラ・フランスは、日本橋の千疋屋さんに下しています。『麦川アパート物語』に出てくる美咲さんのトマトのようには、麦川アパートの周辺で栽培することはできないかもしれませんが、新しい小説で機会がありましたら、是非とも上山のサクランボやラ・フランスを登場させてください。楽しみにしています。
山形は11月末に一度雪が降り、積もりました。それはすぐに解けたのですが、毎日寒さが厳しくなっているので、もうすぐ本格的に雪が降るのではないかと思っています。冬の準備がまだ少し残っているので、これから急いで終わらせなければなりません。
先生も、寒くなってきましたので、くれぐれもお体にはお気をつけください。
山花進より
小説でサクランボやラ・フランスの宣伝をしてくれって言ってるの? それはないでしょう。
それに、ラ・フランスくらい知っているよ。一年後に送ってくれるのかな。でもその前に6月にサクランボを送ってくれたらいいな。でも、そのためにはぼくの住所を教えなければならないし・・・。まあ、半年後のことだからそんなに焦って考えても仕方がないな。そのうち山花さんもメールを書くのにも飽きて、連絡してこなくなるかもしれないし。
数日が経った。
美祢林太郎先生
ご無沙汰しております。
山花です。
執筆は進んでおられるでしょうか?
また、先生の小説を読み直しました。これで6度目です。初期の大作『戯曲黄泉二号伝説』は、早くお芝居で観たいと願っています。私がもう少し若かったならば、是非とも竜馬の役をさせていただきたかったのですが。その時は、卑弥呼の役は深キョンでお願いします。でも、この戯曲は台詞が長いので役者泣かせですね。
『善人アプリ』も好きな小説です。誰かこの小説を読んで、すでに「善人アプリ」を開発して、儲けている者がいるのではないでしょうか? 先生、きちんと「善人アプリ」の特許をおさえておかないといけませんよ。まあ、先生は金儲けなんかに興味はないと思いますが。先生は高潔な芸術家ですからね。
『童話りんくんとピロピロピィ』も素敵ですね。先生は、戯曲から小説、そして童話まで幅広くお書きになられていて、そのどれもが超一級品ですから。先生の才能にはいつも驚嘆させられるばかりです。
近い将来、必ず芥川賞か直木賞を取ってください。いきなりノーベル文学賞でも構いません。
先生の益々のご活躍を楽しみにしております。
山花進 拝
山花さんのメールもかなり砕けてきたし、褒め殺しも板についてきた。
山花進様
私の拙い作品をお読みいただきありがとうございます。
ですが、所詮手慰みで書いていますので、芥川賞や直木賞というわけにはいきません。
ご期待に沿えなくてすみません。
美祢林太郎より
美祢林太郎先生
ご謙遜を。やはり先生は奥ゆかしいですね。先生はネット小説界の巨匠でしょう。まさか、そう呼ばれていることを先生ご本人が今の今までご存じなかったのですか? そんなことはないでしょう。
現在はネットですから、有名なユーチューバーと同じように、かなり儲けていらっしゃるのでしょう。しかし、私から言うのもなんですが、やはり小説は本になさった方がいいと思います。先生がすでに多くの出版社から引く手あまたであることは重々承知しております。出版社はやはり岩波でしょうか? それともすぐに文庫本にできる新潮でしょうか?
山花進 拝
山花進様
ネット界の巨匠なんて、滅相もありません。買い被りもいいところです。ましてや、岩波や新潮どころか、どこからも出版の依頼はきていません。
美祢林太郎より
美祢林太郎先生
先生のそんな奥ゆかしいところが好きなんです。東京のような大都会に住んでいると、ついぎすぎすした気持ちになられるでしょうに、先生は芸術家の純な心を失われてはいない。やっぱり私の尊敬する作家だけはあります。売れっ子作家たちに先生の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいです。日本の文壇は腐っています。
(ぼく:いえ、いえ、そこまで言う必要はないでしょう。あなたはともかく私はその文壇というものを全然知らないのですから。腐っているかどうかさっぱりわかりません)
興奮してすみませんでした。でも、先生の熱烈な読者としては、先生の作品を一人でも多くの人に読んで欲しいと願っているのです。
(ぼく:怪しいな。自費出版を進めてくるんじゃないだろうな。よくいるんだよな。でも、ぼくは金がないから自費出版はしないことに決めているんだ)
先生の作品は、いつか英語やフランス語に訳されて、ニューヨークやパリの本屋に並びますよ。今からそれを楽しみにしているんです。
(ぼく:ここまで行くと褒め殺しというよりも、誇大妄想というんじゃないか。ぼくよりはるかに想像力がありそうだ)
それにしてもやっぱり先生の最高傑作は『麦川アパート物語』ですね。
今日は先生のご執筆のお邪魔をして大変申し訳ありませんでした。私も明日はサクランボの枝の剪定がありますので、これで寝ます。
先生、これに懲りずに末永くお付き合いください。よろしくお願い致します。
山花進 拝
山花さんはもしかすると出版社の関係者で、ぼくの小説を本にしてくれるのかも、と淡い期待を抱いたけれど、やっぱり農家の人のようだ。でも、愛読者は大事にしないとね。
つづく