育つ偶像と変わらぬ姉
『アーキエンジュ』は、新しいビルができるまでの間は、別の会場を借りたりしながら遠征ライブを行うことになっている。とはいえ、あんなことがあった後だ、少なくとも一ヶ月間は活動をお休みすることとなった。
まあ、女子高生の娘が通ってる場所で、二度も立て続けに災害みたいなことが起これば、普通の親御さんなら心配の一つもするってものだ。一回目は災害よりもタチが悪いとは思うが。
そんな訳で、俺は久しぶりに奥多摩の自宅に帰宅中だ。今回は向こうでの移動手段用に車を買ったので、それの慣らし運転も兼ねて移動している。
免許なんて持ってなさそうな俺だが、寅次郎に連れられて高校生を卒業してからすぐに一発試験で取得した。あの時の試験場の教官の婦警さんは中々のスタイルで、ついよそ見してしまいそうになり、試験が危なかったことは覚えている。
まあ、そんなことはどうでもいい。自宅にもどったら元の身体に戻って本格的なメンテナンスをしないといけない。俺は運転しながらも、ああしよう、こうしようと、そのことについて考えていた。
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「なんだこれ?」
俺はモニターに映ったデータを見て首をかしげた。
『どうやら、<N-01D>の人工脳組織に異常な成長が起こったようです。そのため、シナプス構造も拡張され、ニューロンネットワークにも変化が観測されています』
研究補助用に、俺が作ったAI『DALI』が状況を報告してくれる。
「ということは、このままでは男の身体に戻れないってことだよね?」
『イエス、マスター。その通りです』
DALIからの反応に、どうしたものかと頭を抱える。
俺とみのりは、脳内のシナプス構造とニューロンネットワークを複製し、脳量子状態を再現させることで、記憶や意識の同一化を実現している。同じ状態の脳だから、片方が寝ていれば、起きている方が俺ってことになるわけだ。
しかし、その脳組織に許容を超える変化が訪れていようとは。
「なぜ、みのりの脳組織に異常な成長が起こったか、原因は解るか?」
『いくつかの推測はできますが、確定した原因は不明です。また、成長という表現を用いましたが、肥大したわけでなく組織としての密度が増したことで、許容量も上がった状態です』
「うーん、起こってしまったことは受け入れるしかないが、俺の脳みその許容量を超えたものを、どう同期させたものか……」
俺は悩む、増えてしまった領域分を削れば、同期は可能だ。だが、その場合は『みのり』の中での経験や意識、思考といった何かが欠けてしまうだろう。それどころか、俺自身の元々の意識や人格にまで影響を及ぼす可能性も充分に想定できる。
やはり、領域の削除などは論外だな。と結論づけ、どうやってこの拡がってしまった領域を俺の脳内に同期できるかと考える。
「DALI、プランA-193のデータを出してくれ」
『イエス、マスター』
モニターに「Plan A-193. シナプス構造およびニューロンネットワークの仮想化に関する構想と検証結果」というタイトルのデータが表示される。
これは、以前にみのりの脳組織を設計する際に、実際の脳構造をそのまま作るのではなく、脳構造を仮想的に再現する検証を行った時のものだ。
検証自体は上手くいっていたのだが、結果としては、一般的な人類の脳みそのサイズを大幅に超えるような大きさの処理装置が必要になってしまうので、断念した。
まあ、この技術自体はDALIの作成に活かせたので無駄ではなかったが。
この技術を使えば、この問題を解決できるんじゃないかと考え始めるが、そのまま使えば、俺は頭からコードを垂らして背中に常に大きな荷物を抱えて過ごすハメになる。
流石に、そんな格好で生涯を過ごす気にはならないので却下だ。どうにかならないかと、しばらく思考の海に潜っていると、DALIから声を欠けられる。
『マスター。<N-01D>の稼働データの解析が終了しました。結果をご覧になりますか』
「ああ、頼む」
このまま考えていても、いいアイデアが出そうになかったので、みのりの活動データを確認することにした。
ざっと読んでみるが、特に脳構造の変化意外は想定範囲を大きく逸れるようなものはなく、問題となることはなさそうだった。だが、その中に一点気になる項目を発見する。
「DALI、このプランBの11番ってなんだっけ?」
『Plan B-11は、脳量子の相似変換を用いた遠隔通信の実証実験です』
「ああ、そうだそうだ。……これも概ね成功で、基準値をクリアってなってるけど、実際にどの程度の精度だったんだ?」
『はい、私の演算領域の一部に構築していた仮想領域との実験では、損失は0で、通信時のタイムラグも0との結果になっています。これは、<N-01D>の本体内のログとの突き合わせた結果となりますので、誤差はありません』
「それだ! その仕組みと仮想領域を組み合わせればいけるぞ!」
俺は、具体的なプランについてまとめるべくキーボードを叩き始めながら、DALIにいくつか指示を出しておく。
「DALI、プランB-02の実験サンプルを出しておいてくれるか? それに関連する資材の在庫もまとめておいてくれ。それと——」
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俺は自分のおでこにメスをあてていた。
「……やっぱり無理! 自分で自分の身体にメスをいれるとか無理! しかも頭とか怖すぎるわ!」
持っていたメスをトレイに置き、大きくかぶりを振りながら近くの椅子に座る。
俺が、何故こんな手術を始めたかと言うと、脳容量の不足を、仮想的な脳領域を用意することで解決することにしたからだ。仕組みを簡単に説明すれば、とてもシンプルな発想だ。
俺の脳に脳量子通信を行うためのチップを埋込み、その脳量子通信を用いて、リソースが潤沢に余っているDALIの演算領域とリアルタイム接続する。そして、DALIが俺の不足する脳領域を仮想的に構築し提供してくれるって方法だ。
これだと、俺の脳自体をそこまで弄くることもなく、俺の数千倍とも言える脳領域をDALIが提供してくれるから、いくら『みのり』の脳組織が成長しようが受け止められる。
さらに、「みのり」の脳組織とも脳量子通信でリアルタイム接続してるから、常時脳領域のバックアップを取ることで、今まで一週間近くかかっていた身体の入替もごく短時間でできる様になる予定だ。
まあ平たく言えば、脳みそをクラウドサービス使って処理能力の拡大とデータの同期をしましょうって話だな。足りない容量もクラウドなら無限大ってなもんだ。
それにしても、自分で自分の頭に穴を開けるのは敷居が高すぎるので、俺は手術をDALIにて頼むことにする。
「DALI、やっぱりお前がやってくれ。オペプランは予定通り、A-1で頼む」
『イエス、マスター。それでは、後は私の方で処置を行います。このままご見学されますか?』
「いや、自分の脳みそを生で見る気はしないから、ちょっと外にでてくるよ。んじゃ、後はよろしく」
俺は、オペはDALIに任せて外の空気を吸うべく、玄関に向かう。
すると、ちょうど玄関ドアが開くところだった。
「あら、実。男に戻ってたんじゃないの?」
まるで、我が家の様に自然な様子で家に入ってきた姉は、俺がまだみのりのままでいることを見て首をかしげる。
「ああ、ちょっと問題が起きてね。多分しばらくはこのままになりそうだな」
「そうなのね。それは、ちょうどよかったわ。みのりちゃんにお願いしたいことがあってきたのよね〜」
姉はツカツカとヒールの音をたてながら、リビングに突き進む。俺の家は地下の研究施設以外は原則アメリカンスタイルだ。
「なんだよ、なにか用なら連絡くれればいいのに、なんでわざわざ来たんだ?」
「いえね、そういえば最近アンタの顔見てないなと思って、弟思いのお姉ちゃんとしては元気に男の子してるか、心配になるじゃない?」
リビングに着くなりコーヒー豆を挽き始めた姉はわざとらしい理由を述べる。
「心にもないこと言いやがって、実際のところはなんの用だよ? そして、俺の秘蔵の豆の場所を毎回毎回、なんで的確に当てられるんだ?」
「ふふん、アンタの考えそうな隠し場所なんて、アタシには全てお見通しよ! お姉ちゃんを舐めないでほしいわ!」
無駄にボリュームのある胸を張りながら、湧かしていたお湯でコーヒーを淹れ始めた姉は、俺も飲むかと聞いてくるので頷いておく。
俺たちはコーヒーを飲みながら、本題を話していた。
「なるほどね、新しく建てるビルの強化ね」
「そっ。アンタ、自分のマンションに色々と仕込んでるんでしょ? それと同じ様に新しいビルに色々と仕込んで欲しいわけよ」
「仕込むって・・・。いやまあ、かなり丈夫な作りにはしてるけどさ」
千駄ヶ谷のマンションは、少し前に観たばかりだった某ヒーロー映画に感化されて、それはもう、ちょっとしたミサイル攻撃や、戦車程度の集中砲火ぐらいでは、ビクともしない作りにしてしまっている。いや、だってヒーローの秘密基地がミサイルの集中砲火で木っ端みじんになるシーンをみたら、誰だってそうしたくなると思うんだ。
「そう! それよ! もう飛行機が突っ込んできても、竜巻が襲来してもビクともしないようにして欲しいわけよ!」
「しかしな〜。あのマンションはほとんど俺と工作機械だけで建築してるから、技術的に秘匿する必要性がなくて、あそこまで色々詰め込めたんであって、見ず知らずの建築会社にあの辺の技術を公開するのは避けたいんだよな……」
「それは大丈夫よ! だってビルの建築は縁兄さんに頼んで、ウチのグループ内の企業で全て賄うし、現場監督は我妻さんにお願いするから、情報漏洩とかはないわ!」
「そういう問題でもないんだが・・・。まあいっか、秘匿技術は俺が直接行って施工すればいいし」
「じゃあ? オッケーね!」
「ああ、いいよ。で、今の建築プランは?」
「これよ」
俺は、姉が取り出したUSBメモリを手元のノートパソコンに差し込み、データを確認する。
「なるほどね、フロアプランぐらいで詳細設計はこれからか。ちょうどいいや、設計はこちらで行うから、できたら送るよ。多分、一週間くらいかな」
「さすが、実ね! 話が早いわ! でも、週明けの月曜日には欲しいから、三日でお願い♡」
なんの悪気もなさそうに、いきなり納期を半分以下に縮めてきた姉に俺は頬をヒクつかせながら、気になったことを尋ねる。
「しかし、この話なら『みのり』である必要なくないか?」
「必要よ! だってみのりちゃんの方が、見た目も抱き心地いいんだから!」
俺は相変わらずゴーイングマイウェイな姉にしらけた視線を向けるのであった。