災厄の種とめげない姉
まだ空も明るく太陽も折り返しを始めた頃、秋葉原上空に人影があった。
「ふぅむ、あれだけの力場の残滓があったので、追跡できるかと思っていたのですが、全く痕跡は辿れませんでしたねぇ。似たような力場も、この一ヶ月近く全く関知できませんし、どうしたものですかねぇ……」
男性らしき人影は、大きくため息をつきながら疑問を紡ぐ。
「やはり、何か起きないと御使い様は現れてくれないんですかねぇ?」
男は何かを考えるそぶりをしていたが、何か思いついたのか顔を上げる。
「今回はなんの縛りもないとの仰せでしたし、ちょっと私なりの奇跡でも提供してみますか。上手くいけば御使い様が救いに現れてくれるかもしれません」
目を細め、口角をわずかに上げながら呟くと、男はさきほどまでのどこかひょうひょうとした表情を消し、両手を小刻みに動かし始めた。
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ビルの屋上から上空の人影を静かに眺める男がいた。
(あのやろう、まさかこんな街中で奇蹟の行使をしようってんじゃねえだろうな!? あの力場の密度と規模はただ事じゃねえぞ!? 西方の奴らは何を考えてやがる!)
男は上空から感じられる力に慄いていた。
(あんな規模のもの行使されたら、俺だけでは、どうあっても止められん!)
焦燥からか男の額からは珠のような汗が吹き出していた。
(——おい、ミリア! 聞こえてるか!? マズいことになってる! 西方の奴ら街中で奇蹟の行使をしようとしてやがる! 俺じゃ、あれは止められん! 早急に日本政府に働きかけて周辺の避難指示を出させろ!)
男は特に無線機を使う様子もなく、どこかに念じるかのように話す。そしてその念に回答があった。
(——聞こえてますよ、ニムスさん。……こちらでも感知できました。これから緊急ルートを使って政府に割り込みを入れます。ニムスさんはなんとか被害軽減に努めてください)
(——ああ、わかってる。しかし、聖人の連中は誰もこれないのか?)
(——ええ、あの方達は基本的に何の義務も負ってませんからね。自分たちの気が向かない限りは動いてはくれません……)
(——ちっ、肝心な時に出てこねぇで、何が聖人様だクソが! ……まあいい、俺は俺のできることをする、そっちも頼むぞ)
(——ええ、わかっていますよ。ニムスさんもお気を付けて)
ニムスと呼ばれた男は、誰かとの会話を追えると、地上25階建てのビルからおもむろに飛び降りた。
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秋葉原の上空で忙しなく手を動かしていた男がその動きを止め、閉じていた目を開いた。
「種はこれで充分ですかねぇ。後はどこまで大きくなってくれるかは……、それこそ神のみぞ知る、ですかねぇ……」
怜悧な笑みを浮かべた男はそのままどこかに消える。
残されたのは上空にある濁った雲だけであった。
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日が暮れかける頃、秋葉原一帯を多数の緊急車両がけたたましいサイレンを鳴り響かせていた。
——こちら警視庁です! 現在、この付近一帯への避難指示および立入禁止令が発令されています! まだ付近におられる方は速やかにお近くの避難所への移動をお願いします! 繰り返します! こちら警視庁……
周辺を走り回る複数のパトカーの拡声器からは、割れる寸前と思えるような音量で同様のメッセージが再三に渡って叫ばれている。
そんな様子をビルの上からニムスは眺めていた。
「日本政府も随分と聞き分けが良くなったみたいだな。思ったよりは随分早い」
そう言うとニムスは、上空を見上げ目を細める。
「……しかし、それでも間に合わんかもな。できる限りの準備はしたが、どこまで抑えられるかは・・・・。チッ、らしくねえな」
ニムスは舌打ちをすると、懐からタバコを取り出し火をつける。その鋭い眼光は上空を捉えたまま、紫煙を漂わせていた。
そして、空を暗闇が覆い始め、地上からの灯りが目立ち始めた頃、事態は動き出した。
(!……きやがった!)
ビルの屋上に待機していたニムスが上空の変化に気が付く。それは、暗い空の中にあって、更に暗く見えるほどに黒かった。まるで漏斗の様に上空から地上に伸び始めた黒い塊の先端は、次第に大きな風の音を立て始める。
「チィッ! やはり『雷霆の尻尾』か! あんな規模は大戦以来じゃねぇか? 何もしなけりゃこの辺り一帯が吹き飛ぶな……。まあ、やってみるか。」
ニムスは咥えていたタバコを吐き捨てると、上着を脱ぎ捨てる。
その鍛え上げられた筋肉質な身体には無数の傷があった。特にシャツの合間から覗く首筋からの一際大きな傷跡は、彼を歴戦の戦士であると知らしめるに充分な説得力を持っていた。
「『獣化!!』」
ニムスが吠えると同時に彼の身体はさらに膨れ上がり、体中からは漆黒の体毛が生え、耳は肥大化し頭頂にまで達する。口元も徐々に前にせり出し始めると顔も体毛に覆われ始める。
しばらくし、変化が収まると彼は消えた。
——タンッ
いや飛んでいた。ビルとビルの間をまるでアスレチックで遊ぶかのように飛んでいた。そして、黒い塊の先端がちょうど降りてくるであろうビルまでたどり着くと、遠吠えを上げる。
——ウォォォォォォーーーーーーーー……ン!!!
その声に呼応するかのように、辺りのいくつかのビルから様々な光の筋が立ち上る。
「さあて! ガマン比べだ!」
その刹那、黒い塊の漏斗上の先端がニムスの目前まで迫る。
「オラァ!!」
ニムスが両手をその先端に突き出すと同時に辺りに甲高い音が響き渡った。
——キィィィィィィィィィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
黒い塊の先端はまるで、ニムスの両手の前に見えない壁があるかの如く動きを止める。
(クソ! やはりとんでもねえ力を込めてやがる! こりゃどう足掻いても削り切れん……!!)
せめぎ合いが続いていく中、周囲に立ち上っていた光の筋が一つずつ順に消えていく。そして、既に最後の光を残すのみになっていた。
(……やべえな。祭器が残り一つまで減っちまった。まだ三割も削れてねぇ。せめてあと二割は削らねぇと避難区域を越えて被害がでちまう……! できるか? いや、やるしかねぇ!)
そして、最後の光も消えると、黒い塊の先端の勢いが増し、ニムスは思わず膝をつく。
「ぐ……! しゅ、主よ……! 我に民を救済をもたらす力を!! ど、どうか、い、今一度、我に力をぉ!!!」
ニムスが膝を折りながら必死に叫んだ時、彼の身体を朱金色の光が淡く包み込む。
(ん……? なんだ? この感覚は……? こ、これは、まさか!!?)
「ぬぉぉぉ……! 『真獣化』!!!」
その瞬間、ニムスの身体は真っ白に染まる。屈していた膝を立て吠える。
——ウォォォォォォォォォォォォーーーーーーーー……ン!!!!!
先ほどよりも更に力強い咆哮は、黒い塊をその先端から散らしていき、最後には空の雲を突き破り、隠れていた月を露わにした。
——ドサッ
力を使い切ったニムスは、そのまま仰向けに倒れる。身体は縮んでいき、体毛も消え、元の人間の姿を取り戻していた。
(ふぅ、まさか本当の奇跡ってやつか? さっきの光はあの事件の時の……。まあ、詳しいことは後だな。とりあえず助かった……)
安堵したニムスが、疲れた身体を起こそうと片手をついた時、もう一本の黒い塊が降りてくる。
「なっ!! もう一つだと!! クソが、もう間に合わん!!」
ニムスは降りかかる災禍に悪態を履きながら、その場から離脱を始めた。
そして止める相手のいない黒い塊の先端は、そのまま地面までたどり着く。
——グォォォォォ……、ゴォォォォォォォォォォ…………!!!!!
その瞬間細長かった黒い塊は周囲を巻き込みながら一気に肥大化し、黒く濁った巨大な竜巻となった。
竜巻は止めるモノがいない中、秋葉原の街を蹂躙していくのだった。
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「流石は、白獣のニムスですねぇ。まさか、あそこまで成長した一つ目を完全に止められるとは思ってませんでしたよ。まあ、力を抑えておいた二つ目は気が付かなかった様ですが。それにしても、あの姿は……」
男はニヤリと笑うと言葉を続けた。
「しかし、本当に奇跡が起こるとはねぇ……。いやぁ、私が来て良かった。これは楽しみになってきましたねぇ。さて、どうすればまた御使い様が現れてくれるのか……。民にもっと厳しい試練をかせば、直接現れてくれたりするんですかねぇ……」
より笑みを深めながら楽しそうに空中で身体を揺らし始める。
「……まあ、私も今日はクタクタですし、しばらくはゆっくりさせてもらいましょうかねぇ」
そうごちると、男はどこかへと消えていった。
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——ただいま、緊急報道番組をお送りしています。先ほど、午後7時50分頃、東京・秋葉原にて中規模の竜巻が発生しました。秋葉原一帯は、竜巻による被害で多くのビルや家屋が倒壊しており、現在立ち入り禁止となっております。政府では、竜巻の発生の予測に成功しており、事前の避難活動を実施していました。その為、現時点で判っている死者や負傷者はいないとのことです。……繰り返しお伝えします——
俺のリビングのテレビでは、秋葉原が倒壊した映像がアナウンサーの音声とともに流れていた。そして、テーブルの上のスマホからは姉貴の声が聞こえてくる。
『飛行機といい、竜巻といいなんなのよ〜。あの辺呪われてるんじゃないでしょうね〜』
姉が泣きそうな声で文句を連ねていると、一緒に居た二人が姉に話しかける。
「灯さん! これってどうなっちゃうんですか!? 私たち終わっちゃうんですかぁ!?」
「会場がなくなっても、活動自体はやめないですよね!」
『あれ? 二人も一緒にいるの?』
「ええ。今、家で一緒にご飯を食べてたのよ」
そう俺が答えると、姉貴がちょっと声のトーンを落としてくる。
『……実、ちょっと、その辺の話は後で詳しく聞くからね?』
「ん? い、いいわよ。」
どうも妙なプレッシャーを感じながらも了承の返事をすると、姉貴が二人に向かって話しかける。
「で、亜衣ちゃん、凛花ちゃん! 安心して! 活動はもちろんやめないし、こうなったら丁度いいわ! 会場を広くしたいなって思ってたのよ! 周辺のビルも綺麗になくなったし、この際全部買い占めて、一大レジャービルに建て直してやるわ!! だから二人とも期待してて!!」
いきなり無茶苦茶なことを言い始めた姉に、俺は目を点にするしかなかったが、二人は違う様だ。
「ホントですか!? すごーーい!! これでもっとたくさんのお客さん呼べるようになるんですね!!」
「い、一大レジャービル! こ、これは入れてもらいたいお店をピックアップしておかねばなりませんね!!」
俺はなんだかんだ、とてもたくましい三人だなと一人頷くのであった。