デビューと月夜の影
メイクを施され、衣装に着替えさせられた俺は、姉と廊下を歩いていた。
「いやー、なんとか衣装が入ってよかったわ〜。ホントにその胸大きすぎるのよね。流石に今から衣装作ってたら間に合わないし、すぐ調整してくれた馬場さんには感謝だわ」
馬場さんは、ぼっちゃり目のメイクさんのことだ。衣装の調整もその場でササッとしてくれた。
「着られなかったら、どうするつもりだったんだよ……」
「その時は、下のデンキホーテでコスプレ衣装でも買ってくるしかなかったかもね〜。——それで、ここよ」
姉が無責任な発言をしていると、ちょうど他のメンバーがいるらしい控え室についた。
扉には『アーキエンジュ様 控え室』と書かれた紙が貼られている。
——ガチャリ
姉がノックもせずに控え室のドアを開けると、既に衣装に着替え台本らしきものを読み合わせしている女の子と達がいた。
「二人ともおまたせ〜! 前から言っていたシークレットメンバーを紹介するわよ!」
「「お疲れさまです! 灯さん!」」
突然の姉の訪問にも驚かず、二人は即座に立ち上がり、元気に挨拶を返してきた。
たったそれだけで、俺はこんな姉には勿体ない良い子達だと少し感動してしまう。
「どうやら二人とも調子は良さそうね。それでは紹介するわ! この子が前から言っていたシークレットメンバーの『不動 みのり』よ!!」
「はじめまして、不動みのりです。今年で17才になります。いきなりメンバーだと言われても困るでしょうが、どうかよろしくお願いします」
紹介された俺は、先ほど廊下で話していた設定で二人に挨拶する。
「はゎぁぁぁ。すっごい綺麗な人です〜!」
「こんな美人生まれて初めてみた! 完璧! 完璧よ!」
すると、二人はブツブツを何か呟きながら、両手を胸の前で握りしめ、俺を見てくる。心なしか二人とも、目がキラキラしてる様な気がするなと思っていたら、姉が二人のことを紹介し始めた。
「こっちの小柄な方の女の子が『伊吹 亜衣』ちゃんで、アーキエンジュの元気担当! そしてアタシの最高の癒しよ! もうとっても可愛くて柔らかいんだから♡」
姉は紹介しながら、その小柄な女の子にすり寄り頬ずりし始めた。
「そして、そちらのモデル顔負けのクールビューティーな美人ちゃんが『空知 凛花』ちゃん。とっても冷静で賢いのよ。まさにアーキエンジュの知能! いいえ良心でもあるわね! なんと言っても、その見ているだけで心が洗われる様な存在感は他に類をみないわ!」
「はじめまして! 伊吹 亜衣です! 今年で15才になります! 趣味はアイドルで、アイドルのライブに来ている時に灯さんにスカウトしていただきました!」
「空知 凛花です。 私も今年で15才になります。 歌と演技が好きで芸能事務所のオーディションに応募していたら、灯さんにスカウトいただきました」
「「どうぞ、よろしくお願いします!」」
二人はそれぞれの自己紹介をすると、元気に声を揃えて挨拶をしてくる。
今日がデビューだと聞いているのに、既に息がぴったりな二人に少し面食らいながらも改めて挨拶を返す。
「こちらこそ、よろしくね。どうやら私の方が年齢ではお姉さんみたいだけど、アイドルとしては後輩になるから、色々教えてくれると嬉しいわ」
俺が笑顔で返答すると、二人はコクコクと頷いてくれた。
互いの自己紹介が終わると、姉がこれからの予定を説明してくる。
それによれば、開演まであと3時間程度しかないらしい。その間に踊りと歌のすり合わせや、リハーサルを全てやりきらないといけないらしいが、勝手を知らない俺から見ても、今日初めて顔を合わせた同士で間に合うとは、とても思えず不安が募る。
「それじゃあ、早速ステージでリハがてら三人の動き合わせてみましょうか!」
姉が立ち上がり、俺たちに移動を促す。今更どうこう言ってもしょうが無いので、俺は何も言わずについていくことにした。
ステージに行く途中、亜衣ちゃんが俺の横から顔を覗かせ声を掛けてきた。
「ところで、さっき聞きそびれちゃったんですけど・・・、不動って名前はもしかして?」
「ああ、そっか言ってなかったね? そっ、あの人とは姉弟よ」
俺は姉を指さしながら答える。
「やっぱり! そうなんですね! 灯さんも綺麗だけど、みのりさんも綺麗……! 美人姉妹とかステキすぎる!!」
なんだか知らないが、グネグネと身もだえる可愛い物体を微笑ましいと思いながら見ていると、凛花ちゃんからも声を掛けられた。
「そうだったんですね。だから灯さんはずっと内緒にしてたんですかね? やはりいくら灯さんといえでも身内を紹介するのは照れくさかったんでしょうか?」
なにやら勝手に解釈しうんうんと頷いている凛花ちゃんは、隣の生物と負けず劣らじ可愛かった。こんな二人が同級生にいる男共はさぞ幸せなことだろう。俺もそんな幸せを謳歌したかったものだ。
それから二時間ほどかけて、リハーサルと踊りや歌の調整を追えた俺たちは、控え室に帰ってきていた。
「みのりさんってすごいでよね! あんっなに綺麗な歌声に、ダンスもとっても上手くて、付いていくだけで精一杯でした!」
亜衣ちゃんが興奮冷めやらぬ感じで熱く語りかけてくる。
「私も驚きました。あそこまで美しくてキレのある踊りは見たことありません。あれは、想像も付かないほどの稽古の賜としか、ずっと幼い頃から厳しい稽古を積まれてきたんですね。それに歌声もあんなに澄み切って美しくて・・・。あぁ思い出すだけでも失神しそう……」
凛花ちゃんも、また何かしらの勝手な解釈をしながら褒めてくれている様だ。最後の方で呟いていることは、よくわからないからスルーしておこう。
俺は二人から向けられる、何か期待をするような視線に、苦笑いを浮かべるしかなかった。
そもそも、俺はこれに関しては努力などしていない。姉に渡されたタブレットの動画を解析し、モーションパターンを取り込んだだけだ。
歌声についても世界的な歌手の歌声をベースにサンプリングパターンを作っただけで、実際には何も訓練とかはしていない。
まあ、姉もそういったことができると知っていたからこそ、連れてきたんだろうが。
そんな俺のことよりも、二人の方がよほど凄いと、リハーサルの最中は感心しきりだった。俺はダンスなんてモーションパターンに沿った動きしかできないが、二人はそんな俺のある意味で正確すぎる踊りに短時間でしっかりと合わせてきた。
それこそ天才の所業じゃないのか? としか俺には思えなかった。
そんな二人からの純粋な視線に、ちょっとした後ろめたさを感じる俺であった。
+++++
初めてのライブは大成功で幕を閉じた。
俺としては、行き当たりばったりに始まったとしか思えず、無事に終われるか不安な状況だったが、無事どころではなく大いに盛り上がり、会場出口で受け付けていた開催予定のライブチケットは用意していた予定枚数がすべて売れたらしい。
そんな報告を聞いた姉はホクホク顔で高笑いしていた。正直恥ずかしいので、姉妹設定はやめておけばよかったと後悔している。
今は既にデビューライブが終わって、三時間ほど経った打ち上げの場だ。
周りには俺にメイクをしてくれたぼっちゃり目のメイクさんや、様々なスタッフがどんちゃん騒ぎをしている。俺たち未成年三人組はソフトドリンクを片手にライブの成功を祝っていた。
「ところで、みのりさんはいつから私たちとアイドル活動するって聞いてたんですか?」
「ん? 今日の昼かな」
「またまた〜。冗談言わないでくださいよ〜。そりゃ私たちにはずっと隠されてきましたけど、流石に妹のみのりさんは知ってたんですよね?」
俺はかぶりを振りながら答える。
「いや、本当に今日の昼に初めてしったんだよね。そもそも何も聞かされないまま、いきなりここに連れてこられて、有無を言わさずメイクされ、『アーキエンジュ』って名前は控え室の張り紙で知ったもの」
「…………へ?」
亜衣ちゃんが口を開けながら固まった。隣で凛花ちゃんも目をパチクリしている。
「でも、二人も私のことはさっき知ったばかりだし、一緒じゃないの?」
俺は小首をかしげながら、二人に同意を求める。
「いえいえいえ! おかしいですからぁ! なにかが、とぉってもおかしいですからぁ!」
亜衣ちゃんが立ち上がりながら叫ぶと、隣で凛花ちゃんも激しく頷いている。
「え? なんで?」
「なんでも何もないですよぅ! 今日そもそも初めてって、どこまで初めてなんですか!? まさか歌とダンスも初めてやったとか言わないですよね!?」
「うーん、初めてなんだよね……。メイク室で急に姉さんからタブレット渡されて、覚えてって言われてね」
二人は完全に固まった。これはマズいかなと思ったのでフォローをいれる。
「いえね、私って大抵のものは一目見ると覚えちゃうのよ。姉さんもそれを知ってたから。いきなり連れてきたんだじゃないかな?」
二人はまだ固まったままだった。
そのまま二人が、ちょっと心ここにあらずになってしまっているまま、打ち上げの時間は過ぎていった。
+++++
時は戻り、ハイジャック事件から一週間ほどたった頃、秋葉原の上空に月明かりに浮かぶ一つの影があった。
「これは凄まじいですねぇ……。これほどまでの規模を持った『力場』の残滓を感じるのは初めてです。どうやら奇跡は間違いなく起きた様だ……」
影はどこか納得をしながらも興奮を隠せていない口調で呟くと、眼下をスゥッと舐めるように視線を走らせた。
「どうやら、すでにネズミが何匹かウロチョロしている様ですねぇ……」
影が呟くと同時に軽く腕を振ると眼下に拡がるビル群の裏路地で赤黒いチリが何カ所かで俟った。
「おや、一匹ほど優秀なネズミがいた様ですねぇ……。東方の斥候でしょうか? まあいいでしょう。どうせ何もできないでしょうしねぇ」
そう呟くと影はどこかへと消えていった。
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「ふぅ、危なかったな……」
路地裏で一人の男が安堵の息を吐く。
その腕からは血が流れている。
男は慣れた手つきで腕から流れる血を止血すると、何事もなかったかの様に街中に脚を向け、これからの事を思案するのだった。
(ありゃ、第七使徒だった。西方の奴らめ、いきなり最大戦力の十二使途を投入してくるとはな……。こちらも聖人の一人でも派遣してくれんと何かあった時にはどうにもできんぞ。……とはいえ俺の仕事はせんとな。さて、どうしたものか……)
男の去った路地裏にはつむじ風が舞っていた。