理想の身体と姉の仕事
俺は心臓のような物体の解析に没頭していた。
時間も忘れて、前にいつ寝たのかも覚えていない。そんな生活を多分半年くらい続けていた頃、心臓の組織構造が人間の脳細胞の構造に似ていることに気付いた。
そこからは、以外に早く色々な事が判ってきた。
——血液を与えると脈動し一定のエネルギーを放出し始める
——材質自体の組成は判らないが、まるで生物のような組織構造を持っている
——組織間に人間の脳のようなニューロンネットワークが構築されている
——内部に直接、血液を循環させると放出するエネルギー量が格段に増える
——発生するエネルギーフィールドには血液提供者の意思に呼応し指向性を持たせられる
これは実験も実施したが、主には心臓らしきモノのニューロンネットワーク上にあったデータが偶々抽出できたので、それを解析した結果、判明したことだ。解析できたそれ以外の様々なデータを含めて考えると、おそらくこれを作った文明は有機的な科学技術が発展していたんだろうと思う。文明自体の謎も探ってはみたいが、そんなことよりも先にやらねばならないことがある。
そう、理想の身体の作成だ。俺はこの心臓を『デウスの心臓』と呼ぶことにした。これを使えば人工ボディの作成で抱えていた問題点が全て解決する。俺はそう確信していた。
『デウスの心臓』を手に入れてから、驚くほど研究は順調に進んでいた。
とはいえ、作るのは俺の理想とする女性の身体だ。しかも俺が俺自身として使える身体でなくてはならないし、その為には俺の意識を、その身体にに移せなくてはならない。これはに更なる難問が多数待ち受けているのだった。
+++++
心臓を発見してから九年、俺は30才になっていた。
そして遂に長年の努力が実る時を迎えていた。
——ピッ、ピッ、ピッ……
『意識レベルダウン、マスターのシナプス構造の解析を開始…………完了。差分データを取得…………。素体<N-01D>への転送を開始します…………。予測完了時間………………1126482.034秒後』
どこまでも落ちている。
どこにかはわからない。
だが落ち続けている。
ただただ、まわりは真っ白に光っていて何も見えない。
でも落ちていることだけはわかる。
落ちているはずなのに、目の間に何かがいる。
俺は、それに手を伸ばそうとするが、全く届かない。
すぐそこにいるはずなのに・・・。
——ピィーーーー
『………………シナプス構造の複製完了。ニューロンネットワークのマッピングをチェック…………クリア。脳量子状態の同期チェック…………同期を確認。素体<N-01D>への血液供給を開始します……。<デウスの心臓>の起動を確認……。心拍数が規定値を超えました。血液供給レベルを固定します…………完了。……素体<N-01D>の各機能、チェックを開始……………………クリア。素体<N-01D>の意識レベルを覚醒状態に移行させます…………意識レベルの覚醒を確認。……おはようございます。マスター。』
俺は、補助AIの音声に反応し目を開ける。
いきなり照明の明かりが目に入るが、特に眩しくは感じない。
しばらくして意識がはっきりしてくると目の前にあるキャノピーが開いていく。
——ペタ……
足を踏み出すと、足裏から床の硬質で冷たい感触が返ってくる。
そして自分の手を見ながら、握ったり閉じたりを繰り返す。
視線を横に向けてみると、カプセルに入った無精髭が目立つ俺自身の姿が見えた。
そう、俺はついに理想の身体を手に入れたのだ。理想通りの女体を。俺の理想を全て詰め込んだ『バイオロイド』を完成させた瞬間だった。
+++++
『バイオロイド』の起動に成功した俺は、しばらく研究室でボディチェックや稼働状況のチェックを行っていた。
「うん、問題は一切無いな。あとは、このまましばらく日常生活をしてみて、課題がないか確認してみることにするか」
そうごちた俺は、大きな鏡を設置してある衣装部屋へ移動し、その全身鏡に映った理想の身体を眺めながら呟いた。
「完璧だ」
そう、完璧だった。
——呟いた声の響きは、まるでバイオリンの旋律の様に美しく響き
——切れ長の透き通る様な碧色の瞳は、静かな光を湛える
——白い肌は見ているだけでも、その張りと滑らかさを感じさせる
——腰まである赤みがかった艶のある黒髪は、その白い肌をより際立たせている
——そしてアンバランスとも言える豊満な胸を持ちながらも、身体全体を見れば絶妙なバランスを保っていた
「……完璧だが、自分の身体だと思うと全くもってグッとこないな……。何故だ?」
俺は自分の理想を詰め込んだというのに、鏡に映る身体に視線を吸い寄せられることは一切なかった。作っていた時は結構ドキッとすることもあったのに。
「やはり服か。服を着ていれば変わるのかもしれん」
俺はこの日のために通販で頼んでいた服を漁りにクローゼットへ向かう。
それから色々と着替えてみたが、どんな服を着てもグッとくることはなかった。
「うーむ。自分では判断がつかない。試験がてら外で反応を見てみるか」
俺は周囲からの視線に対する感覚チェックを実施するため、ちょっと身体のラインが出る長袖のシックなワンピースに着替え、外に向かう。
玄関を出ると、どこか澄んだ朝の空気が俺を迎えた。この身体で外に出たのは初めてなので、軽く背伸びをしながら深呼吸をする。
「うーん、この身体で吸う空気も美味しいな。しかし出かけるとはいえ、ここから人の居る駅まで歩くってのもダルいしな……。どうしたものか。」
この家に移動手段となる乗り物がないことを思い出し、どうやって移動するかと悩んでいると、離れたところから車の走行音らしきモノが近づいてきていることに気付く。
——ブォォォォォォォォ!!! ギャリギャリギャリギャリ!!! プォォォーーーーン!!!
なんだ? と思っている内に猛烈な速度で山道を登ってきたらしい車が、そのままの勢いで、俺が立っている玄関めがけて突っ込んできた。
——キィィィィ!! ギャりギャリギャリギャリ!!!
「うぉお!?」
咄嗟に飛び退くと、こちらに迫ってきた車は車体を横滑りさせて玄関前に華麗に駐車を決めた。
「なんだってんだ!?」
止まった車に向かって俺が悪態を吐いていると、運転席から女性が降りてきた。
「ごめんない! 大丈夫!? まさかこの家の前に人がいるとか思ってなかったから、直前まで気付かなかったわ!」
暴走車の運転手は姉だった……。
俺は頬をヒクつかせながらも、軽く会釈をしながら答えておく。
「い、いえ、大丈夫です。幸い咄嗟に避けられましたので」
「それはよかったわ! ついに殺人にまで手を染めてしまうのかとあせったわ」
姉は右腕で額を拭いながら物騒なことを口走ると、俺の方をジロジロと観察し始めた。
「…………しかし、あなた綺麗な子ね〜。……うん、ホントに綺麗だわ!! しかもとってもスタイルもいいわね!! 何このおっぱい!? なんて……ボリューム! そして至福の柔らかさだわ……♡ それにこの腰からヒップのラインも堪らないわね……! 顔もとっても綺麗……ん? なんか知り合いに似ている様な……? ……他人のそら似かしら?」
姉が早口でまくし立てながら、俺の身体をまさぐってくる。そして顔をみて首をかしげた。
「あ、あのー。ちょっと放していただけると嬉しいんですが……」
「あら、ごめんない! 私ってカワイイ子を見ちゃうとつい我を忘れちゃうのよね〜」
両手を頬にあてながら身体をくねらせながら照れはじめた姉を、俺がドン引きしながら見ていると、辺りを見回した姉が質問を投げかけてきた。
「ところで、あなたはなんでこの家の前にいたの? ここって私の弟の家しかないから、あなたみたいな子が用事があるとも思えないんだけど」
「いや、ちょっと『不動 実』さんに用があって……」
いきなり自分が「不動 実です。」なんて言うと話がややこしくなると思い咄嗟に適当なことを言うと、姉がまた俺に急接近してきた。
「ええ!? 実に用って!? まさか彼女!? あの実にこんな若くてキレイな彼女が!? ということは私の妹になるのよね! 素晴らしいわ! 結婚はいつ!? 是非、私と同居しましょう!」
姉が俺の両肩を掴んで前後に揺すりながら突拍子もないことを叫び始めたので、俺は慌てて否定する。
「いえいえいえ! 違いますから! ただの研究仲間でして! 今日は研究が完成したからってことで駆けつけたんですよ!」
「あら、そうなの? それは残念ね〜。あなたみたいな子が妹になってくれたら毎日が幸せになるのに〜。……でも当然よね。あの極めつけの変人に彼女なんてできるわけないし」
失礼なことを言う姉に、俺はコメカミをヒクつかせながら答える。
「いやー、そうでもないとは思いますよ? とっても優秀な方ですし、とってもモテると思いますよ?」
姉は両手の手の広を上に向けながら大きくかぶりを振ると、さらに失礼なことを話し始める。
「いやいやいや、ないわよ。あいつは確かに優秀よ。それは天才と言っても過言じゃないくらいにね。でもその方向性がほんっとにアホなのよ。あなた研究仲間なら、あいつの言う永遠の謎の話とか聞いてたりするんじゃない?」
「……いえ、そういったお話しは……、聞いてないですね」
俺はもう片方のコメカミもヒクつかせながら答えた。
「え? そうなの? じゃあ教えといてあげるわ。あの子ね。こんな小っさい頃から、ほんっっっとに変なことにしか興味持たなくてね。こんなんで将来大丈夫かしらとか心配していたら、中学の頃に急に思春期に目覚めちゃって! それからは大変だったわ。もう周りの女子たちを不埒な視線で、それはもう無遠慮に見まくるもんだから、周りの女の子達からは毎日の様に苦情が届くし、うちの親も何度も学校に呼びだされたことか……。アタシは恥ずかしくて高校からは海外に逃げたわ。他にも——」
姉は見ず知らずの他人に、いきなり弟の黒歴史とも言える過去を延々と暴露しはじめる。
黙って聞いている俺だが、そのコメカミは破裂するんじゃないかと言うくらいに、青筋が浮き出ていた。
「——だからね。あなたもこんなところに一人で来ちゃダメよ。あなたみないスタイル抜群な子が目の前にきたら、確実にエロい視線の餌食になるわ。もしかして今ならもっと先まで……。とにかく! あの子は世の女性を見ると絶対に不埒な視線を向けてくる真性のド変態なんだから気をつけなさい!」
どうやら姉は、俺に降りかかるであろう身の危険について忠告をしてくれていたらしい。
だがすでに、その俺《実》の堪忍袋の緒は切れるところだった。
「………………誰が」
「ん? どうしたの? 大丈夫? 体調でも悪いの?」
プルプル身体が震え始めた俺に、姉が心配の声をかけてきたが、すでに俺の耳には届いていない。
「……誰が。…………誰が、真性のド変態だぁぁぁぁ!!!!!」
「えぇ!?」
いきなり豹変した俺に姉は目を見開き呆然としていた。
「そもそも変態というなら、姉貴の方がよっぽど変態だろうが!! いきなり人の身体まさぐりやがって!! 昔からカワイイ子見るといきなり抱きついて身体をまさぐり始めるから、俺だって変態姉貴の弟の烙印押されてたんだぞ!! 親父達は姉貴のことでも呼びだされてたんだから、俺だけの責任じゃねぇ!!!」
「え? ……え? …………えぇ!?」
俺は言いたいことを言ってスッキリしたが、姉は自体が飲み込めていないからか珍しく狼狽えていた。
「なんでそんなこと知ってるの? あなた誰なの? それより姉貴って!?」
自ら墓穴を掘ったことに気付いた俺は正直に答える。
「……はっー。俺だよ。実だよ。今はこの身体に意識を移してるとこなんだ」
「…………実って、そんなわけ。って実!? はぁぁぁぁぁぁぁ!? そんなことできるわけ……。えぇ!? 本当に!?」
「最初は隠そうかと思ってたけど、もういいや。とりあえず中で説明するから家に入ってくれ」
俺はそう言うと、玄関を開けて姉を招き入れた。
+++++
地下の研究部屋で、姉と俺はコーヒーを飲みながら向かい合っていた。
姉はカプセルの中でコールドスリープしているの俺《実》の身体を見ながら話しかけてきた。
「ほんとなのね〜。未だにちょっと信じられないわ。でも確かにこの設備と、眠っているアンタの身体。そして貴女の知っていることを聞く限り信じるしかないわね」
俺は一通りの説明を姉に済ませていた。
「しかし、アンタって本当に天才だったのね。流石にこんなことができるなんてビックリだわ」
「まあな。でも結局形になるのに十年以上かかってしまったけど」
「まさか女子がアンタの視線に気付く理由を調べるために、女の身体を作り上げるとはね〜。しかも意識まで移して……。すさまじい執念だわ。それで、結局男からの視線は感じられたの?」
「いや、まだだ。ちょうどこれから街の方に行って、検証しようとしてたところだからな」
「なるほどね。じゃあ私が車で送ってあげようか?」
「おお、それは助かる! 駅まで歩くのもダルいなって思ってたんだ!」
「じゃあ、準備できたら行きましょうか。私はアンタの食料とか下ろしておくわ」
姉は人の良さそうな笑顔で言うと、立ち上がり車の方に向かった。
どうやら元々は俺の生活物資を届けにきたらしい。
「じゃあ、準備しますか。せっかくだから暫くはあっちに滞在して色々試してみよう」
俺はそう呟くと、着替えやいくつかの機材を鞄に詰め込んでいった。
+++++
「で、なんで秋葉原なんだ?」
俺は隣に立つ姉に問いかける。
「そりゃ、ここに私の事務所があるからよ」
「そうなんだ、じゃあ送ってくれてありがとな。俺は適当に滞在場所さがしてから検証を始めるよ」
さっきから嫌な予感がしていた俺はそう言ってさっさと歩き出そうとするが、その前に姉に肩を掴まれた。
「せっかくなんだから、ちょっと私の事務所に寄ってきなさいよ♡」
姉がまた人の良さそうな笑顔で話しかけてくる。今までの経験上こういう時は大抵ろくでもないことを企んでいる時だ。俺は拒否する。
「いや、仕事の邪魔になるだろうしやめておくよ」
「い・い・か・ら、きなさい♡」
姉の手が俺の肩にめり込み始めたのをみて、俺は諦めた。
「はい……」
+++++
俺は鏡の前に座り、ちょっとぽっちゃりな女性にメイクをされている。
そして俺の背後に、えらく派手な衣装らしきものが並んでいるのが鏡越しに見える。
「ねえ、姉さん? これってどういう状況なのかな?」
俺は自分の状況を確認するために、近くのイスに腰掛けながら何かの書類に目を通している姉に問いかけた。
「ん? これから私の事務所のアイドルユニットのデビューライブだから、その準備よ」
「それと、私の今の状況って何が関係してるの?」
「そりゃーアンタが、そのアイドルユニットのメンバーだからよ」
辺りを静寂が包む。正確には俺だけが静寂に包まれている感じだ。
「ちょっと!? どういうこと!? いきなりメンバーとかライブとか意味がわからないんだけど!?」
大声を上げ姉の方に顔を向けようとしたが、メイクさんががっちりと俺の顔をホールドしているせいで叶うことはなかった。
「それがね、元々三人ユニットの予定で稽古していたんだけど、最後の一人が急に海外に留学するって言い始めちゃって。そしたら本当にすぐ向かっちゃうもんだから今日はどうしようかと思ってたのよね〜。いやーホント、ちょうどアンタがいて助かったわ〜♡」
「いやいや! 私、稽古とかしてないんですけどぉ!? それに急に知らない人間が入ってきて他の人が受け入れるわけないでしょ!?」
「大丈夫大丈夫、元々その子もシークレットメンバーってことでメンバーには詳細は伝えてなかったからね。で、はいこれ。歌とダンスの稽古風景入っているから、開演までに覚えておいてね♡」
やはりメイクさんの力に抗うことができず、振り向けないでいる俺に対して、姉が何かの動画の流れているタブレット端末を渡してくる。
「じゃあメイク終わった頃に迎えにくるわね。それまでに覚えといてよ。よろしく〜♡」
姉は俺の肩を軽く叩くと、鏡越しに右手をヒラヒラと振りながら控え室から出て行った。
そこに残されたのは、せっせと俺を綺麗にしようとするぽっちゃり目なメイクさんと、為すがままにされる俺だけだった。