エピローグ
今日は二月も半ば、約十日ぶりのアーキエンジュのイベントだ。
世の中のお菓子メーカーの世界的な販促キャンペーンに乗っかった、バレンタインイベントだ。
バレンタインなど、俺は姉と中学生くらいまでなら奈美から義理チョコをもらうぐらいで、とんと縁のないイベントだったが、今回は配る側という、正直言って、やってられるかクソ! という悲しいイベントだ。
既に何人目かも数えていないファンと握手し、CDにサインとイベント記念の限定チョコを手渡すという、ルーチンをさっきから延々と繰り返している。偶にくる女性ファンだけが癒やしだ。
両隣には、同じアーキエンジュのメンバーである亜衣ちゃんと、凛花ちゃんも同様のルーチンワークをこなしている。
二人とも笑顔を絶やさず、とても元気かつ丁寧にファンの対応をしている。まさに二人こそ天使だなと思っていると、その亜衣ちゃんの奥から騒ぎ声が聞こえてくる。
またか……。俺がそっとそちらに視線を向けると、ファンの人の手を握りつぶしたらしい紅歌ちゃんがオロオロしているのが目に入った。
まあ、本当に握りつぶしていたら事件だが、握りつぶされたと思ってしまう程度に痛いだけみたいだから放っておこう。
そう、紅歌ちゃんは姉の口車にあっさりと乗り、昨日からアーキエンジュのメンバー入りをしたのだ。
本当に相変わらずゴーイングマイウェイな姉だ。今日がファンとの交流がメインのイベントじゃなかったら、紅歌ちゃんはステージで固まったままになってたところだぞ。
俺が益体もないことを考えながら、チョコ配りを進めていると、目の前に知っている顔が現れた。
「——奈美……さん?」
「こんにちは、みのりちゃん。こないだは急に帰ってしまってごめんね」
俺は、目の前にいる奈美の姿に心臓の鼓動が少し早くなるのを感じていた。
いや、それよりも奈美の横の存在に目を奪われていた。
「今日は、灯さんから聞いてね。みのりちゃんの事、見に来ちゃった」
「え、ええ……」
「CDも買ったのよ。あと、このシールも」
「あ、ありがとう……ございます」
奈美が色々と話かけてくれるが、俺はそれどころじゃない。
なんだこれ? なんで……奈美が子供連れてるんだ?
「このシールね、この子が気に入っちゃって……って、この子のこと紹介してなかったわね。ほら自己紹介して」
「お、おねーちゃん! はじめまして! かたせゆいかっていいます! ことしで4さいです!」
「よくできたわね〜♡ いい子いい子♡」
可愛らしい服を着た女の子の頭を、優しそうな笑顔で撫でる奈美は、とても幸せそうだ。
「私は不動みのりよ。よろしくね、ゆいかちゃん」
「うん! よろしく! おねーちゃん!」
俺は、事態をまったく機械的に答えていた。
どういうことだ? 奈美の子供? ってことは結婚してる? 旦那がいるってことか?
ようやく気付いた初恋は、もう終わりってことか? 俺はやっぱり魔法使いのままなのか?
思考がまとまらない。目の前の事実がうまく咀嚼できない。
「……あ、あの。ゆいかちゃんは、奈美さんの?」
「ん? そう私の娘よ。かわいいでしょ〜♡ 最近色々と喋れるようになってきて、もうすごいのよ! あとテレビのアイドルのアニメが大好きでね。今日も知り合いのお姉ちゃんがアイドルをやってるって話をしたら、もう喜んじゃって——」
奈美が色々と話している。
そりゃそうだ。俺たちはもう三十歳も超えたいい大人だ。そりゃ結婚ぐらいしていておかしくはない。
俺が勝手にこないだのことで勘違いしていただけだ。
「ん? 大丈夫、みのりちゃん? 疲れちゃった?」
「い、いえ大丈夫です! 今日はわざわざ来てもらってありがとうございます!」
「こっちこそ、急に来ちゃってごめんね。灯さんから連絡もらって、みのりちゃんがアイドルやってるって聞いてビックリしちゃったわ。あっ、そろそろ次の人に変わらないとね。じゃあ、またね! ほら唯花も」
「うん! おねーちゃん! バイバイ!」
「うん、バイバーイ! またねー!」
俺は、何を話したのかあまり分からないまま、二人を見送ると再びルーチンワークに戻った。
イベントは、紅歌ちゃんがあの後も色々と騒ぎを起こしていた様だが、盛況のうちに終わった様だった。あの後のことは、あまりはっきりと覚えていないが、とりあえず問題なくこなせてはいた様だ。
俺は、家に帰ってからもボーッとしていた。
「どうしたのよ、実。ずっとボーってしちゃってさ」
「うん、なんでもない」
姉が話しかけてくるが、適当に返事を返すしかできない。
「……ん? ああ! 奈美ちゃんが子供連れてたからショック受けたのね!」
「……って、違うわ! そんなんじゃない!」
「まあ、分かるわよ。そうよね〜。アンタは昔っから奈美ちゃんが大好きだったもんね〜」
「だ、誰が大好きだ!?」
「えっ……? まさか、まだ自覚してなかったの? こないだのこと聞いたから、奈美ちゃんに会いたいと思って呼んであげたのに」
姉が、まるで俺が奈美のことを前から好きだったかの様に言い始めた。
確かに好きなのは本当だが、気付いたのはついこないだだ。なんで昔から好きだってことになってんだ!?
「もしかして、ホントに気付いてなかったとは……。いくらアホとはいえ、ちょっと驚きだわ……」
「だ、誰がアホだ!」
「アンタよ、アンタ。まあいいわ、……安心しなさい。奈美ちゃんは結婚してないわよ。あの子は養子よ。奈美ちゃんの家の道場に捨てられてたんだって。親は探したみたいだけどね、見つからなかったみたいで奈美ちゃんが親代わりになったって事よ。どう? 安心した?」
「……そ、そうか。そうだったのか……」
俺は力が抜けてソファにへたり込んでしまった。すると、俺の頭を姉が優しく撫でてきた。
「ホントに、アンタは子供のままね。今度、元の身体で会った時には、ちゃんと話したいこと話すのよ」
「…………ああ、ありがとう。姉さん」
「……うーん、やっぱり。みのりちゃんは可愛いわ! やっぱり今のなし! あんたはずっとこのまま!」
「なっ!? ふざけんな! 人がせっかく礼を言ったってのに! このクソ姉が!」
「誰がクソ姉よ!」
俺たちがワーワーギャーギャー騒いでいると、お風呂に入っていた紅歌ちゃんが戻ってきた。
「え? え? ちょ、ちょっと二人ともやめてください!」
俺たちは、紅歌ちゃんに止められ、二人で正座しながら説教を喰らっている。
「いいですか! 家族というものは常に——」
「「…………」」
俺と姉は視線を合わせると、どちらともなく吹き出してしまった。
「「プッ……ハハハ、アハハハハ」」
「ええ!? 何がおかしいですか!? 大事なところなんですよ!?」
部屋にはしばらく笑い声と、紅歌ちゃんの怒った声が響いていた。
これで、第2部は終了です。
第3部は、また一週間程度あけて投稿を開始したいと思います。
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