新たな同居人と雪降る空
今は久しぶりに、といっても五日ぶりくらい の千駄ヶ谷のみのり宅に戻ってきている。
ここ数日は、そう奈美と再会してからの数日は大変だった。まさに怒濤ともいえる日々を過ごしていた。
死にかけたし、痛い思いもしたしで、あんな目に遭うのは当面は御免被りたい。
ちなみに、今この部屋には紅歌ちゃんがいる。
そして、何故か我が実姉もいる。そう、俺の中でザ・ゴーイングマイウェイの名を欲しいままにしている『不動灯』だ。
二人はリビングで、仲良くお菓子を食べながらお茶をしている最中だ。
俺はと言うと、そんな二人のために絶賛晩飯の準備中だ。
「あっ、実〜。私はニンジンいらないからね〜」
「は〜い」
俺は姉の注文に可愛く応えてやるが、摺り下ろしてガッツリ入れておいてやろうと大根おろしを取り出す。
それにしても、この部屋に来るまでにも軽く一悶着あったんだが、果たして今後の生活は大丈夫なんだろうか? と俺は少し前のことに考えを巡らせていた。
+++++
俺は、色々あった翌々日に紅歌ちゃんと待ち合わせて、寅次郎のカフェに来ていた。
「——それで、ホントに今日から家に住むってことでいいんですか?」
「はい! お父様からも、みのりさんには決して無礼がないように、しっかり励むようにな、と送り出されました!」
俺の目の前に座っている目をキラキラさせた可愛らしい女の子、紅歌ちゃんがまるで尻尾をブンブン振っている犬のように鼻息も荒く、肯定の返事を返してくる。
うーむ。まあいいのだが、問題は俺の理性が持つかだな。
幸い、男の身体に戻るには二週間ほどの時間がある。
それまでに紅歌ちゃんとの生活に慣れておけば、俺の鋼の理性を持ってすれば間違いは起こらないだろう。いや、場合によっては起きてもいいのかもしれない。俺はもう悟りを開いた僧侶なのだから!
……っと、ダメだな最近はこの手のことを考えると、あらぬ方向に思考が逸れてしまう。世の僧侶達は、毎日こんな煩悩と戦っているというのか……改めて、尊敬の意を禁じ得ないな。
それより、話を進めないと……。
俺は今後の事や生活費のこと、紅歌ちゃんの学校のことなど、聞いておこうと思ったことは粗方聞けたので、最後にお互いの呼び方や話し方だけ決めておくことにした。
「——じゃあ、最後に家で一緒に暮らすルールとして、これだけは守って」
「はい! なんなりと!」
「それよ! 私たち、ほぼ同い年なんだから、お互いに敬語はなし! 名前も『さん』付けとかはしないこと!」
「は、はい! でも、いいのかな? お父様が決して無礼がないようにと……」
「いいんです! その私が言ってるんだから。これからは一緒に暮らす同年代の友達ってことで、よろしくね!」
「は、はい!」
「はいじゃない!」
「う、うん! よろしく!」
尻尾がはち切れんばかりに振られている姿が見えるな。と思いながら、さっそく家に移動することにした。
「じゃあ、さっそく家に向かいましょうか」
「うん!!」
——電車に揺られて、千駄ヶ谷に着くと、俺のマンションの方に向かって歩き出す。
マンション近くまで来たとき、異変は起きた。
紅歌ちゃんが急に宙に浮いたのだ。
「紅歌ちゃん!?」
俺は驚いて、思わず声を上げるが紅歌ちゃんは落ち着いていた。
「大丈夫!……降りてきたらどうですか! 上から見物するだけが能じゃないでしょう!?」
紅歌ちゃんが声をあげると、目の前に黒い影がストンと降り立った。
「ご無事ですか? みのりさま。この者は陽ノ下家の者と見受けますが」
影はウィルだった、そう前に戦ったあの第七使徒『ウィルギリス・エイラミル』だ。
こいつは、あの台風事件以来、俺のマンションに近づく怪しい奴らを追い払ってるらしい。そう、勝手に自宅警備員をやっている訳だ。あくまで俺の自宅なのだが。
DALIにマンション上空にコイツがずっと居ると言われて、様子を見に行ったら「みのり様の寝所に近づく不遜の輩は、私が排除しますので、ご安心してくださると嬉しいですねぇ」とか言ってきやがった。
帰れと言っても聞かなかったので放置していた訳だが、紅歌ちゃんにちょっかい出さないように言っておかないとな。
「ウィル! いきなり何するのよ? 早く紅歌を降ろしなさい!」
「はっ。御心のままに」
俺が言うとすぐに、紅歌ちゃんは地面に音もなく降ろされた。
「……貴方は、西方教会の?」
「いえ、私は既に西方教会の人間ではありませんのでねぇ。ただのウィルギリスです。どうやらお客人に失礼をした様で、どうかこの通り」
人を食った様な態度は相変わらずに、一応謝罪をするウィルに伝えておく。
「ウィル。前も言ったけど、いきなり攻撃とかしないでよ。あと、この子は紅歌。今日から一緒に暮らすことになったから、今後はこんなことしない様にね」
「……承知しました。紅歌さま、私はみのり様に身も心も捧げた敬虔なる信徒ですのでねぇ。以後、どうぞお見知りおきを」
「身も心も捧げた……!」
ウィルのどこか大仰な挨拶に、紅歌ちゃんが顔を真っ赤にして俺たちを交互に見始めると、最後は下を向いていやいやし始めていた。
これは、また変なこと考えてるな。早く止めておこう。
「紅歌、違うわよ。あなたが想像している様な話じゃないわよ」
「……みのりは大人……」
「ちょっと! 違うから! ほら戻ってきて!」
「え? あ、ご、ごめんなさい!」
「まったく……」
この子は兄は、まあ俺のことだな。実は、家も壊れていたし、一緒に暮らさないのか? と聞いてきて、そうなるかもしれないねと言うと、同じ様に妄想をし始めていたからな。焰軌のオッサンは、ちゃんとそういう所も教えておけって話だ。じゃないと俺みたいになるぞ。いや、俺はここまで酷くはないはずだ!
って、また思考が逸れた。ホントに最近はダメだな。思考力がやたらと強化されたおかげで余計な事まで考えすぎる。おかげで研究に集中しきれなくなっている気がする。気をつけねば。
「そういえば、ウィルってどこで寝てるの?」
「その辺ですねぇ。大体は宙に浮いたまま寝ることが多いですかねぇ」
ふと気になったので、聞いて見たら、さらっと無茶苦茶な答えが返ってきた。こいつ住むとこなかったのかよ……。
うーん、どうすっか。流石に勝手にやってるとはいえ、家の自宅警備員やってくれてる訳だしな……。このままにするのも寝覚めが悪いからな。しょうがないか。
「……わかったわ。じゃあウィルも今日から家に住みなさい」
「は? 大変嬉しいお話しなのですがねぇ。私如きが、みのり様の寝所に上がるのは流石に恐れ多いですねぇ」
「何言ってんの。もちろん部屋は別に決まってるでじゃない。屋上にペントハウスがあったでしょ。貴方はそこに住みなさい。空浮いてるのが好きなんだから、ちょうどいいでしょうし」
「しかしですねぇ……」
「いいから! 私が気にしちゃうんだから。後で屋上に鍵持ってくから待ってなさい」
「……はっ。とてもとても光栄の至りですねぇ」
「まったく、返事がいちいち胡散臭いわね」
「どうにも染みついたものでしてねぇ。こればかりはどうにも」
「いいわ。とりあえず、私たちは中に入るから、屋上行ってなさい。すぐ行くから」
「はっ——」
ウィルは返事を返すと音もなく消え去った。ホントにアイツって気配消すの上手いよな。
「ね、ねえ、みのり。あれって十二使途じゃないの? なんで、みのりに仕えてるの?」
「ああ、アイツはね。こないだ海で暴れてたから、とっちめてやったら懐かれちゃったみたいでね。私の家の周辺を勝手に警備してるのよ」
「せ、世界最高戦力の十二使途が懐くって……」
「あれ? もしかして紅歌ってニュースとか見てない?」
「う、うん。テレビとかだよね? 私そういうの見る機会なくて」
「そ、そうなんだ」
焰軌のオッサンは、今度あったらシメよう。こんな可愛い子を家に縛り付けやがって。お尻ペンペンしてやる。
——俺たちは、マンションに入るとエレベーターで最上階に向かう。
部屋の鍵を開け、中に入るとリビングには姉がテレビを見ながら寛いでいた。
「あら、実。おかえり……って、何!? その可愛い子は!?」
紅歌ちゃんを視界に収めた姉は、食いかけのお菓子をほっぽりだし、まだ荷物も抱えたままの紅歌ちゃんに詰め寄ってきた。
「やっぱり、すっごい可愛い!! それに綺麗な赤髪だわ〜。スタイルも素敵! これはアーキエンジュに入りにきたのね! いいわ! 明日からメンバーよ! さあ、契約書用意しないと!!」
「??……!?」
姉の剣幕に、何が起きているのか分からないでいる紅歌ちゃんに助け船を出すべく、俺は姉の襟首を掴んで、元の位置まで引きずり戻す。
「ちょ! く、くるしいわよ! 実!」
「いいから、落ち着いてよ姉さん。ちゃんと紹介するから」
——俺は、なんとか姉を宥め、紅歌ちゃんのことを簡単に説明、紹介していった。すると、また姉がはしゃぎ出す。
「いい! いいわ! なんてことかしら! これは、ある意味で私に可愛い妹が増えたってことよね! ヤバいわ! これはヤバイわ!」
「…………」
「ね、姉さん、落ち着いて。紅歌が驚いてるから」
「決めたわ! 私もここに引っ越すわ! 部屋なんて一杯空いてるでしょ!」
「はあ!?」
「可愛い妹達との生活……。これはこの世の春よ! 私にこの世の春がきたわ!!」
「「…………」」
俺たちは、素早くスマホを取り出し引越の手配を始めた姉をただ呆然と眺めていた。
+++++
そんなこんなで、みのりの家には三人が住むことになった。
それにしても、いきなり騒がしくなったもんだと思いながらも、新たな生活の訪れに少しの期待を寄せてしまう気持ちがあるのも事実だ。
それにしても、何か忘れている気がするが、まあその内思い出すだろう。
+++++
「……みのり様、遅いですねぇ」
ちらほらと雪が降り始めた寒空の下、ウィルギリスは一人屋上で待ちぼうけしているのであった。
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