涅槃と黒い炎
(『マスターの心拍停止を確認。蘇生処置を最優先実行……。脳量子状態のバックアップを継続。アストラル領域との接続ポイントを固定開始……失敗。再度固定を実行………………成功。蘇生処置を継続します…………』)
なんだろう、ここは。
前にも来たことがある気がする。
底のない、上もない、どこまでも広がってるだけの空間。
落ちていくだけ、でもそれが心地よい。
目は開いているのに、何も見えない。でもずっと先まで見えてる気もする。
——実! アンタ、こんな程度で死ぬタマじゃないでしょ!?
誰かが、名前を呼んでいる。
実、俺の名前だ。ん? 名前ってなんだ?
ああ、自分という存在を表すものだ。
でも、みのりは別にいる。
俺は、実なのか? みのりなのか?
——このまま寝てたら、灯さんに怒られるわよ!
灯? 誰だっけ?
怒られるのは嫌だな。
それにしても、ここはどこなんだ?
このまま落ちていくと、どこにいくんだろう。
ん? 誰だ? 誰かが目の前にいる。
——兄さん。さあ起きて……。女の子を泣かせてはダメ……。
泣かせている?
誰を?
俺は泣かせたりしないぞ。
だって、約束したからな。
二度と泣かせたりはしないって。
——実さん!!
何か、心地よい。
この感触は、なんだっけ?
そうだ、涅槃だ。
あ、俺もしかして死んだのか?
死ぬってなんだ?
——実さん!! 目を覚まして!!
この声は、紅歌ちゃん?
そうだ、俺さっきまでクソ親父と戦ってたんだ。
なら、ここはどこだ?
って、痛い!! 身体中が痛いぞ!!
「——いってぇぇぇ!!」
俺は余りの痛みに、思わず叫びながら目を開けた。
すると、目の前には紅歌ちゃんが大粒も涙を流しながら、俺を見つめている。
「ぐ……身体中がいたい……。何が……どうなって……」
「……よ、よかった!! 実さん!!」
「ぐぁぁ!!」
どうやら、紅歌ちゃんにまた膝枕されていた様だ。俺が目を覚ましたのを見て、紅歌ちゃんがそのまま抱きしめてきた。
その衝撃による、あまりの痛みに、俺はまた叫び声をあげてしまう。
一体、何が起こったっていうんだ? 状況がよくわからん。
(おい、DALI。何がどうなってるんだ?)
(『イエス、マスター。先ほど、マスターの身体は一時的に死亡していました』)
(はぁ!?)
(『敵個体、コード<クソ親父>による、力場能力を使った爆発攻撃により、マスターの身体は心肺停止状態に陥っており、先ほどまでは蘇生処置をを実施しておりました。また、お話しできて嬉しいです。おかえりなさい、マスター』)
(おかえりなさいじゃねぇよ! 何してくれてんの、あのクソ親父!?)
(『状況については、メモリーを投影します』)
俺は、俺が倒れて、いや死んでいた間に何があったのか、DALIからのメモリーで確認することにした。
+++++
実が、焰軌の首を刈るようにして、捻り折ろうとした瞬間、焰軌は死を予感していた。
(なっ!? 死ぬ!?)
そう予感した途端に、無意識のうちに焰軌は自身の力を発現する。焰の聖人と呼ばれる所以となる力を。
それは、まるで雷鳴のように響く音を立てて、吹き上がった。
真っ赤な炎は、天を衝くがの如き勢いで燃え盛る。
焰軌の首を捉えていた実は、その炎に吹き飛ばされ、為す術もなく地面にたたきつけられた。
「「実(さん)!!」」
奈美と紅歌は、吹き飛ばされた、実の元に駆け寄ると、体中に火傷を負って、ピクリとも動かない実が目に入る。
「実さん!」
実に縋り付こうと紅歌が前に出ようとするが、奈美が制止する。
「待ちなさい! 動かさないで!」
そう言うと、奈美は実に近づき、呼吸を確かめ、脈を確認すると、今度は心音を確認する。
「……息も脈もない……心臓も……」
呆然としながら呟くように奈美が言うと、紅歌が口元を両手で覆い膝から崩れ落ちる。
「……ちょっと! 実! アンタ、こんな程度で死ぬタマじゃないでしょ!? 簡単に死んでんじゃないわよ!!」
奈美は実に対して、声を荒げながら、心臓マッサージを始めるが、一向に回復する気配はない。
奈美が心臓マッサージを始めて、2分程経った頃、香貫火と共に焰軌が近くにやってきた。
「……すまない。無意識のうちに力を暴発させてしまった。今、医師を手配しているが、場所が場所だけに、あと30分ほどはかかる見込みだ……」
「うっさいわね! 邪魔しないで!!」
奈美は焰軌のことを無視して、心臓マッサージを続けるが、やはり反応はないままだった。
——それから、10分ほど経ったが、実は回復する様子はない。
「……もう、止めにしたらどうだ。これ以上は……」
「そうです。奈美様、もうお止めになってください」
奈美の額からは珠の様な汗が、いくつも流れ落ちている。
そこには、涙も混じり始めていた。
「帰ってきなさいよ! このまま寝てたら、灯さんに怒られるわよ!」
必死に呼びかけるが、反応はない。
奈美の身体から、少しずつ力が抜け始めた。
「アンタ……、丈夫なだけが取り柄じゃないの……、簡単に死んでんじゃないわよ……」
奈美が実の胸に顔を埋めて、嗚咽を漏らし始めたのを、焰軌と香貫火は静かに見ているしかなかった。
紅歌も実の傍で、その手を握り泣いている。
それから、しばらく奈美の嗚咽が続いていたが、ふとそれが止むと同時に、奈美の身体が赤黒い炎が揺らめき始めた。
その炎は、黒く濁っていて、まるで濁った血の様にも見える。
「「なっ!?」」
焰軌と香貫火が、その炎をみて声を上げる。
「まさか、封印が解けたのか!? 拙いぞ!」
奈美が赤黒い炎を纏い、フラリと立ち上がると、焰軌に向き直り、一言呟いた。
「……死ね」
その瞬間、焰軌の足下からも赤黒い炎が吹き上がった。
「むぅ!!」
焰軌は慌てて、全身に自身の炎による防壁を張り巡らせるが、赤黒い炎は、それを飲み込むようにして、焰軌の身体を焼いてきた。
「ぐぅぅ……ふん!!」
防ぐことが難しいと判断した焰軌は、自分を焼こうとしてくる赤黒い炎を、実を吹き飛ばした時と同様に爆発的に力を発する事で吹き飛ばすと、奈美から距離を取り、他の二人に対して声を上げる。
「紅歌! 香貫火! 蚕繭封印をやるぞ! 合わせろ!」
「はっ!」
香貫火は即座に応答するが、紅歌は何が起こっているのか分からず、呆然としている。
「紅歌! ぼうっとするな! 姉を失いたいのか!? あれは蛇ノ黒炎だ! あのままでは、自分で自分を焼き殺してしまうぞ!! 早くしろ!!」
「蛇ノ黒炎!? あれが!? って姉ですか!?」
「いいから、早く位置につけ!」
焰軌からの叱責により、赤黒い炎を身の纏う奈美を、三人で囲う。
三人は、それぞれ両手で印を結び始めた。
その間も、奈美から焰軌に対して、赤黒い炎による攻撃は続いているが、それを焰軌は自らの炎で弾き飛ばすようにして相殺していた。
(なんという力だ!? これでは抑えられるか分からんぞ)
「準備はできたか!?」
「「はい(はっ)!」」
「では、蚕繭封印の儀を始める!!」
奈美を中心にして、周りを囲っていた三人が同時に、両手の印を奈美に向けた。
その瞬間、奈美が纏っていた赤黒い炎は、上空に向かって細い糸のように吸い上げられ始めた。よく見れば、その糸の先には煌々と輝く太陽のような球体が、いつのまにか存在しており、赤黒い糸状になった炎はその太陽に吸い込まれていく。
奈美の頭上に輝く太陽は、黄金色から徐々に赤黒さを増していっていた。
(拙いな……足りぬかもしれん……。だが、押さえ込めねば、焰奈美まで死ぬ。我が命に替えてもやりきらねば!)
「……ぐぅ」
「お、お父様……このままでは!」
香貫火と紅歌は、苦しそうに声を上げる。
「もう少しだ! もうしばらく、持ち堪えてくれ!」
(紅歌はともかく、香貫火は限界に近い……。儂が引き上げるしかない!)
焰軌は、自身から更なる力を絞り出すべく、限界まで集中していく。
「が……、くぅぅ……」
奈美は、自分から無理矢理吸い出されていく力に、苦しそうなうめき声を上げている。
なぜ自分が、いきなりこんな力を振るえたのかも分からない。
そもそも、さっきの爆発の様なこともよく分からないし、実が死んでしまったことも理解できない。
奈美が現状を理解仕切れないでいると、その目に地面に横たわる、焼け焦げた姿の実が目に入った。
(実? そうだアイツが死んだんだ。あの赤毛の男が殺したんだ。だから……殺さなきゃ!!)
その瞬間、奈美の身体から更にドス黒くなった炎が勢いよく舞い上がる。
「ぬぅぅぅ!!」
「「きゃっ!」」
焰軌たち三人は、その吹き上がるドス黒くなった炎の勢いに吹き飛ばされた。
「……な、なんということだ! 蛇ノ黒炎が完全に目覚めてしまった!……くっ! 焰奈美!! 憎しみに飲まれるな!! 冷静になれ!!」
焰軌は奈美に対して必死に呼びかけるが、奈美からの反応はない。
ただ、自身が生み出した黒くなった炎に巻かれているだけで、ピクリとも動く気配はなかった。
「もう一度だ! もう一度やるぞ!!」
「「はい!!」」
三人は、再び奈美を囲うようにすると、印を結び始めるが、それが終わる前に焰軌が吹き飛んだ。
「ぐはぁっ!」
「「お父様(焰軌様)!!」」
数メートル吹き飛ばされた、焰軌の身体からは黒い煙が立ち上っている。
(ぐぅ……なんという威力だ。相殺しきれなかった……)
焰軌は片膝を着きながらも、立ち上がろうとするが、その前に更に黒い炎が迫る。
「むぅぅ!!」
(焰奈美のあの状態は長く保たん! 早くしなければ自分の炎で自分を焼き尽くしてしまう! どうすればいい!? クソッ!!)
焰軌が、どうしようもない状況に心の中で悪態をついた時、唐突に周囲に轟音が響く。
——ドゴォォン!!
音のした方向に三人が思わず目を向けると、実の家が半分ほど吹き飛んでいた。
そして、その上空には朱金色に輝く一対の翼を讃えた天使が浮かんでいるのであった。
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