壊れていく足と女二人
「以上が、不動実に関する情報です」
香貫火は、陽ノ下家にて当主への報告を行っていた。
「……ふむ。御使い様と思わしき人物の兄上どのか。これは偶然なのか、仕組まれたことなのか……。いや必然なのかもしれんな……」
「必然ですか?」
香貫火は当主の言いように疑問を呈す。
「そうだ。始祖より継いできた盟約を果たせ、という時期なのかもしれん」
「神々との盟約ですか……」
「うむ。我々、人という種族は袋小路に入っているのかもしれん。その救済のための盟約でもあるからな」
当主は、どこか遠くを見ながら、嘯くように語った。
「まあ、そんな大それた話よりも目の前のことだ。その兄上どのとやらの所に、明日にでも向かうぞ。我が娘の婿として相応しいのか、ちゃんと見極めさせてもらわねばな」
歯を見せながら笑みを描く当主の顔に、香貫火は背筋に冷たいモノを感じていた。
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俺たち三人を乗せた電車は、奥多摩方面へと順調に進んでいる。
ボックスシートには当然のように、俺の向かいに女性陣二人が座り、俺は一人で座っていた。
最初は、紅歌ちゃんが俺の隣に座ろうとしてきたが、奈美が許可しなかったためだ。そして自分の荷物を網棚に上げればいいのに、俺の膝の上に載せてくるあたり徹底している。
恐らく、俺が余計なことをしでかさないようにするためだろうが、条例という見えない鎖にしばられた俺が余計なことをするわけがない。本当に余計な心配だ。
それにしても、見た目が麗しい女性二人が目の前にいると、俺の視線は誘われてしまう様に、そちらに向かってしまう。
しかし俺も成長はしている。直接的に見ないように、あくまで視界に入る様にして見たい場所をみるという離れ業を身につけている。
にも関わらず、ちょっと胸や脚を視界に収めて眺めようとしただけで、奈美に気付かれてしまい、思い切り足を踏んづけられてしまう。本当に相変わらず勘の鋭いヤツだ。
あっ、すいません。もう見ないので、踏まないでください。もう爪が割れてしまいそうです。DALIが強化してくれたはずの骨もヤバそうです。
マジで足が再起不能になりそうなので、奈美に視線で訴えてみるが、笑顔を向けられたまま足は踏まれ続けていた。
——俺の足が再起不能になる前に、電車はやっと奥多摩に到着してくれたが、こんなに腫れ上がった足の甲では、とても車の運転はできそうにないので、奈美に運転を頼むことにする。
「奈美、ご覧の通り、俺の足がとんでもないことになっているから、車の運転ができそうにない。お前が運転してくれ」
「ちょ、ちょっと、実さん! 大丈夫ですか!? すごい腫れてるじゃないですか!? いつケガしたんですか!?」
紅歌ちゃんが俺の足の惨状を見て、すごい心配してくれるが、隣からにこやかな笑顔を向けてくる奈美が怖いので、真実は話せそうにない。
「大丈夫よ、紅歌ちゃん。どうせ大したことないから。ねっ? 大したことないでしょ? 実?」
「……はい、大したことないから大丈夫です」
「本当ですか? 痛みが酷かったら言ってくださいね。私が実さんを背負いますから! 結構、力はあるので!」
俺が、背負ってくれるのか!? と、紅歌ちゃんと密着することを想像し、その身体に視線を送ろうとすると、再び足に激痛が走る。
「いってぇぇぇ!!」
「あら、ごめんなさい。……片足で、それだけ飛び回れるなら大丈夫そうね。いきましょ紅歌ちゃん」
「は……はい」
紅歌ちゃんが、俺の足に追い打ちをかけた上で、平然と歩き始めた奈美に目を白黒させながらもついていった。
俺は、その二人のあとを片足を引きずりながら付いていくであった。
+++++
家に向かう車の後部座席で、俺はDALIに「みのり」の状況を確認する。
(DALI、みのりのメンテナンスは終わってるか?)
(『いいえ、マスター。問題が発生したためメンテナンスが進んでいません』)
(なに!? 問題ってなんだ!?)
(『<デウスの心臓>がスリープモードに移行しないため、メンテナンスを開始できない状況です。原因は特定できておらず、リトライを繰り返しています』)
(となると、今日は当然として、明日の朝に俺の意識をみのりに移すことも難しいのか……)
(『イエス、マスター。現状では、明日の時点でメンテナンスが完了する保証はありません』)
(わかった。戻り次第、俺もみのりのチェックをするから、DALIも続けて原因を探ってくれ)
(『イエス、マスター』)
むう、あわよくば「みのり」の身体に戻って、家の温泉に一緒に入ろうと誘うつもりだったと言うのに……。俺の桃源郷計画が出だしから躓いてしまった。
ぬぉ! バックミラー越しに奈美が睨んできてる! なんで、コイツはこんなに鋭いんだ!? もしかして心でも読めるんじゃないだろうな?
しばらく奈美が車を走らせていると、俺の家が見えてくる。
「あ! あの赤い屋根の大きな家が、実さんの家ですか? 他の家って周りにないんですね?」
「ん? ああ、そうだよ。この辺り一帯の山が、俺の土地だからね。周囲5kmくらいには他の家はないんだよ」
「すごい! それだけ広いとなんでもできそう!」
「いや、所詮は山だからね。管理が大変なだけで、何もできないよ」
俺と紅歌ちゃんが、他愛ない話をしていると、奈美が走らせる車が家に到着した。
「おっ、着いたな。運転ご苦労さん。お前、乗り物酔いが酷いって効いてたから心配してたんだが、平気だったな」
「……やなこと思い出させないでよ。あの運転の前なら、誰でも酔うわよ……さあ、降りましょ」
「? そうだな」
奈美が何か小声で言うが、よく聴き取れなかった。まあ、どうでもいいので家に入るかと車を降り、玄関の鍵を開けて二人を家に招く。
玄関を抜けて、リビングに二人を案内すると、ボロボロになったままのリビングが顔を出した。
「「…………」」
俺と奈美がリビングの惨状を見て、昨日のことを思い出し、無表情になっていると紅歌ちゃんが慌て始める。
「み、実さん! 大変です! 泥棒ですよ! 泥棒が入ったんですよ! どうしましょう!」
「い、いや泥棒じゃないから落ち着いて。うん、泥棒ではないんだ。ちょっと昨日散らかしちゃってね。ダイニングなら大丈夫だから、そっちに案内するね」
「え? でもそこら中壊れたりしてますよ!? 大丈夫なんですか!?」
「うん、ちょっと昨日遊びに来た友達と、年甲斐もなくはしゃいじゃっただけだから……あ、ダイニングはこっちね」
俺は、紅歌ちゃんを落ち着かせながら、被害に遭っていないダイニングに案内をする。
奈美はその間は、ずっと素知らぬ顔をしていた。……いつかギャフンと言わせてやる。
ダイニングにつくと、俺は二人に飲み物を用意すべくキッチンに向かう。
「とりあえず、何か飲んで寛いでくれ。希望はある?」
「私は、何か暖かいお茶ちょうだい」
「わ、私は何でも大丈夫です! というかお構いなく!」
紅歌ちゃんの返答に、少し口元が緩んでしまう。
「わかった、じゃあ紅茶でも淹れるかな。紅茶でもいいか?」
「オッケー」
「はい! 大丈夫です!」
二人が肯定してきたので、俺は紅茶を淹れ始める。俺は紅茶はスリランカ派なので、オススメのキャンディとディンプラのブレンドを用意していく。
「——はい、おまちどうさん」
俺が淹れ立ての紅茶の入ったティーカップを二人の前に持っていくと、二人ともカップを手に香りを楽しみ始めた。
「いい、香りね」
「ええ、どこか落ち着く香りです」
「そりゃ良かった。お替わりもあるから、足りなかったら言ってくれ」
二人とも笑顔で頷いてくれたので、オススメのブレンドを淹れたことは成功だった様だ。
「ところで、俺はちょっと作業したいことがあるから、晩ご飯を用意した後は研究室に籠もりたいんだけどいいかな?」
「ん? そうなの? 私は全然構わないけど、籠もる前に泊まる部屋と、お風呂の場所は教えてくれない」
「……私は実さんと、その研究室に一緒にいちゃダメですか?」
「「…………」」
「もち……ぐほぉ!」
「紅歌ちゃんは、私と一緒の部屋に行きましょう」
俺が、反射的に肯定の言葉を発しようとした瞬間、奈美から脇腹に強烈な肘打ちを喰らわされた。肋は無事だろうか……?
「そ、そうだな。俺の身の安全の為にも、紅歌ちゃんは奈美と同じ部屋に泊まってもらおうかな……」
「……残念です」
俺も残念だが、命を天秤に賭ける気はないので仕方が無い。それに、みのりの事を見られる訳にもいかないから、奈美が突っ込んでくれてよかったかもしれん。
「そういえば、アンタんちって温泉あるのよね? 今、使えるの?」
「ああ、使えるぞ。屋内と露天があるから、好きに使ってくれ」
「そりゃ豪勢ね。ありがたく頂くわ。あっ、覗こうとしても無駄だからね。そんな兆候あったら、覗く前に潰すから」
俺は思わず、なにを? と問いそうになったが、どちらも潰されては困るので、何も聞かずに当たり前だと答えておいた。
そして、俺が作った晩飯は好評を博し、デザートも完食した二人は温泉のある離れに向かっていく。
俺は二人の移動を確認すると、研究室に向かった。
+++++
「奈美さんは、実さんのこと好きなんですか……?」
肌寒い中、月明かりに湯気が吸い込まれていく。
二人は露天風呂に浸かりながら、円い顔を見せる月を眺めていた。
そんな折、紅歌が奈美に問いかけた。
「はぁ……そんな訳ないじゃない。最初に言った通り、ただの幼なじみよ」
「でも、とっても仲が良さそうです。実さんも、奈美さんをすごく信頼してそうだし……」
「んー、そりゃ、今日会ったばかりの紅歌ちゃんに比べれば、それなりに長い付き合いだし、そう見えるのかもしれないけど、それはしょうがないってものよ」
「たしかに、それはそうなんでしょうけど……」
「紅歌ちゃんが、あのアホのどこに惹かれたのかは分からないけど、私にとっては手のかかる弟みたいな感覚ね。オススメはしないけど……、一晩経っても本気だって思えるなら応援はするわよ」
「ホ、ホントですか!?」
紅歌は、奈美の言葉に興奮を隠せず、立ち上がって奈美に詰め寄った。
「え、ええ。でも、ちゃんと考えるのよ。勢いとかだけなら止めておきなさい。絶対後悔するからね」
「……奈美さんは、後悔したことあるんですか?」
「……そうね、あるわよ。だから紅歌ちゃんみたいな子に、同じ様な思いはして欲しくないの」
「わかりました……。ちゃんと今晩、考えてみます!」
両手を握りしめて、自分に向かって頷いてくる姿に、奈美は優しい笑顔を向けていた。




