待ち合わせと三途の川
紅歌は、周囲に香貫火の尾行がいないか警戒しながら、アルタ前に向かっていた。
(は、はじめての待ち合わせ……。ドキドキしてきた……。落ち着かなきゃ)
すでにアルタは目と鼻の先、後は信号を渡ればすぐだ。待ち合わせ場所を凝視できず俯きがちに伺うだけだと、相手が来ているかどうかも分からない。
紅歌は胸の高鳴りと、良く分からない恥ずかしさが込み上げてくる事に耐えながら、待ち人がいるか確認しようと顔を上げた。
(も、もう来てるかな……。……い、いた!)
お目当ての人を見つけ、先ほどまでの不安と恥ずかしさが入り混じった顔は鳴りを潜め、途端に花が咲いたような笑顔を見せる。
しかし、その笑顔は途端に萎んでしまう。
(……一緒にいる人は誰だろう? すごい綺麗な人……)
紅歌は待ち人と話している相手を見て、足を止める。誰なんだ? とても仲がよさそう。どういう関係なんだろう? 綺麗な人。すごいスタイルだな。大人っぽい……。
色々な考えや感情が途端に頭を埋め尽くす。
(……わ、私と約束してるんだ! 話しかけにいかなくちゃ!)
そんな感情や思考を振りほどこうと、自分に渇を入れ、紅歌は再び歩き出した。
+++++
紅歌ちゃんとの待ち合わせのため、俺はアルタ前に向かっている。
(それにしても、DALI。あの連中にあんなことして大丈夫なのか?)
(『問題ありません、マスター。あのまま尾行されていた場合、みのりに戻った際に余計な情報を与える可能性があったため、あの場で排除することが最適解です』)
あの連中というのは、恐らく香貫火さんの手のものと思われる連中だ。
あの地下街の一角にあった施設から出てすぐに、尾行が始まったことから間違いはないだろう。
尾行に気付いたDALIが、俺の衣服に仕込んでおいた、蜘蛛程度の大きさの小型ドローンを飛ばし、装備していた麻酔針を用いて昏倒させてしまったのだ。
(それを理由に本格的に狙われないといいんだが……)
(『外傷などはないため、マスターによる行為とは思われないと推察します。万が一、敵対した場合には、紅歌嬢が人質として有効に機能すると思われます』)
(待て待て待て! 誰が人質なんて取るか! それにあくまで遊びに来るだけだ、住まわせたりせんぞ!)
(『私としては、マスターが雄としての義務を存分に発揮する良い機会だと判断します。是非とも種付けを』)
(ちょっと待てい! お前はそんな余計なことに気を遣うな! いいか、あくまで遊びにくるだけだ。しかも奥多摩の奥地と聞けば、来ないかもしれない。それに、見るからに高校生か、精々が大学生といった年頃の女の子に手なんか出してみろ。通報されて前科持ちになるわ!)
(『合意の上であれば問題ありません』)
(…………)
ダメだ。DALIのやつは変な方向に思考を向けている。俺がしっかりして、変なことにならないようにしよう。というか、やはり断って帰るか。その方がいい気がしてきた。
人生において、初めてのシチュエーションでドキドキしていたが、人生を棒に振る結果になる可能性がある以上、諦めた方がいいだろう。
俺が内心で、そう結論づけた時、不意に声をかけられた。
「あれ? 実じゃない?」
振り向くと、昨日ぶりの奈美が立っていた。
「よ、よお。昨日ぶりだな」
「ええ、そうね。昨日はたっぷりお世話になったわ。アンタにあんな目に遭わされるとは思ってもみなかったから、今度お礼をしなくちゃと思ってたのよ」
奈美は笑顔を見せながらも、殺意を感じる視線を向けてくる。器用なヤツだ。
「ははは、お礼なんていらんから、気にするな。俺は用事があるんでな、奈美もどっか行くとこだったんだろ、早く行けよ」
「私は、ちょうど用事が終わった帰りなのよ。あなたこそ家から出てきて、こんな所にいるなんて珍しいじゃない。なんの用事なの?」
「ちょっと、人と待ち合わせでな。だから早くどっか行ってくれ」
「……なんか怪しいわね? また変なことでも企んでんじゃないでしょうね?」
奈美が俺を睨んだまま、顔を近づけてくる。
その時、俺たちの間に誰かが割り込んできた。
「お待たせしました! 実さん! この方ってどなたですか?」
割って入ってきたのは、紅歌ちゃんだった。
紅歌ちゃんは、俺たちを引き離すと、そのまま俺の腕に自分の腕を絡ませ、質問をしてくる。
「「…………」」
俺と奈美は、突然の状況に一瞬言葉を失うが、奈美が先に復活した。
「実、どういう状況なのかしら? こんな年端もいかない少女と何の約束?」
奈美が底冷えする様な殺気を放ちながら問いかけてくる。
「私、もうじき大学生です! 少女じゃありません!」
「そ、そういう事じゃなくてね。……実、どういう関係なのよ?」
紅歌ちゃんからの否定の言葉に、奈美が言葉を詰まらせ、俺の近くに寄ってきて耳打ちしてきた。
「いや、今日たまたま知り合って、懐かれたみたいで、家に遊びに来たいって話になっただけだ」
「……まさか、アンタ家出少女か何かを誑かそうとしてんじゃないでしょうね!?」
「そんなわけないだろ! 俺はまだ捕まりたくない」
奈美が小声だけど怒声を発するという、器用な技を披露してくるが、失礼なヤツだ。俺たちが小声でコソコソ話していると、紅歌ちゃんが半泣きになって、こっちを見ていることに気付く。
「……お姉さんは、実さんの恋人なんですか?」
「「…………は?」」
突然の問にまた二人で固まってしまう。
「やっぱり、すごい息がピッタリ! 恋人なんですね!?」
紅歌ちゃんの涙腺が崩壊直前になっている。どうすりゃいいんだ!? と思っていると奈美が慌てて返答した。
「いやいやいや、違うからね! 私達はそんな関係じゃないから。ただの幼なじみで、あなたが思ってるような関係じゃないからね!」
「そ、そうなんですか?」
紅歌ちゃんが腕にしがみついたまま、涙で潤んだ瞳を上目遣いにして見てくる。生まれて初めてみる光景の破壊力は凄まじかった。俺は言葉を発する事もできず。一回りは違うであろう少女の顔に見蕩れてしまっていた。
「何、見蕩れてんのよ!」
ボーッとしていたら、奈美から頭をはたかれ、正気を取り戻す。
「あ、ああ、ただの幼なじみで、たまたま会ったから少し話していただけなんだ」
「そうなんですね! ……先ほどはすみません、変なこと言ってしまって。私は陽ノ下紅歌です」
紅歌ちゃんが奈美に頭を下げて、自己紹介する。
「いえ、こちらこそ勘違いさせちゃったみたいで、ごめんね。私は片瀬奈美よ。コイツとは不本意ながら幼なじみなの」
「奈美さんですね。とっても大人っぽくて綺麗な人だから、ちょっと焦っちゃいました」
紅歌ちゃんがキラキラした目で、奈美を見るので、俺は訂正を入れておく。
「紅歌ちゃん、コイツは確かに見た目は綺麗だが、中身はとても凶暴で恐ろしいやつだから気をつけないとダメだ」
「誰が凶暴だ!!」
「ぐほぉっ」
俺の脇腹に、奈美の肘が刺さり、思わず情けない声を発してしまう。
「み、実さん! 大丈夫ですか!?」
衝撃でバランスを崩した俺を、紅歌ちゃんが支えてくれる。なんて良い子なんだろう。奈美とはえらい違いだ、と俺が感動しそうになっていたら、奈美からありがたいお言葉をいただく。
「紅歌ちゃん、大丈夫よ。コイツは見かけによらず丈夫にできてるから、これくらいじゃ死なないわ」
「し、死ぬとかの問題じゃないと思うんだが。純粋に痛いぞ」
「そうですよ! いきなりの暴力はダメです!」
「むぅ……、なんか調子狂うわね……」
俺の意見に、紅歌ちゃんが同意してくれたので、奈美が言い返せないでいる。いい気味だ。
「とりあえず、俺は紅歌ちゃんと約束があるから、もう行くぞ。じゃあ行こうか、紅歌ちゃん」
「はい!」
俺が紅歌ちゃんを伴って、歩き出そうとすると奈美が腕を掴んできた。
「ちょっと待ちなさい」
「なんだよ」
「紅歌ちゃん? こいつの家に遊びに行くってホント?」
「遊びに? いえ違いますよ。今日から一緒に暮らすんです!」
「「…………は?」」
また、俺たちはハモってしまい。固まってしまう。
「…………。やっぱり! アンタ家出少女を誑かそうとしてんでしょ!!」
奈美が俺の頭をホールドし、ヘッドロックをかけてきた。マジで痛い! コイツは胸は大きいから柔らかい感触もあって然るべきなのに、ただ痛い! どうなってんだ!?
俺は必死にタップするが、奈美は離してくれそうにない。ヤバイ、このままだと頭蓋骨が割れて、脳みそをぶちまけるハメになりそうだ。
「正直に答えなさい! 事と次第によっては、ここでトドメ刺すわよ!」
もう刺されそうです。親父とお袋が川の向こうから手を振ってる気がする。身体が軽いな。このまま、親父達のところに飛んで行けそうだ……。
「さあ、どうなの!?」
「あ、あの……、実さん。既に気絶されてませんか?」
「……え? ……あらホント」
+++++
俺が目覚めたのは、近くにあったベンチの上だった。
まさか、また幼なじみの手によって、生死の境を彷徨うことになるとは思わなかった。
「悪かったわね。また早とちりしたみたいで……」
「悪いと思っている人間の態度か、それは?」
俺から顔を背けて、言葉だけの謝罪をしてくる奈美に嫌みを言っておく。
「うっさいわね! アンタの今までの行いの所為よ! 勘違いしてもしょうがないでしょ!」
「逆ギレか。恐ろしいものだ、自分の過ちを認めない人間というものは」
「なに、それっぽいこと言ってんのよ。アンタこそ、自分の過去の過ちの数々を認めなさい」
「うるさいな。俺は既に自分の過去と向き合っている! そして、それを糧に成長しているのだ!」
「ホントかしらね?」
俺たちがギャアギャアと言い合っている姿を、横で見ていた紅歌ちゃんが羨ましそうな顔で見ていたので、話しかける。
「ん? どうかした? 紅歌ちゃん」
「いえ、幼なじみっていいなと思って。私にはそんな風にやり取りできる相手がいなかったので……」
俺と奈美は顔を見合わせ、気まずい顔をする。
「いえ、大丈夫なんです。ちょっと厳しい家だっただけなので。それに今日からは、私も友達を作って、やりたいと思ってたことをしまくるんです!」
「そ、そう。でも、流石に今日知り合ったばかりの男性の家に住もうとするのは、どうかと思うわよ」
「実さんなら大丈夫ですよ! だって、……もう抱きしめられたし……胸だって……」
紅歌ちゃんが、顔を真っ赤に染めらながら、また危険なワードを口に出し始めた。
「……実?」
まるで、北極にでも来てしまったのかと勘違いしそうな程に、冷たい視線を向けてくる奈美に、俺は生き残るための自己弁護を始める。
「ち、違う! 誤解だ! あれは事故だ。出会い頭にぶつかってしまっただけで、疚しいことなどない!」
「……どういうことかしら?」
未だ、極寒の冷気漂う視線を向けてくる奈美の誤解を解くべく、紅歌ちゃんに同意をも読めようと視線を送るが、まだ顔を真っ赤に染めたままクネクネしているので、戦力にならなそうだった。
「……待て。落ち着け、まずは深呼吸だ。……いいか、順を追って話そう。……だから待て! その物騒な拳を下ろせ!」
——その後、俺が奈美の誤解を解くのには、30分ほどの時間を要したのだった。




