出会いと死合い
今、久しぶりの男の身体で街を歩いている。
俺の名前は「不動 実」。今年で32才になる、健全になったばかりの一般男子である。
昨日は、本当に酷い目にあった。DALIのやつには二度と身体は使わせん!
とはいえ、おかげで元の身体はたった一日で見違えるほど引き締まり、少し出てきていた腹も割れ、細マッチョと言って差し支えない体つきになっている。
DALI曰く、肉体組織の修復時に色々と強化調整も施したらしい。じゃあ、最初からそういう調整を先に施しておいてくれと言ったら、生体組織自体が環境負荷により成長しようとする意思を持つことが重要だ、と言われた。よく意味が分からん。
うーむ、俺より賢い助手がいるって、俺の存在意義がヤバイ……。俺の研究テーマっていつの間にか、DALIが全て解き明かしてしまうんじゃないか……? ダメだ、これ以上考えるのはやめておこう。
それにしても、実際に強化されたという実感はある。
階段の上り下り程度では、まったく息切れしなくなったし、実際に歩いていて身体が軽い。背負っている鞄も重いはずなのが、重さなんてほとんど感じない。
まるで自分の身体じゃないみたいだ。みのりに初めて意識を移した時も同じ感想を抱いた気がするが、また違う感覚だ。
(『マスター。1km程離れた場所で力場の発生を感知しました。規模は、15nps程度ですが、継続して発生しています。座標を共有します。警戒を』)
「おおっ」
って、この身体でDALIの声を直接脳内で聞くのが初めてで、つい声に出して驚いてしまった。今の俺の脳は直接DALIと脳量子通信で繋がっているから、みのりの時と同じ様に話せる様になっている。
しかし、こんな新宿の街中で力場を感知するとは誰だ? パターン的にはオッサン達でもウィルでもなさそうだ。検出値も15nps程度だし無視しとくか。
npsは俺とDALIの間で便宜上定めた単位だ nepilim per seconds の頭文字でnpsだ。詳しい定義は一応あるが、俺のオーバーロードした際の下限放出量を10000npsとして基準にしている。
(DALI、報告ありがとう。俺に近づいてくるようであれば、また知らせてくれ。基本的には俺からは関わりにはならない様にしていくから)
(『イエス、マスター。では、マスターの半径200mまで近づいた段階でアラートを視界に表示します』)
(ああ、頼む)
視界に表示と言ってるが、脳内の視界データに情報を追加して、ARチックに認識させているだけだ。
それにしても、街中でオッサン達みたいなのが、普通に彷徨いてるもんなんだな。もっと隠れてるもんだと思ってた。まあ、ウィルがもう隠す必要はなくなったみたいなことも言ってたし、もう違うのかね。
って、これ反応が二つあるな。拡大っと。片方が逃げてる? ……こっちには向かってないし、やはり放置だな。
さて、そろそろ映画館に向かわないとポップコーンを買う時間がなくなるから急がねば。
+++++
今日の映画は、以前に見たドベンチャーズに続く大作ヒーローもので、ベターナルズだ。太古から地球を守ってきたヒーローを描く、ドーベルマンガ世界の新たな歴史が始まる訳だ。これは見逃せない。
それにしても、さっきからチカチカ鬱陶しいな。余計な情報は全てシャットアウトだ。
全部シャットアウト。
俺はさっきから視界の端で動き回っている、力場探知を消す。……これで映画に集中できる。
——やはり、ドーベルマンガ・シネマティック・ユニバースは最高だな。案外、オッサン達の言ってた神様ってベターナルズのことじゃないのかとも思ったが、まあ流石に漫画と神話だし別物だろう。
俺は映画を堪能したあと、劇場先行販売の限定ブルーレイを購入し、気分も上々に映画館を後にした。
ちょっと余韻に浸りながら、地下街に向かう階段を降り始めると、下からかなりの早さで人影が迫ってきた。
このままではぶつかると思い、俺は横に避けるが、人影もそれに合わせる様に動いたため、見事にぶつかってしまった。
「……いったぁ」
階段に打ち付けた腰をさすりながら起き上がろうと、手を地面につこうとすると、もの凄く柔らかい感触が手の平に返ってくる。
「……ん?」
俺が手を置いた場所を確認してみると、そこには見事な双丘がそびえ立っていた。
「あ……あの……、は、離していただけると。は、恥ずかしいので……」
真っ赤に顔を染めながら、上目遣いで俺を見てくる女の子は、俺の下敷きになっていた。
「おおぉ! 申し訳ない!」
俺は慌てて立ち上がろうとするが、足が絡んでいたために上手く起き上がれず、そのまま相手に覆い被さる様になってしまった。
「す、すまない! すぐどくから!」
「は……はい……」
その瞬間、なんとも言えない悪寒が背筋を襲った。
(『マスターの背後にて力場の発生を確認。放出レベルは118npsです』)
「なに!?」
俺が慌てて振り返ると、スーツ姿の女性があきらかに激怒した様に睨んでいた。
「……あなた、お嬢様に何をされているのですか?」
底冷えする様な声で話しかけてくる力場を発する女性。発言的には、どうやら俺の下敷きになっている女の子の保護者か何かだろうか。
DALIと思考空間を共有している俺は、その圧倒的な思考速度で、現状を整理し正しいであろう答えを考える。
答えは出た。俺は絡まっていた足をほどき、颯爽と立ち上がると保護者らしきお姉さんに答える。
「いえ、俺は(地下街に)入ろうとしただけなんです」
「殺す!」
お姉さんが急に俺に迫ってくると、首めがけて抜き手を放ってくる。
「ぬおぉぉ!」
咄嗟に避けるが、何故だ! 何故攻撃された!? 完璧かつ簡潔な最適解だったはずなのに!
(『はい、マスターの回答は簡潔で最適でしたが、女性に対して使う言葉ではありませんでした。大人しく制裁を喰らうべきだと推奨します』)
DALI!? DALIにまでダメだしされた!? 制裁を喰らったら死んでしまいそうなんですが!?
この間も、お姉さんは激しい攻撃を俺に繰り出してくる。
階段という場所で、且つすぐ傍に女の子が横たわっているから、このまま避け続けるのは辛い。DALIが示してくれる軌道予測と指示で、なんとか避けられているがギリギリだ。
持ちそうにないと思ったとき、お姉さんが予測通りに膝蹴りを脇腹にたたき込もうとしてきたので、その膝下に左腕を通し、右腕で腰を抱きかかえるようにして動きを止める。
「なっ!?」
お姉さんが驚いた様な声を上げるが、俺は落ち着いてもらうために声をかける。
「落ち着いてください。誤解です。ちゃんと話しましょ——」
俺が言い終わる前に、お姉さんにより俺の首はガッチリホールドされてしまった。
まずい息ができない。
「……死ね」
俺が必死にタップをするが、よりキツく食い込んでくる腕に、俺の意識はフェードアウトしていく。そして、後頭部にあたる柔らかな感触に身を委ねながら、俺は意識を失った。
+++++
目の前で起こっている事態が理解できない。
紅歌は、そう思っていた。
先ほど、自分の動きに反応してぶつかってしまった男性は、香貫火の攻撃を華麗に捌いている。
(……すごい。それにカッコいい。……って、なに考えてるの私は!)
しかし、まったく力場の気配はなく、普通の一般人の様にしか見えない。対して、香貫火は怒りのためか、力場を使った身体強化レベルを上げて、まさに手加減などない様に攻めている。
あり得ないことだ。自分たち天人が、本気で攻撃をしかけて一般人が対応できるはずがないのだ。そもそも自分の動きに反応したこともおかしい。
なのに、目の前の男性がそのあり得ないことを、平然と行っていることに違和感しか感じない。
紅歌がそう思って、成行を呆然と見ていると、香貫火が男性に捕まってしまった。
(うそっ!? 香貫火が捌かれるだけでなく捕まるなんて!?)
思わず心の中で叫んでしまった紅歌の目に、今度は男性のピンチが映る。
(あ! まずい! このままだとあの人、死んでしまう!)
「香貫火! ダメ! その人は偶然ぶつかってしまっただけだから!」
香貫火は、紅歌の言葉に反応すると、男性の首の拘束を少し緩める。
「しかし、この者がお嬢様に不埒なことをしたことは事実。殺しておいた方がよいでしょう」
「ダメだって! 一般の人を、そう簡単に殺すとか言わないでよ!」
「……仕方有りませんね」
香貫火が男性を話すと、そのまま倒れそうになったので、思わず紅歌は抱き止めた。
「お嬢様! そんな汚らわしい物体に触れてはなりません!」
「き、気絶しちゃってるんだから、しょうがないでしょ! そもそも香貫火が勝手に尾行するから、こんなことになってるんじゃない!」
紅歌は、思わず抱き留めてしまった男性の顔を見て、顔を赤らめながらも香貫火に言い返す。
「……そ、それは……。しかし、私の尾行に気付かれるとは、本当に成長されましたね、お嬢様」
「……話をすり替えようとしないでよ。とりあえず、この人を寝かせられる場所に運びましょう」
「分かりました。では、その者はこちらに」
そう言うと、香貫火は男性を肩に担ぎ、階段を下り始める。
「ここの地下駐車場に陽ノ下家の施設がありますので、そちらに運びましょう」
「分かったわ。……って、もっと丁寧に扱いなさいよ!」
二人は、男性を連れて地下に向かっていった。




