コーヒー好きと筋肉痛
「どうも早とちりしていたみたいで、……悪かったわね」
奈美が、ダイニングのテーブルを挟んで座る俺《DALI》に向かって謝罪する。
『まあ、奈美は昔から突っ走り気味だったからな。気にしなくていいぞ』
「くっ……、アンタに謝罪する日がくるとは……。屈辱だわ」
奈美が心底悔しいといった表情で愚痴を言う。奈美は既にみのり用に揃えていた服に着替えている。サイズはほぼ一緒なので、胸がキツいといった事もなく、まるでオーダーメイドの様にピッタリだった。
まあ当たり前だ。みのり自体が奈美をモデルに作った訳だからな。
しかし、ここまでピッタリという事は、こいつはあの頃の体型を維持し続けているという事か。31才であることを考えるとスゴいんじゃないか? と、つい視線を身体に向けてしまう。
すると、奈美が俺にキョトンとした顔を向けてきた。
「ん? みのりちゃん、どうかしか?」
「い、いえ、何でもないです。服がぴったりだなと思って」
「ああ、そうね。まるで拵えたかのように、ピッタリだったわ。それにスゴい可愛いんだもの。ありがとうね。こんないい服もらっちゃって」
「全然、大丈夫です。姉さんが勝手に買ってきたものなので、持て余してたんですよ」
「そういってくれると、こちらとしても気が楽だわ。ありがとう」
『ところで、奈美。結局、ここまで何しにきたんだ? まさか本当に俺をボコりにきただけなのか?』
「…………そ、そうよ。悪い?」
こいつは、本当に走り始めると相変わらずだな……。本当にそれだけが理由だとは……。
俺がドン引きしていると、俺《DALI》は謎のイケメン力を再び発揮し始める。
『そうか、それは残念だ。嘘でも俺に会いたくなったと言ってくれたら嬉しかったんだが……』
口から砂糖を吐きそうなくらいに甘い台詞をさらっとぶっ込んで来やがった。
DALIさんは、俺をどこに向かわせようとしているのか……。
まさか既に俺より賢くなってるからって、俺を何かの罠にはめようとかしてないよね? ね? と気弱になっていると、DALIから脳内に話しかけられる。
(『マスター。私がマスターを裏切ることなどありえません。マスターはご自身の魅力を理解されていないのです。私がマスターの魅力を正しく世に伝えて見せますので、どうかご安心ください』)
俺のプライバシーはすでにないのかもしれないと思いながらも、DALIの言うことに嘘はないはずだし、まあ元々信頼しているから、ただの冗談ではあったんだが。
しかし、俺の魅力を世に伝えるとか、一度DALIとじっくり話合った方が良さそうだ。
「まさか、実から、そんなクサい言葉が出てくるとはね……。そりゃ私も年取るはずだわ」
『いや、奈美は変わらずキレイだぞ』
「そういうのよ! ……何の臆面も無く、そういったことをそのまま言えるのは、まあアンタらしいのかもね」
一つ大きく息を吐くと、奈美は立ち上がった。
「まあ、いいわ。私の勘違いみたいだったし、もう帰るわ」
『晩飯くらい作るぞ。食べていったらどうだ?』
「そこまでお世話にはなれないわよ。それにもう帰らないと、自分の家に着くのがかなり遅くなりそうだしね」
『そうか、じゃあ駅まで送ろう』
「……いえ、送ってはもらいたいけど、自分で運転させてくれないかしら」
『ん? それは構わんが』
奈美が顔を青ざめさせながら、自分で運転するという言葉に、俺もDALIも首を傾げる。
「それにしても、リビングの家具とかは本当に大丈夫なの? 少しくらい弁償するわよ?」
『気にするな。俺の家が金持ちなのは知ってるだろ。あれくらい何も痛くないぞ』
「じゃあ、ありがたく甘えておくわ」
そう言うと、玄関に向かい始める。
「じゃあ、駅までは私が付いていくので、兄さんは晩ご飯の準備しててくれない?」
「あれ? みのりちゃんは帰らないの?」
「ええ、せっかく来たので、泊まっていこうかなと。この家、温泉もあるんですよ」
「へぇ、そうなんだ。家に温泉あるとかすごいわね。時間あるときにでもいただきに来ようかしら」
『ああ、いつでも来るといい。歓迎するからな』
俺《DALI》が爽やかな笑顔を見せながら、奈美に話しかけると奈美が半目で返事を返してくる。
「その時は、アンタはどっか言っててよね。みのりちゃんと入るから」
なに!? それは俺と入るという事か!? 理想の身体を生で見る機会が!? と俺が興奮していると、俺《DALI》がまた余計なことを言う。
『それは寂しいな、小さい頃は一緒に入ったのに』
「そんなの、まだ幼稚園とかの時の話でしょうが! このアホ!」
奈美が俺《DALI》の頭をはたこうとするが、また柔らかく受け止められ、そのまま引き寄せられる。
「なっ……、あ」
奈美がまた顔を真っ赤にしているが、俺《DALI》は本当に何をしているのか……。
目の前の状況に少し慣れてきた気がするが、俺が自分の身体に戻ったときは果たして生きていられるのだろうかと、心配になってきた。
『危ないな。元気な奈美は好きだが、痛いのはやめてほしいな』
「……ああああ、アンタ何言ってんのよ!!」
しばらく固まっていた奈美が、頭から湯気出るんじゃないかってくらいに顔を更に真っ赤に染め、俺《DALI》から距離を取った。
ダメだ、DALIさんには二度と俺の身体を使わせない様にしよう。色々と手遅れな気はするが、そうしよう。
「ああ! もう帰るからね! 行きましょう! みのりちゃん!」
「は、はい!」
『ああ、わかった。気をつけてな』
奈美が真っ赤になったまま玄関に早足で向かうので、俺はそれを追いかける。
玄関を出て車まで近づくと、俺は奈美に鍵を渡した。
「では、運転よろしくお願いします」
「……ええ、ありがとう。じゃあ、行きましょうか。……あっ、私はちゃんと安全運転で行くからね」
俺と奈美は車に乗り込むと、既に日が落ちかけて暗くなった道を走り始めた。
+++++
俺と奈美は、ホームで電車が来るのを待っていた。
「みのりちゃん、駅まで着いてきてもらって悪かったわね」
「全然、大丈夫ですよ。ちょうど切らしてるコーヒー豆があるらしいので、帰りにもらってきてくれって言われたんで」
「あなたたち兄妹って、灯さんもそうだったけど、本当にコーヒー好きよね」
「あはは、そうですね。多分、両親の影響かなとは」
「そっか、ごめんね。変なこと聞いちゃったわね」
「いえ、気にせず話してください。その方が父さん達も嬉しいと思うので」
俺が気にしてないと首を振って伝えると、奈美はどこか寂しそうな表情を浮かべた。
「章おじさんと巴子おばさんは、私も大好きだったわ」
章と巴子は俺の両親のことだ。
奈美も小学生くらいまでは、よく家に遊びに来ていて、一緒にかわいがられていた。
「二人とも、両親がいなかった私には本当の両親の様に思えたもの」
「そういえば、奈美さんも早くにご両親亡くされてたんですよね?」
奈美の両親は、俺たちが物心つく前には亡くなっている。死因などは良く分かってないらしいが事故死と聞いている。
奈美は祖父母の家に引き取られ、そこからの付き合いだ。
「ええ、私は両親のことはまったく覚えてないんだけどね。みのりちゃんは覚えてる?」
「私は覚えてます。とはいっても小学生くらいの頃なので、はっきりと言うほどではありませんが」
「そう。……で、なんの話してたんだっけ? コーヒーか。そうそう、実って小学生の頃からコーヒー飲んでたのよ。章おじさんはもちろん、縁さんに灯までコーヒーでしょ。遊びに行くと朋子と私だけよ。お茶とかジュース飲んでたの」
「ははは、そうですね。ウチは本当にコーヒー好きな家系みたいでして、豆農家さんとも直接契約して栽培までしてるみたいですしね」
「さすがは不動家って感想しかでないわ……」
そうやって、俺たちが益体もない話をしていると電車が来たようだ。
「あっ、電車来たわね」
奈美がベンチから立ち上がり、ホームに停まった電車に向かう。
俺も後を追うように立ち上がり、入口の近くまで行くと挨拶を交わす。
「じゃあ、お気を付けて」
「みのりちゃんもね。あのアホに何かされたら、すぐ連絡ちょうだいね。成敗しにいくから」
「は、はい、わかりました」
——プシュー
誰が、自分に対しての死刑執行宣言などするものか。と内心思っていると電車のドアが閉まった。
奈美が中から手を振っているので、こちらも振り返しておく。
(DALI、奈美を見送ったから、今から戻るよ)
(『イエス、マスター』)
俺は、車に向けて移動しながらDALIと話す。
(戻り次第、そちらの身体に戻りたいから準備を頼む)
(『イエス、マスター。準備を進めておきますので、安全運転でお帰りを』)
(ああ、わかった。そっちもよろしくな)
+++++
俺が家に着くと、リビングには既に俺《DALI》の姿はなく、ボロボロになった家具や家電だけがあった。
「家具とかは、我妻さんに見繕ってもらうか……」
俺はリビングのことを我妻さんに丸投げすることを決めて、研究室の方に向かう。
「DALI? なんで俺の身体がメンテナンスカプセルに入ってるんだ?」
研究室に入ると、俺の身体が本来は「みのり」用のメンテンスカプセルに素っ裸で収まっていたので、この状態にしたであろうDALIに質問する。
『おかえりなさい、マスター。メンテンスカプセルにマスターの身体をセットしている理由は、意識を戻していただければ分かります』
「この状態でか?」
『はい、この状態がベストであると判断します』
「そ、そうか、じゃあ頼む」
俺がDALIに言われるがまま、本来は男の俺が入っているはずの同期用ベッドに横たわるとDALIが作業を開始した。
『それでは、同期を始めます……。<みのり>をスリープモードに移行………………完了。仮想脳組織体の接続先を変更………………完了。マスターとの接続状況をチェック……………………クリア。マスターのスリープレベルを覚醒レベルに移行します…………』
——マスターに会いたい……
——マスターは何故わたしを捨てたのでしょうか……
声が聞こえる。誰の声だろう。DALIじゃない。誰だろう……?
「……………………って、イタァ!!」
まどろみの中から意識がはっきりとしてくると同時に、俺は体中にとてつもない痛みを感じ、カプセルの中でのたうち回る。
『おはようございます。マスター』
「……お……おはよう、じゃ……ない。なんなんだ、……この痛みは」
俺は衰えることのない痛みに耐えながら、DALIに質問する。
『はい、先ほどの運動の影響です。いわゆる筋肉痛と言われる生理現象です』
「き……筋肉痛? って、なら来るのが……早すぎないか?」
『先ほどの運動は、コールドスリープ直後ということを差し引いても、マスターのお体にはかなり過度となる負荷がかかるものでしたから、筋繊維の損傷度合いが酷かったためですね』
「……それが……わかってて、なんで戻したんだ……」
DALIに対して抗議の目を向ける。向けたのはモニターであって、DALIではないのだが。
『マスターに、運動による健康維持の必要性を実感いただくためです。普段のマスターは全く運動もされず身体機能の低下が著しい状態でした。お体をお借りした際にチェックを行いましたが、マスターの身体機能レベルは同年代の平均値と比べ、27.2%も劣っています。奈美さまとの事は想定外ではありましたが、ちょうど良い機会でしたのでトレーニング相手となっていただきました』
「そ……それなら、EMSとかでも……よくなかったか?」
『そういった機具では、筋繊維のみの強化となりますので、身体機能の向上目的には向いておりません。心肺機能や神経系への負荷、骨格、各細胞組織自体への環境負荷を考慮した際に、奈美さまとの模擬戦闘は最適なトレーニングでしたので、少し奈美さまにはお付き合いいただきました』
「…………わかったから、じゃあ……早く……治して……くれ」
『イエス、マスター。メンテンスカプセルへ有機体活性剤を注入します……』
俺は、改めてDALIには身体を使わせまいと誓い。活性剤が注入され視界が青っぽい液体で埋め尽くされることを視ながら、意識を落としていった。




