沸き立つ血と天使の梯子
俺の翼の一部がまるでガラスかの様に砕け散った。
「おやおや、私程度の力で砕けてしまうとは、なんとも脆い翼をお持ちだ。ますます御使い様と信じられなくなってきましたねぇ」
ウィルギリスは相変わらず両腕を動かし続けている。
恐らくあの動きで力場の操作をやっているんだろうが、まだ俺自身がフィールドの感知に慣れてないせいで上手く把握できない。オッサンと試した時は、あんなに上手くいったのに。
「ちっ! DALI破損箇所の修復は任せた」
(『イエス、マスター。翼部、放熱フィルムを再展開します……完了』)
「おお! 御使い様はその様なお力もお持ちなのですね、では安心して色々な事ができそうですねぇ」
「ふざけるな! こっちはお前の相手なんてしている場合じゃないんだ、邪魔せずどっか行ってろ!」
「いえいえ、そうも行かなくてですねぇ。人々に超えられない試練を与えるのも、私の役目の一つでしてねぇ。その乗り越えられない壁から御使い様が救ってくださるという教えがあるんですよ」
ウィルギリスはオッサンから聞いていた通りの御託を並べると、次々と俺に攻撃を仕掛けてくる。こっちは重力フィールドの制御でまともに躱せないため、やられ放題だ。
(DALI! 脳量子通信による演算の補助はできないか!?)
(『まだテストデータが揃っていないため、推奨できません』)
(構わないから、台風側の重力フィールドの演算をそっちに任せたい! できる限り出力は維持するが、こちらでも使うことになるから、そこの揺らぎの調整だけでもしてくれ!)
(『イエス、マスター。では脳量子通信による演算補助を開始します』)
しばらくすると、俺の演算領域が随分と空き始めた。
それに、DALIとシンクロすることで、力場の感知もかなり精度が上がった。これなら、なんとかなりそうだ。
さっきから、人を言いようにボコボコにしてくれやがって! きっちりとっちめてやる!
「おや、動きが変わられましたねぇ。もう台風の方は諦められたんですか?」
「そんなわけないだろ。台風もお前も大人しくさせてやる!」
俺は周囲に加重力を込めたフィールド、「重力弾」と名付けたモノを無数に展開する。
「おやおや、これこれはすごいですねぇ。これほどの多重展開はそうそうお目にかかれませんよ」
「随分と余裕じゃないか。じゃあなんとかしてみろ!」
俺が重力弾をヤツに向けて一斉に突っ込ませようとした瞬間、重力弾は動く前に崩れ去った。
「なに!?」
「いえね、私も多重展開は得意なモノでしてねぇ。もちろん力の規模ではとてもとてもかないませんが、この程度の芸当であれば簡単なものですよ」
この野郎! 俺の重力弾に自分の力場をぶつけて、形を構成している力場の膜自体を壊しにきやがった!
確かに合理的な方法だ。だが、100はあった重力弾全てを同時に破壊するとか、どんな頭の構造してやがる。こいつ本当に人間かよ……。
「それにしても、御使い様ともあろう方ならば、もう少し言葉遣いは丁寧にしてほしいものですねぇ」
「うるさい! お前みたいなのに丁寧な言葉遣いする必要なんてないんだよ!」
「それは残念。では少し黙っていてもらいますかねぇ」
ウィルギリスがそう言った瞬間、急に息苦しくなってきた。
あの野郎、俺の周囲から空気を奪ってやがるな。このままだと真空状態にされる! 俺は自分自身に加重を掛け急激に海面に向かって降下することで、ヤツの力場から脱出する。
しかし、俺自身が上手く感知ができないことを差し引いても、DALIの観測でも把握しきれない、あいつの力場はどうなってるんだ? 使い方が上手いってことなのか?
それに引き換え、俺の重力フィールドは光ってるから丸わかりだしな。どうしたものか……。俺はヤツの力場に捕まらないように常に移動しながら、ヤツをどうとっちめてやるか考える。
とはいえ、装備してきたマテリアルスーツのおかげでまだ戦えているが、これ以上長引くと身体本体に影響が出始めるな……。台風側さえなんとかなれば、周辺一帯を重力フィールドで覆って動けなくしてやれるんだが。
俺が考えている間も、ウィルギリスは周辺の空気を圧縮し、こちらに向けて放ってくる。
先ほど一度当たってしまったが、かなり圧縮されているらしく解放された瞬間に凄まじい衝撃が襲ってきた。センサーでなんとか光の屈折率が違う箇所が特定できるから避けられているが、かなりの極小サイズで観測自体が大変だ。
「先ほどから逃げ回ってばかりの様ですが、そろそろ何かしてくれませんかねぇ。飽きてきましたよ」
クソ野郎め、じゃあ驚かしてやる!
そう思った瞬間、俺はヤツからの攻撃をまともに受けて海に叩きつけられる。
その衝撃で大きな水柱が立つと同時に大量の水蒸気が発生し辺りを覆い尽くした。
「うーむ、まさかこれで終わりではないですよねぇ」
水蒸気に寄って視界が悪くなった中でウィルギリスが呟くと同時に、ヤツはいきなりそびえ立った立った新たな水柱に囚われる。
「こ、これは!?」
「どうやら、上手くいった様だな」
俺は光を湛えたまま海中から浮かび上がると、ヤツを捉えている水柱を球体状に成形する。
「よう、聞こえてるかしらないが、まだ溺れてないか?」
俺はセンサーで水球の中の状態を確認する。流石と言ったところか、あの野郎は自分自身を気流の膜で覆い、水没は免れている様だ。
「ええ、聞こえていますよ。今の攻撃は素晴らしいですねぇ。それにこのままの状態では、私如きではすぐに力が枯渇して溺死してしまいそうですねぇ」
「その割に、随分と平気そうだな。まだ隠し球でもあるのか?」
「そうですねぇ、この水牢とでもいいましょうか。かなりの密度で覆われてしまっていますし、内部の大気だけではどうにも崩せそうにありませんので、奥の手を使わせていただきますかねぇ。これは私も無事では済まないので使いたくなかったんですが、仕方ないですねぇ」
「それなら降参したらどうだ。今なら、こんなことはもうしないと約束するなら見逃してやるぞ」
「いえいえ、それでは私の役目を果たせませんので……」
「役目って、俺を見つけるって話じゃないのか?」
「それは、今回のですねぇ。私自身の本来の役目とは違いますねぇ」
「本来の役目?」
「ええ、先ほども申しましたとおり、私の役目は人々への試練を与えることですのでねぇ。……それでは、そろそろツラくもなってきましたので、奥の手を切らせていただきましょう。御使い様においては、是非とも敬虔なる信徒の皆さんに救いの手を与えられるといいですねぇ」
「なにを!?」
「『雷霆の降臨』!!」
ウィルギリスが叫んだ瞬間、上空からとてつもない衝撃が身体に叩きつけられた。
「がはっ!?」
何が起こった!? 辺りを探ると周辺一帯の海面が凍り付いている。
(DALI! 今の状況はわかるか!?)
(『イエス、マスター。観測データから、局地的なダウンバースト現象が発生したものと思われます。現時点でも周辺への冷気の伝搬が急速に進んでいます。このままですと、伊豆半島南端部から三十キロ程度までの内陸部が氷結する恐れがあります。また周辺を飛んでいたヘリも直撃はしませんでしたが、既にコントロール不能に陥り、数秒後には氷結した海面に墜落するかと思われます』)
なんてことしてくれるんだ! あのクソ野郎!
まずはヘリを何とかしないと時間がない! 俺はコントロール不能に陥っているヘリの座標をセンサーで把握し、それぞれを重力フィールドで包んでいく。正直いって、今使える出力だと重い……。
なんとか、ヘリを氷付けの海上に不時着させると、次は今も海上に拡がっていく氷結現象を止めるべく、海岸付近に向かう。
「くそっ、そろそろスーツに積んできた予備の血液もなくなりそうだ。それに身体へのダメージも限界に近いな……」
デウスの心臓は血液を大量に送ることで、より出力を増す。
今は三十分ほど全力稼働中だ。体内のストックはとっくになくなり、マテリアルスーツに積んでいたストックを使っている。
そして、このデウスの心臓は出力が上がるに連れ発熱量も上がっていく。その為の放熱機構は色々と積んでいるが、血液の蒸発は完全に抑えられない。また、その発熱は生体パーツで作られている身体にもダメージを蓄積させる。
はっきりいって稼働限界に近い。
こんな状態で果たして止められるのか、と弱音を吐きたいが、海岸近くにいた人たちは恐らく事態を把握できていないだろうし、避難を始めていたとしても到底間に合わないだろう。また、やるしかないわけだ。
(『マスター、台風の質量の削減率が40%を超えました。現時点で熱帯低気圧へ変化する確立は99.1%です。台風側への重力フィールドの展開を停止されますか?』)
きた! これでなんとかなる!
(ああ! 演算補助はこのまま手伝ってくれ! まずは、ダウンバーストによる極低温気流のシミュレートを頼む! 俺は一番近い伊豆半島の南端の海岸部からできる限りの範囲の気流を抑える! それ以外の範囲はDALIの方で制御して抑えてくれ!)
(『イエス、マスター』)
俺が海岸部に近づくと、多くの人々が驚いてスマホを向けてくる。それどころじゃないんだがと思いながらも俺は迫ってくる極低温の気流を抑えるため、海に向き直った。
「さて、ストック的にはギリギリかな。DALIに回す分も考えると、かなり細かな制御しないと持たないな」
俺はウィルギリスがやっていた様に、両腕を前に出すと、ピアノを弾くように指を動かし始めた。
あのクソ野郎は性格は酷かったが、力場のコントロールは絹糸を扱うかの如く繊細で、無駄など一切なかった。あの水球の中でのあいつの様子を観測できたから分かったが、それほどの粒度と精度で力場を制御していた。だから出力的には俺より圧倒的に劣っていても常に上手をいかれた訳だ。
正直、見習いたくはないが、力場のコントロールについては、参考になりまくる。特に低出力であっても、紡いで、紡いで、流れを導くことで大きな力を生み出せる。今の俺に不足していることを、これならカバー出来る。
俺の周囲から金色の糸が何十本、何百本と揺らめき、次第に絡み合い、より太い糸へと紡がれていく。紡がれた糸は朱金色の輝きを帯び、まるでドレスを着ているかの様に身体を覆い始めていった。
(DALI、そっちはどうだ?)
(『イエス、マスター。こちらのシミュレートは完了しています。マスターの出力の81.2%を使用し対処可能です』)
(わかった、じゃあ処理を頼む)
「じゃあ、やりますか。『紡がれるは天使の梯子』!」
俺の身体を覆っていた朱金色の糸は、まるで天に帰るかのように上空を覆う雲へと吸い込まれていく。そして、雲に吸い込まれたかと思われた無数の糸は、その雲に穴を開け、今度は海上を進む氷の波に向かって降り注いだ。
+++++
俺は先程までウィルギリスと戦っていた場所に戻ってきていた。
「多分、この辺だよな」
辺り一面が氷漬けになった中でも、特に大きい氷山の様に盛り上がった塊をコンコンと叩く。
「まだ生きてるな」
俺は目の前のは氷の塊を、自身の掌から放たれる熱で溶かして穴を開けていく。しばらくすると穴の先で氷に覆われて動けないでいるウィルギリスを見つけ、声を掛けた。
「いたいた。おい大丈夫か?」
「……ええ、なんとか」
「お前、アホだろ。完全に自爆技じゃないか」
「いえいえ、楽しくなってきまして、ついねぇ。それよりも私を助けにきてくださったので? もしそうならば、そちらの方がアホなんじゃないですかねぇ」
「まったく口の減らないやつだな。ああ、俺はアホだからな、目の前で死なれると目覚めが悪くなるから助けてやるよ」
俺は開けた穴の中に重力フィールドを通し、一気に押し広げる様に荷重をを発生させた。すると、氷塊は俺が空けた穴を中心にひび割れていき、最後は一気に砕け散った。
ちょうど昇り始めた朝日が砕けた氷の粒に反射し、辺りを光の粒で埋めていく。
流石に限界だった俺はオーバーロードを解除し、翼をしまって一息つこうかと思ったら、氷から解放されたウィルギリスが、よろめきながら倒れてしまった。
流石にこのままにもしておけないので、俺はウィルギリスに近づき陸地に運ぶために抱きかかえる。
「これはこれは、御使い様に抱きかかえられるとは光栄の至りですねぇ……」
「まだ、そんなこと言える元気あるのかよ」
しぶとく悪態をつくウィルギリスにため息を吐きながらも、抱きかかえながら立ち上がろうとした頃には、オーバーロードを解除した俺の髪から朱金色の輝きが消え始めていた。
長時間放熱させ続けいた影響か、色素が完全に抜け落ちて真っ白になってしまった髪を見て、染め直せるかな? と益体のないことを考えるのであった。
+++++
ウィルギリスは、その光景に目を奪われていた。
まるで神話に出てくる女神の様だと思っていた。
美しく濡れそぼった銀髪に、水平線上に現れ始めた太陽の光が煌めく様は、この世の全てを包み込んでくれる慈愛の輝きにしか見えなかった。
今までの自分は、まさにこの輝きを、慈愛の光を見るが為にあったのだと直感した。
だが、今までの自分がどれほど不浄であったのかも自覚している。だからこそ彼はどうすれば許されるのか? どうすれば罪を贖えるのか? 自問自答する。この不浄なる身をも救おうとする慈愛の女神に報いるためには、どうすればいいのかと。
ウィルギリスはまともに動かない身体をなんとか動かし、氷上に立つと慈愛の女神にに跪く。
「数々の無礼、そしてこの不浄なる身に対して、いかなる罰をもお与えください。そして、私を御身の一助とさせていただく機会をいただけないでしょうか」
ウィルギリスは長い人生に於いて、初めて誰かのために生きたいと願った。
自分が決して、この様な人の傍にいることが許される人間ではないことはわかっていても、それでも願った。
どれほどの時間、願ったかは分からないが、ふと自分の髪を優しく撫でる感触を感じ、ウィルギリスは顔上げた。
そこには慈しみの瞳をもって自分を見つめる、美しい女神が微笑を湛えていた。そして雲の切れ間から覗く光に照らされている姿にウィルギリスが見蕩れていると、その唇から言葉が発せられる。
「——の子よ、あなたの全てを許しましょう」
その唇から紡がれた美しい旋律の如き言葉に、ウィルギリスは頬を伝う涙を止められなかった。そして、その涙を隠すかのように、より深く頭を下げた。
「この身命が続く限り、お傍に」
昇りゆく太陽の光に照らされ、二人の影は煌めく氷上に長く伸びていた。
まるで祝福するかの様に。




