視られたい女と探る男
姉の無茶振りを受けてから一週間ほど経った頃、俺は、渋谷の街中をみのりの身体で独り歩いていた。
結局、男の身体にはしばらく戻れそうになく、しばらくは構想した仕組みの検証を、DALIに頼んで進めてもらっている。上手くいっても三ヶ月くらいはかかるだろう。
なので、その間は視線に関する検証を進めることにした。
アイドル稼業で視線は集められるものの、ステージ上では向けられる視線が多すぎて判別できない。それにステージ上に三人もいると、俺が見られているのか、他の二人が見られているのかも判りづらい。
そこで、独りで出歩いているわけだ。渋谷だと不埒な視線を向けてくる健全男子も山ほどいることだろうしな、というわけで俺は渋谷辺りをプラプラと歩いている最中だ。
「なんで、みんな見てこないんだろう? 結構エロい服を着ているはずなんだが……」
俺はプラプラするのにも飽きてきて、人通りの多い1○9の前に突っ立っている。
ピッタリと胸のラインが出るニットのセーターに、ちょっと大胆なスリットの入ったタイトなロングスカートを合わせ、顔には大きめのサングラス、頭には唾の大きい帽子を被っていて、ザ・エロいお姉さん風の雰囲気が醸し出ているはずだ。
しかし、何故か俺の周囲は人がおらず、遠巻きにされている感じだ。視線もあるにはあるのだが、男も女も胸や尻といったところを見ると言うより、なんか全身を見られている感じだ。これは、拡張した外部センサー類からの情報なので正しいだろう。
俺は、どうにも納得のいかない状況に首を傾げていた。
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その女性は美しく、そこに立っているだけで周囲の人々を魅了していた。
「ねえ、あの人誰かしら?」
「どこかにカメラあるとか?」
「映画の撮影?」
周囲の人々はどこか触れ得ざる空気を感じ取り、その女性を遠巻きに色々と想像をかき立てている。
そんな喧噪から少し離れた人気の少ない路地で、一人の男が歩いていた。
(結局、あれ以来、あの力は感じる事ができん。勘違いだったとでも言うのか? しかし、俺の中には確かに以前の力が戻ってきている)
ニムスと呼ばれていた男だった。服の上からでもわかるほど鍛え上げられた体躯にも関わらず、足音もたてずに歩く姿は一見して違和感を感じそうだが、その気配は恐ろしく薄く周囲の人々には何の印象も残しそうもない。
(あの時の感覚はたしかに覚えている。こうやって街中を移動し続けて行けば、いつかは見つけられるかもしれん。それに第七使途が、このまま大人しく引き下がるとも思えんしな。しばらくは、地道に調査と警戒を続けるしかなかろう)
ニムスがそんなことを考えながら、大通りに近づいた時、かすかな香りに気付く。
(ん? この匂いは、あの時の力に似ている? 力を感じる事はないが匂いは同じだ。どこだ!?)
ニムスが立ち止まり、辺りを見回すと、やたらと注目を集めている場所を見つける。
(あそこからだ! やたら人が集まってるな。なにがある?)
ニムスは人混みを縫うようにして、人垣の中心へと進んでいく。そして、たどり着いた目の前には、まるで一枚の絵画の様な美を感じさせる女性が立っていた。
(なんだ、あの別嬪さんは。だが、たしかにあの別嬪さんから、かすかに匂いを感じる。あの時の匂いを)
ニムスがじっと彼女を見つめ、その匂いを確認していると、その女性は唐突にニムスの方に視線を向けた。同時に周囲の人々もニムスを見る。
(うぉっ!? なんだ急に!?)
急に周囲の視線に晒され、動揺しているニムスに、その女性は近づいてきた。女性はニムスの目の前まで近づくと歩みを止め、その美しい唇から言葉を発した。
「あなた、わたしのこと見てましたよね?」
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なんでか知らないが、視線が増えたし、人垣も増えている様に思える。というか実際に増えている。うーむ。そろそろ、ただ突っ立ているのにも飽きてきたし、胸とかじっくり見てくるやつもいないみたいだから、他の場所にでも行こうかな。と考えていると、ふと今まで感じたことのない感覚を覚えた。
なんだこれ? これは・・・、見られている? 俺、見られているのか? なんか、ねっとりとした感じがする。これが不埒な視線!?
俺は思わず、その視線を感じる方向に顔を向けた。
そこにはゴツい身体をした、四十代くらいかなと思える強面な感じのオッサンがこちらを見ていた。
あのオッサンか? たしかにエロそうな雰囲気を持ってるな。あの年で、自分の娘くらいの見た目の俺に不埒な視線を向けてくるとは……、相当な変態だな! これは確認しなければ!
やっと感じる事のできた不埒な視線の持ち主だ。俺はさっそく実験のために拉致・・じゃない実験に協力してもらうためにも、対話をしようと近づいていく。
オッサンの目の前まで近づいた俺は、確認のために問いかける。
「あなた、わたしのこと見てましたよね?」
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ニムスは焦っていた。周囲の視線からも、目の前の女性の言葉からも、相当にマズい状況になっていると。
「い、いや……。見てはいない。……いや、見てはいたが、そんな変な意図ではなくだな!」
ドツボにハマりつつあったニムスを救ったのは、見られていた女性自身であった。
「やはり、私を見ていたんですね! 素晴らしい! 是非とも、ご協力いただきたいことがあるので、二人になれるところに行きましょう!」
そう言うと、女性はニムスの腕をとり、人垣をかき分けてホテル街と思われる方向に向かっていくのであった。
残された人々は何が起こったのか、よくわからず呆然とし、腕をしっかりととられたニムスも突然の状況に理解が追いつかず、なすがままに連れられていくのであった。
——ニムスは状況についていけないまま、表通りからは少し路地に入ったところにあるレトロな内装のカフェに連れてこられていた。
目の前には先ほどの少女とも言える程度の年齢に見える女性が、やたらニマニマした顔をして座っている。
「ここは知り合いがやっているカフェで、この席は周りからだとあまり見えないし、会話も聞こえにくいので、周りからジロジロ見られることはないので安心していいですよ」
ニムスが周囲を気にしているそぶりを見せていると、少女が心配はないと伝えてきた。
「気をつかわせた様だな。悪いがいつ通報されるもんかと、ヒヤヒヤしていたもんでね。で、なんでいきなり俺みたいなのを、こんなところまで連れてきたんだ?」
ニムスはこの不思議な感覚を覚える少女に警戒心を覚えながらも、相手の意図を探ろうとしてくる。
「あなたの視線を感じたからです! さあ、もう一度あの不埒な視線を私に!!」
ニムスは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をさらし、しばし呆気にとられる。
「あれ? あの時のやらしい視線はどうしたんですか? ほら? こんな感じだとどうですかね?」
少女は立ち上がると、何やら艶めかしいと思われるポーズを取り始めた。
呆然としていたニムスだが、自分がどう思われていたのか理解し、立ち上がり否定する。
「……って、誰が不埒な視線だ!? そんな眼で少しも見とらんわ!」
「ええ!? だっておじさんの視線を感じたんですよ!? なんかこうねっとり? 探るような感じの?」
「いや! それは違う! 確かに探るような視線は送ったかもしれんが、そちらが意図するような視線は送っていない! それに、そんなことを言ったら周りにいた男どものほとんどが、君を不埒な視線で見ていたぞ!」
「え〜、そんな……。私はおじさんの視線しか感じなかったのに……。やっと感じたと思った、いやらしい視線だったのに……」
不穏なことを呟きながら、とたんに落ち込み始めた少女に、ニムスは誰かに助けを求めようと周囲を見渡すが、この座席は周りからは見えづらく、同様にこちらからも周りが見えないので助けを呼ぶことはできそうになかった。そもそも、いったいなにが起こっているかすら、よくわからなかった。
(——ミリア! 助けてくれ! 目の前の少女が何を言ってるのか、さっぱりわからんのだ! おい、ミリア! 聞こえているか?)
(——聞こえていますよ。というか少女ってなんですか?)
ニムスは心の中でミリアという人物に話しかけると、今に至る状況を伝えた。
(——うん。私もわかりませんね。というか、そんな年の離れた少女をいやらしい眼で見てたんですか!? ちょっと私、ニムスさんの事が信じられなくなりそうです! 通報した方がいいですかね?)
(——だから、見てない! あくまで俺の鼻に引っかかったんだ。確かに力場はまったく感じないが、なぜかあの時の力に似たものを匂いで感じるんだ。だから探ろうとしてジッと見てしまっていただけだ)
(——やっぱり見てるじゃないですか!?)
(——違う! 探っていただけだ!)
ニムスが声を出さずに誰かと言い争いをしていると、目の前の少女が不満げになっていた。
「ねえ? ちゃんとエッチな眼で見てくれてますか?」
「だから見とらんわ! はぁ……、君から不思議な匂いを感じたから、ちょっと気になって探るような視線を送ってしまっただけだ」
「え? 私ってなにか臭いますか?」
自分の身体をクンクンと臭い始めた少女にニムスはフォローをする。
「いや、変な臭いがしているとかではない。ちょっと俺の鼻は特殊でな、以前に嗅いだことのある匂いを君から感じたんだ。それで気になっただけだ」
「ふーん、そうなんですね。ところで、その『探るような視線』って言うのを、もう一度私にやってみてもらえないですかね?」
ニムスは、またよくわからない事を頼んできた少女に片眉をあげて訝しむが、しかたがないかと了承する。
「……わかった。だが、また人を不埒な男あつかいするのだけは勘弁してくれよ」
「ええ、もちろん! 協力者に失礼なことはしませんよ」
ニムスは訝しんだ表情のまま、肯定の意を返してきた少女に先ほどと同様の探りを入れる視線を送る。
すると、少女は眼を瞬かせ興奮した様子を覗かせる。
「キタキタキタキタ! これですよこれ! この纏わり付く感じ! これです! やっと私にも感じる事が!」
(なんなんだ、この娘は? しかし、探りを入れたときに反応する……? まさか! 力場に反応しているのか!? だとしたら当たりか!? 少し試してみるか)
ニムスは探りを入れる視線に変化をつける。それは、見えない力の塊の表面に凹凸をつけるかの様に。それに少女がどの様に反応するか確かめようとする。
「なに? 胸を触られた様な……。今度はお尻!? おじさんが触った!? 痴漢のプロ!?」
「触っとらんわ! 誰が痴漢のプロだ! 人聞きの悪いことを言うな!」
ニムスは、自分に降りかかろうとする不名誉を全力で否定する。
「まったく、さっきから人をなんだと思ってるんだ……。しかし、どうやら君は俺の力を感じとっているらしいな。」
「どういう意味ですか?」
「こういうのだよ。見えているんじゃないか?」
そう言いながら、ニムスは人差し指を天井に向けた。




