90.前へ進む覚悟
俺たちは吹雪の中を進んでいく。
常人ならこの環境に負け、足元をとられ命を落とすだろう。
幸いなことに俺たちは、これよりも厳しい環境を知っている。
師匠に扱かれていた時のほうが、何百倍もきつかったと。
「あと少しで雲を抜けるな」
「うん!」
シトネもちゃんとついてきている。
迷いや戸惑いを残しながらも、俺の後ろにピタリと張り付くように。
この程度の環境でどうこうなるほど、シトネは弱くない。
たぶん、試されるのはここからだ。
「抜けた!」
雲一つない青空が広がる。
後ろを見れば、一面に広がる雲のじゅうたん。
雲より上へと足を進める体験なんて、早々出来ないだろう。
「凄い……凄いよリン君!」
「ああ」
シトネは楽しそうにその光景を眺めていた。
俺は懐かしさを感じる。
この場所ではなく、師匠が作り出した天上の世界と似ているから。
「先を急ごうか」
「うん!」
山頂へ近づくにつれ、違和感が身体を襲う。
空気が薄いのではなく、空気が重い。
物理的な重さとは違う。
言葉では表現しずらい感覚だが、俺には覚えがあった。
「初めて本気の師匠を前にした感じか」
そして、山頂にたどり着き理解した。
広く窪んだ地面と、その中心に聳え立つ藍色の結晶から感じられるのは魔力だ。
「あれが――」
「ヤタハガネ!」
ヤタハガネは魔力を持つ特殊な鉱石。
その濃度は大きさに比例して濃くなり、大きいものでは聖域者にも匹敵する。
目に前にあるそれは、十メートルはユウに超えている。
違和感の正体は魔力濃度の濃さだ。
この一帯だけ明らかに、尋常ではない魔力が満ちている。
全てあの結晶から漏れだした魔力だろう。
人間の魔力とも異なり、異質なそれに身体がギシギシとダメージを負っている。
並みの魔術師であれば、ここにたどり着いた時点で動けなくなる。
俺は大丈夫だが、シトネはかなり影響を受けているようだ。
「はぁ……っ、ふぅ……」
「うん! 採ってくるだけだし何とかなるよ」
「いいや」
俺は視線で彼女に教える。
結晶の周囲には不自然な岩が転がっていた。
明らかに地面と色が合っていない。
俺たちが近づいたことで、それは形を変え起き上がった。
「ロックエレメンタルだ」
岩に擬態する鉱物の巨人。
こういった山岳地帯に生息するモンスターで、通りかかった人やモンスターを襲う。
鉱物で出来た身体は非常に硬く手強い相手だ。
とは言え、俺やシトネの敵じゃない。
もちろん、この状況下でなければの話だが……
「いけるか? シトネ」
「う、うん」
俺は師匠の指示で戦えない。
戦う資格を持っているのは、この場でシトネただ一人。
ヤタハガネを採るには、まずロックエレメンタルを倒してく必要がある。
シトネは刀を抜き、ロックエレメンタルに向う。
刀の間合いより離れた場所で術式を発動。
旋光で斬り裂くつもりのようだ。
「っ――」
しかし術式は発動しない。
魔力濃度の濃いこの場所では、複雑な術式は機能しない。
特に閃光のように攻撃を放つタイプのものは、下手をすれば暴発するだろう。
シトネもそれを理解し、強化魔術と斬撃による戦闘へ切り替える。
刀で斬りかかるも、ガキンッと阻まれ斬れない。
「硬い……」
懐に入れば攻撃が来る。
シトネは躱しているが、それも長くもたないだろう。
決して速度は速くないが、この環境で影響を受けていないロックエレメンタルと違い、シトネの体力は徐々に削られている。
長引くほど不利。
その考えは焦りとなり、太刀筋を鈍らせた。
パリン――
「シトネ!」
「くっ……」
刀身が折られ、ロックエレメンタルの拳を受けたシトネが吹き飛ぶ。
上手く受け身をとって無事ではあるようだ。
だが、今ので刀は折られてしまった。
目の前にはロックエレメンタルが五体いる。
環境の影響で徐々に体力は削られ、動きも鈍くなってきた自覚もあるだろう。
加えて術式は正しく機能しない。
怖い――
自分の命に刃が届く感覚。
彼女の脳裏には、悪魔に突き付けられた死の恐怖が蘇っていた。
それでも彼女は刀を握る。
怖い……でも、身体はちゃんと動く。
私はまだ戦える。
「うん、それで良い。あとは一歩――」
俺は大きく息を吸って、彼女を呼ぶ。
「シトネ!」
そして振り向いた彼女に、優しく微笑みながら伝える。
「ちゃんと見てるからな」
「――うん!」
良い表情になった。
これならもう大丈夫だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おいアルフォース、そんなに落ち着いてて大丈夫なのか?」
「ん? 何かな?」
工房に残ったアルフォースは、のんびりと温かいお茶を啜っていた。
そんな彼に呆れながらエルマが尋ねる。
「とぼけんなよ。シトネちゃんのことだ」
「大丈夫だと言ったはずだよ。珍しいね~ 君は他人の心配なんて」
「当たり前だバカ。あんなかわいい子に何かあったらどうする?」
「はっはっはっ、そこは本当に変わらないなぁ~」
ずずっつとお茶を啜り、アルフォースは口を開く。
「彼女はもう恐怖を知っている。己の命に届く怖さ……それを知ることが、強くなるためのスタートラインだ。人は恐怖を知ってようやく、強くなるための道を見つける。彼女にはもう見えているのさ。強くなるための道が……」
アルフォースはお茶の入ったカップを置き、話を続ける。
「足りないのは覚悟だ。その道へ一歩踏み出すための覚悟が彼女には足りない」
ここでリンテンスを例に挙げる。
彼には多くの道があり、そのほぼ全てが消え去った。
それも一つの恐怖だ。
残された道はたった一つだけ。
その道は細く、脆く、険しいものだった。
「追い込まれないと踏み出せない一歩もある。リンテンスもそうだった。もちろん僕だって同じさ。リンテンスはそれを知っている。だから一緒に行くって言いだしたのもあるんだろうね」
アルフォースは嬉しそうに笑った。
「足りない覚悟は、あと一押しで踏み出せる。そこを乗り越えれば――彼女はもっと強くなれる」
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