交換日記
―――今日の午後はとても素敵なお天気だったので、テラスでお茶をしました。
途中からはお散歩中だったジョージー夫人とそのお嬢様をお誘いしてご一緒しました。
お二人はとても王城のことに詳しくて ~中略~ たくさん勉強になりました。
どうやらお城の中では仲の悪い人たちもいるようなので、仲良くできればいいなと、それが無理なら一緒に過ごす機会が減ればいいなと思いました。
このお城のマフィンはとっても美味しいので少し食べ過ぎてしまったことをちょっと後悔しています。
一体何なんだと思いながらノーハスに渡された真新しい日記帳を開いたジュードは、それがアドリアーネの日記だと知って驚いた。
ノーハスが言うには「交換日記」だから、アドリアーネの日記を読んだ後はジュードも日記を書かなければならないという。
「そんなことできるか!」
「姫様のお誘いをことごとく断っていらっしゃるのですから、せめてこれくらいの願いは叶えてさしあげたらどうですか?」
「いや、しかし、日記というのはプライベートなものであって、このように交換して見せ合うものではないだろう!?」
「固定概念にとらわれないことが、陛下の長所ですのに……。それに姫様は少しでも陛下との接点をお持ちになりたいと、懸命にお考えになったのではないでしょうか……。なんとけなげな。これもそれも全て陛下の態度が冷ややかで――」
「わかった! 読めばいいんだろう!? 書けばいいんだろう!?」
ノーハスの愚痴は長い。
それを途中で遮って、ジュードは日記帳を開いたのだ。
日記ではなく手紙のようなものだろうと読み始めたジュードは、本当にこれがアドリアーネの日記であることに気付いた。
さらに戸惑ったジュードだったが、その内容はとても興味深いものだった。
アドリアーネのスケジュールは把握している。
一日、どこで何をして過ごしているのかは報告を受けているのだ。
しかし、日記にはその報告とはまた別の面――アドリアーネが何をどう感じたかが書かれている。
さらには夫人たちと何を話したか――彼女たちの考えまでもが書かれており、とても重要な文章であることに気付いた。
ジョージー夫人の夫であるジョージー伯爵はジュードに常に否定的である。
どうやら夫人も同様らしく(そうだとはわかっていたが)、アドリアーネへの言葉の端々にそれが窺えた。
しかも夫人の口から出る噂話に登場する人物は敵か味方か、ジュードには測りかねていた人物も多く、かなりの参考になったのだった。
(そうか。マフィンが美味しかったか……)
厳しい考えに気を取られていたジュードだったが、最後の一文にはほっこりと気持ちを和まされた。
この国でアドリアーネの気に入るものが一つでもあってよかったと思う。
と同時に、マフィンを美味しそうに頬張るアドリアーネを想像してふっと笑いが漏れた。
上品なアドリアーネが口いっぱいにマフィンを詰め込むことはないだろうが、想像すると可愛い。
(いや、想像している場合じゃないだろ……)
そこでふと顔を上げると、ノーハスが部屋の隅にまだいた。
口を両手で押さえ、肩を揺らしている。
「ま、まだいたのか!」
「陛下が……陛下が……」
「俺が何だ!?」
「へ、陛下がきちんと姫様の日記を読まれるか心配で……それ以上にご自分のことを書かれるか心配で……それがまさか……」
アドリアーネの日記に気を取られすぎて、まだノーハスが部屋から出ていっていないことに気付かなかった。
一生の不覚と思いながらも、我慢できずに声を出して笑いだしたノーハスを睨みつけた。
「いえ…よいことですよ。いつも……怖いお顔でいらっしゃるから『残虐王』だの『冷酷王』だのと呼ばれておられるのです。先ほどのようにニヤケ……いえ、微笑んでいらっしゃったら、少しは皆も親しみを持たれるのではないですか?」
「親しみなどいらん」
「ですが、恐怖政治も終わりにしなければなりませんよ。そのためにも聖王女の存在は必須なのです。陛下も今さらイメチェンは難しいようですからね」
「イメージなどと……これから始まる泥仕合にあの子を巻き込めるか。もう彼女には――彼女の国からは十分に助けてもらった。その上さらにこんなオヤジにあんなに若くて純真な子を縛り付けられるか!」
ジュードの訴えにノーハスは首を傾げた。
その顔から笑みは消え、真面目なものへと変わっている。
「縛り付けられるのかどうかは、姫様次第でしょう。そのお気持ちを知るためにも、日記を交換してみられてはどうですか? では、私はこれで失礼いたします。何せ婚礼まではあとひと月もないのですから、準備を進めませんと」
「準備は必要ない!」
ひらひらと後ろ手に振りながら去っていくノーハスの態度は部下のものではない。
いつもは国王としてジュードを敬うノーハスも、騎士仲間だったときの気安さを見せるときがある。
普段はそちらの態度のほうが好きなのだが、今は無性に腹が立つ。
「くそ!」
閉まった扉に向けて悪態をついたジュードだったが、すぐに無駄なことを悟って日記に向き合う。
生まれてこのかた、日記など書いたことがない。
そもそも日記というのは極めて私的なもので、人に見せるようなものではないとの認識なのに、日記を交換するのかがよく理解できない。
「日記って、何を書けばいいんだ……」
ぼやいたジュードはがしがしと頭を掻きむしった。
毎月アドリアーネから届く手紙に返事を書くだけでも苦労し、一週間は頭の中を占めていたというのに、日記などと拷問に等しい。
もちろんアドリアーネが嫌いなわけではない。
ただただ文章を書くのが苦手なのだ。
なので、公的文書も口頭で告げたことを秘書官にそれらしく書いてもらっている。
ジュードは最後にただサインするだけ。
「人に見せる日記なんて意味がわからん……」
もう一度ぼやいたジュードはそこでひらめいた。
そうか。そういうことかと納得して、机に日記を開き直し、ペンにインクをつけて書き始めたのだった。