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日記

 

「ノーハス殿はあれほど協力的なのに、ジュード様とのお時間がちっとも取れませんねえ」


 昼食を一緒にという誘いの断りを告げられて、ターニャが困ったようにぼやいた。

 もう何日も昼食、夕食、午後のお茶、さらには朝食まで一緒にどうかとジュードを誘っているのだが、いつも時間がないという理由で断られてしまっている。

 恋愛初心者なりに頑張っているのに、これでは心が折れてしまう。

 なぜならジュードが自分を避けているのは確実なのだ。

 しかし、それには理由があるのだからと、アドリアーネは自分を慰めていた。


「ジュード様は私を怖がっていらっしゃるみたいね」

「ジュード様が姫様をですか?」

「そうよ。ジュード様は私と婚約を解消されたいの。私のためにね。でもそれを言い出せば私が泣いてしまうと思って、私を傷つけるのを恐れていらっしゃるみたい。ええ、それはもう泣いてしまうわよ。彼氏いない歴三十年。立場を利用して無理に婚約して十年。これで振られたら一生立ち直れそうにないわ」


 アドリアーネはほわっと微笑んだかと思うと、思い詰めた表情に変わり、ぶつぶつと呟き始めた。

 とてもではないが、この姿は他の誰かに見せられない。

 聖女だ天使だとの憧れを砕いてしまうだろう。

 ターニャは呆れつつも急ぎ話を進めた。


「ですが、このまま逃げ回っておられても時間だけが過ぎてしまうでしょうに……。きちんと話し合うべきだと思います」

「それもそうよね。だけどジュード様にはお時間がないんですもの。ほんの少しでもいいのに、きっと真面目に考えすぎてしまわれるのね」


 時間がないというのは言い訳だとアドリアーネは気付いていないらしい。

 そのことに驚いたターニャだったが、ふと本当のことなのかもしれないと思った。

 アドリアーネにはターニャや凡人にはわからない何かを知ることができるのだから。


「だけどね、時間がないからと後回しにすればするほど問題は大きくなっていくのよ。このままだとジュード様は私と結婚してしまうことになるんだから、どうにか手を打つべきなのにね。もちろん私も対抗してみせるけど」


 はあっとため息を吐いて、アドリアーネは窓の外を眺めた。

 相変わらず空には黒い靄がかかっている。


「どうしたらジュード様の誤解を解くことができるのかしら……」

「誤解とはどのようなものですか?」

「私がジュード様と結婚したら不幸になってしまうっていう……思い込みね。年の差、身分差、生活環境の差、何よりご自分の過去ね」

「それでは……姫様はジュード様とご結婚なされたら、幸せになれるとの確信を持っておられるのですね?」

「さあ、それはわからないわ」


 アドリアーネが首を振ると、ターニャは軽く目を見開いた。

 予知の力がある聖王でさえこの結婚を勧めたのだから、間違いないと思っていたのだろう。


「お父様がよくおっしゃってたわ。たとえ未来を見通す力があっても、未来は変わるものだと。そして一番に変わってしまうのは人間なんだって。良い方にも悪い方にもね。だから正しき行いをしなさいって。正しき行いは、正しき世界を広げることになるからって」


 まだ父たちと別れてひと月も経っていないが、アドリアーネの胸に懐かしさが込み上げてくる。

 どうやらターニャも同様らしく、しんみりとしてしまっていた。


「というわけで私、考えたの」

「……はい?」

「ジュード様と仲良くなる方法よ。今のままでは難しいでしょう?」

「確かにそうですが……ではどうされるのです?」

「お手紙を書こうかと思ったの」

「お手紙、ですか?」

「そうよ。私の今の気持ちを精一杯。でもね、それって私の気持ちを押しつけるだけのような気がして、やっぱりやめたの」

「さようでございますか」


 ターニャは窓の外を見たままのアドリアーネの顔を、遠慮なく両手で挟むとくいっと正面を向かせた。

 それから鏡越しにアドリアーネの顔を覗き込む。

 午後のお茶はテラスでしようと、外に出る準備をしていたのだ。

 そして支度の終わったアドリアーネはいつもの如く天使のようだった。


「正しき行いって難しいわ。いつも考えてしまうの。これは本当に正しいことかしらって」

「何が正しきことかは一概に判断できませんからねえ」

「そうなのよ。聖王国では正しかったことも、この国では間違っているかもしれない。だから今は色々な人とお話をして勉強中でしょう?」


 閉鎖された空間で過ごすよりも、解放された空間――テラスなどのほうが多くの人との出会いがある。

 だからアドリアーネはできるだけ外へと出るようにしていた。

 はじめは聖王女の存在に畏れ遠慮していた人たちも、ここ数日でかなり慣れてくれたようだった。

 アドリアーネは柔らかな笑みを浮かべて行きかう人たちに親しげに話しかけると、緊張していた人たちも自然に笑みを浮かべるようになるのだ。


「この国の――この王城の人たちと少しずつ会って、話をして気付いたんだけど、色々な考えの人がいることはわかったわ。でもね、まだ悪いものには会っていないの」


 ドレッサーの前から立ち上がったアドリアーネは窓辺へと近づき再び空を見上げた。

 ターニャが見る窓の外では小春日和の柔らかな日差しが降り注いでいる。


「今日もどんより悪いもの日和ね」

「姫様、守りの聖石はお部屋だけでなく、身に付けられたほうがよろしいのではないでしょうか?」

「大丈夫よ。あれは私に直接何かできるわけじゃないもの。小さい頃は見えるだけで怖かったけれど、今は平気。それに騎士のみなさんも守ってくださるし、ジュード様もいらっしゃるもの」


 そのジュードはまったく近づこうとしないではないかと、ターニャは訴えたかったがぐっと堪えた。

 ただ心の中で「臆病者!」と罵るだけにする。


「それでね、交換日記を始めたいと思うの」

「交換……日記?」

「ノーハスに訊いたらね、ジュード様はお忙しいけれど、就寝される前に少しくらい日記を書かれる時間はあるそうなの。むしろ就寝前にゆっくりおくつろぎになっていただきたいのに、ベッドに入ってからもずっと書類に目を通されているんですって。だからノーハスが協力してくれて、書類の代わりに私が書いた日記を渡してくださるそうよ」

「それはその……お手紙と何が違うのでしょうか……?」

「大違いよ。私に一日を――その中でも特に印象に残ったことを書き留めるのが日記でしょう? ご飯が美味しかったとか、誰々と会ってこんな話をした、とか。それについて私がどう思ったかも添えて書いた日記をジュード様にお読みいただければ、私のことをわかってくださると思うの。急ぎではない書類を読まれるよりよっぽど有意義だって、ノーハスも言ってくれたわ」


 いつの間にそのような話し合いをノーハスとしたのかという疑問を、ターニャはひとまず置いた。

 アドリアーネの案には突っ込みどころが――気になるところがたくさんある。


「それで『交換』というのはまさか……」

「もちろん、日記を交換するのよ。だからジュード様にも日記を書いていただいて、私に読ませていただくの」

「日記とはきわめてプライベートなものだと思っておりましたが……ジュード様が日記をお貸しくださるでしょうか?」

「あら、貸してもらうんじゃなくて、返してもらうのよ。交換日記は一冊の日記帳を共有するんだから。以前の世界で昔流行っていたらしいの」

「以前の世界ですか……」


 前世の話をされると、ターニャにはお手上げである。

 アドリアーネが幼い頃から聞かせてくるたその世界は不思議なもので溢れている。

 習慣でさえ大きく違うのだ。

 

「いつから始められるおつもりですか?」

「今夜よ」

「――かしこまりました」


 ターニャでさえ驚いたのだから、ジュードはさぞかし戸惑うだろう。

 それもいい気味だと思いつつ、ターニャはテラスへと向かうアドリアーネについて部屋を出たのだった。




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