作戦
「姫様、最後の泣き落としはいい作戦でしたね?」
「作戦? そんなものではないわよ。実際、ジュード様が私にご不満があるのかと思うと泣けてきたんだもの。嘘泣きじゃないわ」
花嫁として到着した日の翌日。
午後にジュードからお茶のお誘いがあったときには喜んだ。
前世も含めて、初めてのデート(もどき)である。
そして、アドリアーネがいそいそとお洒落して案内された部屋に行ってみれば、不機嫌顔のジュードがいた。
それはかなり凶暴そうで、ターニャ以外の侍女どころか、当のボラリア王国側のメイドたちも怖がっていたのだ。
しかし、アドリアーネにはジュードが不機嫌なわけではないことは当然わかっていた。
どちらかというと、不安だったのだろう。
まるで初めて会ったときのように、オオカミさんは耳もしっぽも垂れていたのだから。
「ようやく直接お話できると思ったのに、いきなりこの婚約を解消してもかまわないなんて、酷すぎると思うわ」
「ジュード様は姫様のことを思われて解消を申し出てくださったのでしょう。ご自分のご年齢を気にされていましたし、やはりあまりよい噂のある方ではありませんから」
「私、よい噂なんて聞いたことないわ。噂っていつも悪いことばかりよ」
「ですが実際、ジュード様は――」
「知っているわ。たくさんの人を殺したって」
「姫様!」
アドリアーネの愚痴は思わぬ方向に話が進んでしまった。
だが言わずにはいられなかったのだ。
アドリアーネだってこの十年、色々な話を聞いた。――聞かされた。
そのほとんどは他国の王子やその側近など、どうにかしてアドリアーネとジュードとの婚約を壊そうとする者たちだ。
彼らは痛ましげな顔でジュードのことを「残虐」「冷酷」や「殺戮王」だとの言葉を口にしながら、優越に満ちた感情を背後で表していた。
「私は生まれたときから平和な国に暮らして、恵まれた立場にいるわ。もっと言えば、生まれる前――前世からよ。そんな私がこの国の争いについて言えることは何もないの。だけど今、この国は平和になりつつある。この王城にいる人や私の傍に近づいてくる人が何を言おうと思おうと、私はこの国の人たちの気持ちを知っているわ。そしてオオカミさんの――ジュード様のことも知っているの。だから私はこの国に、ジュード様の許に嫁いできたのよ」
天使のような外見とは裏腹に、はっきりと言い切ったアドリアーネには覚悟が窺えた。
そんなアドリアーネを誇りに思いながら、ターニャは深く頭を下げた。
「私が軽率でございました。申し訳ございません、姫様」
「ううん、いいの。ターニャは一般論として言おうとしていたのでしょう? 私はそれを理解しないとね」
ジュードが残虐王や簒奪王と呼ばれていることはアドリアーネも知っていた。
だがアドリアーネにとってはそんな呼び名はどうでもよかった。
むしろ傷ついているオオカミ姿のジュードをどうにかして慰めたいというのが、アドリアーネの小さい頃からの夢なのだ。
ひと月に一度、アドリアーネの精一杯の気持ちを書いた手紙の返事は、封を開けて広げるとぽつぽつと花が咲いた。
それはジュードの真心である。
アドリアーネにしか見ることができないその花を見るたびに、もどかしい思いでいっぱいだった。
おそらく誰もこのジュードの優しさに気付いていない。
だから皆に知ってもらえるようアドリアーネが頑張るのだ。
それがいつしかアドリアーネの目標になっていた。
そうすればきっと、ジュードの苦しみも少しは軽くなるかもしれないから。
「というわけで、やっぱり私とジュード様が仲良くするのが一番だと思うわ」
「どういうわけかはわかりませんが、仲良くはされたほうがよいでしょうね。ご夫婦におなりになるのですもの。それで、どのようになさるのですか?」
「それはもちろん……どうすればいいと思う?」
「私にお訊ねになられても……。ジュード様はお忙しい方ですから、あまりお時間をいただくわけにはいかないでしょうし……。そうですわ。側近のノーハス殿に協力をお願いしてはどうでしょうか?」
「ノーハス……」
ターニャのアドバイスを聞いて、アドリアーネはノーハスを思い浮かべた。
ノーハスはジュードの昔からの同僚――騎士仲間でその頃から副官であったらしい。
ジュードの手紙にも一番によく出てきた名前である。
「ハトなの」
「はい?」
「ノーハスがハトに見えるのよ。そしてジュード様が何かおっしゃるたびに頷くの。いえ、あれはただの反射かもしれないけれど」
「ノーハス殿がハト……」
アドリアーネが何を言っているのか理解したターニャは繰り返すように呟き、次いで噴き出した。
ノーハスは頭脳派と言われているが、その容貌は元騎士だけあって、ジュードよりも体が大きく顔つきも怖い。
そんなノーハスの内面がアドリアーネにはハトに見えるというのだから、そのギャップには笑わずにはいられなかった。
「とても良い方よ。ジュード様のことが大好きみたい。言い方を変えると、心酔しているわね。だから私のことも大好きみたい。私が妻になることはジュード様のためになると思っているのよ。まあ、そのとおりだけど」
「ためになる?」
「聖王女を利用しようとしているわけじゃないの」
厳しい表情になったターニャに、アドリアーネはにっこり笑った。
今まで何人もがアドリアーネを利用しようとして近づいてきたのだ。
そのためターニャは神経質になっている。
過保護だなと思うこともあるが、アドリアーネは守られていることに幸せを感じてターニャを抱きしめた。
「姫様?」
「私はターニャが大好き」
「姫様に大好きではない方などいらっしゃらないでしょう?」
困ったようにアドリアーネの腕をぽんぽんと叩くターニャの言葉に、またアドリアーネはふふふと笑う。
ターニャの照れ隠しはわかりやすい。
「姫様が私を大好きなのは十分に存じておりますから、次はジュード様にお伝えくださいませ」
「もちろんよ」
ジュードのことに話を逸らしたターニャにしっかり頷いて、アドリアーネはターニャを解放した。
それからアドリアーネは先ほどのことを前世からの習慣である日記に書くために机に向かった。
覚醒した当初はあの日記――黒歴史が家族に読まれたのかと思うと恥かしくて何度も悶えたものである。
今はもう「それも人生」と開き直ることができたが、日記を一冊書き終わると燃やしてしまっているのは引きずっている証拠だったりなかったり。
それでも習慣はやめられず、アドリアーネはせっせと今日の出来事を日記に書き記していった。――誰かに見られても大丈夫なように気をつけながら。