再会
「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
「お久しぶりでございます、ジュード様」
馬車から降りたアドリアーネを出迎えたジュードの挨拶はとても堅苦しいものだった。
これだけの面々がそろっているのなら仕方ないのだろう。
アドリアーネはそう思うことにして、十年ぶりのオオカミさん――ジュードの姿をじっくり見つめた。
そして思わず眉を寄せる。
オオカミさんの姿はまったく変わっていないのだ。
「アドリアーネ様、どうぞこちらに」
事務官のような男性の声に促されたアドリアーネは思わず添えられていたジュードの手を強く握った。
すると安心させるようにジュードは厳つい顔で微笑んだ。
アドリアーネははっとしてジュードの顔から背後に視線を向け、そして恥ずかしそうに微笑み返した。
その天使のような笑顔は一瞬でその場の者たちを虜にしたのだった。
* * *
予想通りではあったが、歓迎の式典は嬉しくも退屈なものだった。
こういう式典はどこの世界もいつも退屈なものだなと思ったのは内緒である。
前世と違うのは、いかにも「聖王女です」といったふりができるようになったこと。
もう一つの予想通りだったことは、ジュードが冷たかったことだ。
もちろんあれからの態度が失礼だったわけではない。
とても礼儀正しかったが、かなり他人行儀であり、手紙から窺える人柄とは大きくかけ離れていた。
二十歳も年下の小娘と婚約しなければならず、さらには十年も待たされたのだから当然だろう。
それはアドリアーネも理解していた。が――。
「結婚式がひと月も先だなんて聞いていなーい!」
与えられた部屋に入り、ターニャと二人きりになった途端にアドリアーネは嘆いた。――というより叫んだ。
部屋の造りはしっかりしているので、外に声が漏れることはないはずである。
「確かに、ひと月先というのは驚きましたね」
「でしょう? 明日でもいいのに」
「それはあり得ませんが、十日ほど先というのが妥当でしょう。まさかこれだけ長い婚約期間を置いて、まだ婚姻の準備ができていないなんてことはないでしょうし……」
ターニャは自分のお茶をカップに注ぐとアドリアーネの向かいに座って首をひねった。
二人きりだからこそできる気安さであり、つい先ほどまで荷物整理の監督をしていたので喉を潤したかったのだ。
乳母だったターニャは、今はアドリアーネ専属の侍女頭としての役職についている。
「何か妨害されている、とも考えられますが……?」
「そうかもしれないけれど、出迎えてくれた人たちの中に悪いものはいなかったわ」
「さようでございますか」
ほっと息を吐いたターニャを横目に、アドリアーネは窓の外を見た。
王族用の棟であるためか周囲の建物は遠く離れており、この部屋は三階にあるので窓に近づかなければ美しい庭も見えない。
だが今は夕暮れ時の美しい空が見える。――はずだった。
「だけど、とても美しい夕空なのに、この王城の上空には黒い化け物が空に浮かんでいるわ」
アドリアーネの言葉に、ターニャははっと息をのんで窓の外を見た。
しかし、当然ながら美しい夕空しか見えない。
「それは……何体ですか?」
「よくわからないわ。一体のようでもあるし、何体も繋がっているようでもあるから」
「聖騎士をお呼びになりますか?」
「ううん。この部屋にあれらは入ってこられないから大丈夫。お父様にいただいた守りの聖石があるもの」
「ですが……」
「本当に大丈夫よ。ただ、やっぱりここには……ジュード様にはまだ多くの敵がいるのね」
聖騎士とは、軍隊を持たない聖王国唯一の騎士団に所属する騎士であり、聖王から認められた騎士たちのことである。
その数は五十名ほど。
今回のアドリアーネの輿入れに二十名の聖騎士が付き添ってきたのだ。
そして無事に婚姻が成されるまで、十名ほどがこの国に滞在することになっている。
「ジュード様はやっぱり傷ついたオオカミさんだったわ。ううん、どちらかというと寂しそうなオオカミさんね」
アドリアーネがジュードのことをオオカミさんと呼んでも、ターニャは注意しなかった。
あの初めての出会いのとき、アドリアーネがジュードのことをオオカミさんと呼んだことに誰も――ジュード自身も驚くことはなかった。
幼い子供がジュードの風貌をそう捉え、素直に口にしたのだろうと思っていたのだ。
しかし、アドリアーネは実際にオオカミの姿が見えていた。
傷つき悲しげな表情をした大きなオオカミの姿が。
人の内面を具現化して見ることができるアドリアーネには、ターニャはいつも母犬の姿で見えるし、聖殿で働くおしゃべり好きのメイドたちは可愛らしい小鳥に見えた。
聖殿で暮らしていると、人の悪意を見ることは少ない。
ただ求婚にやって来た評判のよい王子たちの中には背後に悪いもの――キツネの化け物のようなものが見えることもあった。
また挨拶にやって来た他国の王の側近の中には、大きなコウモリのような化け物や、形にならない黒く蠢くものなどに見えたりもした。
なぜキツネやコウモリに見えるのかは、おそらく前世の記憶と母などに読んでもらった絵本の影響だろう。
そしてジュードがオオカミに見えたのにもかかわらず怖くなかったのは、姿ではなくその本質がわかっていたからだ。
(でも、十年経った今もオオカミさんは……ジュード様のお心は傷ついたままだわ)
はじめての手紙は開くと同時に小さな一輪の花がぽわっと咲いただけだった。
それでもこの十年でジュードからの手紙はバラやユリのように派手なものではないものの、美しく何輪もの花を咲かせてくれるようになっていたのだ。
だからてっきりジュードも憎からずアドリアーネのことを想ってくれていると、十年ぶりの再会に喜んでくれると思っていた。
恋愛初心者がよくする勘違いである。
「……恥ずかしかったのかしら?」
「否定はしませんが、姫様はジュード様にどのような反応を期待されていたのですか?」
「それは……想像以上に綺麗になったねって言ってくれて抱きしめてくれるとか?」
「あり得ませんね」
「冗談なのにぃ」
わざと頬を膨らませるアドリアーネは十八歳よりも幼く見える。
この十年、アドリアーネは王妃になるための教育を受け、心構えもしっかりできているように思えるが、本当の悪意というものを自分に向けられたことはないのだ。
ジュードが傷ついたままのオオカミだというのなら、まだまだこの国の現状は暗いのだろう。
ターニャは本当にこの婚姻は正しいのだろうかと、珍しく聖王を疑いそうになった。
「でもね、ジュード様の……オオカミさんの胸の辺りにね、微笑んでくれたときに小さなお花が咲いたの。ジュード様から頂いた初めてのお手紙のときに咲いたお花のようで懐かしくて嬉しかったわ」
うふふと笑うアドリアーネは本当に天使そのもので、ターニャの暗い気持ちも明るくなっていった。
きっと大丈夫だろう。
アドリアーネを前にして悪意を抱き続けられる者などいるわけがない。
聖王に疑いを抱いたことを心の中で謝罪しながら、ターニャはアドリアーネに微笑み返した。