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救出

 

 ガタゴトと揺れるたびにゴン、ゴンと音が聞こえる。

 その音と同時に痛みが走り、アドリアーネは呻いた。

 頭が痛い。

 そう考えて、これは自分が頭をぶつけている音なのだと気づいた。

 同時にぼんやりしていた頭がさらなる痛みと一緒に覚醒していく。


「あら、ようやくお目覚めのようね?」

「……どうして……あなたが?」

「お目付役ってところかしら? もしくは逃亡阻止のための見張り役ね」


 向かいの座席で優雅に腰かけているのはポレルモ子爵夫人だった。

 どうやら馬車で移動しているらしく、車内は二人きりらしい。

 最後にある記憶はローラン地方の神官長と会っていたことなのにと不思議に思っていると、考えを読んだのか子爵夫人が説明する。


「神官長は男の自分がこんな狭い車内で同席することに遠慮したのよ。あなたの名誉を守るためだなんて、くだらないわよね? でもお陰で私はあなたと二人きりになれたわけ」


 知りたいのはそんなことではなかったが、あまり核心をついた質問をしても警戒させてしまう。

 そう考えたアドリアーネは、ひとまず自分を包んでいるシーツから抜け出すようにして起き上がった。


「……どこに向かっているの? 明日は結婚式なのに」

「残念ね。結婚式は中止よ」

「どうして?」

「ジュードはあなたとの結婚を本当は望んでいないの。あなただってそうでしょう? 顔に恐ろしい傷のある二十も年上の男と結婚だなんてぞっとしているはずだわ。しかも彼はとても冷酷だもの。あなたはきっと虐げられることになるでしょうね。そんな苦難から救い出した私たちに感謝してほしいわ」


 誰が感謝なんてするものかと怒鳴りたい気持ちを抑え、アドリアーネは愛らしい顔に不思議そうな表情を浮かべた。


「ジュード様はとてもお優しい方よ。私は彼と結婚するのを楽しみにしているの。だから神殿に帰ってちょうだい」

「聖王女様ってみんな崇めているけれど、実際はただの馬鹿なのね。この状況をまだ理解しないなんて。ほんとイラつくわ」


 無邪気なふりは失敗だったらしい。

 ポレルモ子爵夫人は苛立ったようで、はしたなくも右足でアドリアーネの座席を蹴った。

 小さく悲鳴を上げたアドリアーネは怯えた様子で子爵夫人を見つめた。


 実際、恐ろしかったのだ。

 空にずっと浮かんでいた化け物を小さくしたような黒い靄がポレルモ子爵夫人の背後にべったり憑いている。

 外の様子を知りたかったが、厚いカーテンで覆われていて見ることができない。


(あれから、どれくらい時間が経ったのかしら……)


 車内灯がついているため、カーテンの隙間から光が漏れ入ってきているのかもわからない。

 カーテンに手を伸ばせば、きっとポレルモ子爵夫人にきつく咎められるだろう。

 先ほどの行動からも暴力を振るわれる可能性もあった。


(無駄に逆なでしないほうがいいわよね……)


 神官長なら身の安全だけは保障されたが、子爵夫人では信用できない。

 特に夫人は黒い化け物が憑いているのだ。


(私にお父様やお兄様のような力があれば……)


 今まで父や兄たちを羨んだことはなかったが、初めてもっと力があればとアドリアーネは思った。

 家族のような力があれば、神官長が何を考えていたのかわかったのだ。

 子爵夫人のことだってこんなに怖いとは思わなかったかもしれない。


(でもないものねだりをしても仕方ないわ。冷静に考えて、夕餉の時間には少なくとも私が消えたことはわかるのだから、そこからローラン地方の神官長と面会したこともわかるはず……)


 そこでふと思い出す。

 神官長は今日、ローラン地方に戻ると言っていた。

 ということはアドリアーネが消えたことに気付いて、ジュードはローラン地方の領主たちを追うのではないか、と。

 それでは安易過ぎる。

 もしアドリアーネを誘拐するのなら簡単には捕まらないように逃げなければならない。


(それでポレルモ子爵夫人? 彼女が協力者なの? ああ、でもポレルモ子爵の領地ってどこにあるの?)


 勉強不足が悔やまれる。

 大きな領地、有力貴族の領地は頭に入れているが、ポレルモ子爵家の所領地がどこかは知らなかった。

 覚えていないということはそれほど重要な場所ではないはずだ。

 浮かれていないでもっとしっかり勉強しておけばよかったと後悔が押し寄せる。

 しかも子爵夫人以外の人物を目にすることができないため、馬車の外に何人いるのかもアドリアーネに悪意を持っているのかもわからない。


(私、知らないうちにいつの間にか自惚れていたんだわ……)


 覚醒したころには前世と違う状況に戸惑っていたが、人はそのうち慣れる。

 聖王国では当然のように誰からも愛され大切にされていたのだ。

 このボラリア王国にやってきてからも、多くの民に歓迎され、王城では貴族たちも敬意をもって接してくれていた。

 それを当たり前に享受し、戦うべきは自分の不安だけだと考えていた。


 確かにアドリアーネには不思議な力はあるが、それはごく一部の身内しか知らない事実。

 もしアドリアーネが聖王女という立場ではなく、普通の娘だったのならばたいして見向きもされなかっただろう。

 鬱々と考えていたとき、がたんと大きく馬車が揺れ、アドリアーネは座席から転げ落ちそうになった。


 進行方向とは逆向きに座るとかなり不便だということを今日初めて知った。

 今まではずっと子爵夫人が座っている席――進行方向に向かって座っていたのだ。

 たが子爵夫人もはしたなく舌打ちしていることから、今の揺れは座っている向きには関係なかったのかもしれない。


(あら? そういえば、私ってばまた負の感情に――不安に囚われていたみたい)


 聖王から贈られた聖石は神殿のあの部屋に置いたままになっている。

 目の前には黒い化け物に憑かれたらしい子爵夫人。

 これでは仕方ないのかもしれないと思いつつ、心を強く持たなければとアドリアーネは気持ちを引き締めた。


(今の揺れのお陰で目が覚めたわ。でも……?)


 気がつけば馬車の揺れはすっかり治まっている。

 どうやら止まったらしい。

 休憩かとも思ったが、子爵夫人が苛立った様子でカーテンを少し開いて外を覗いたことから違うらしい。


 アドリアーネも外を見たかったが、じっと我慢していた。

 車外はにわかに騒がしくなり、アドリアーネは不安を感じたが夫人を刺激したくなかったのでおとなしくする。

 そのとき前触れもなく馬車の扉が開かれ、子爵夫人が甲高い声を上げた。


「何をするの!? ノックもないなんて失礼じゃない!」

「悪いが中を検めさせてもらう」

「私を誰だと思ってるの!? ポレルモ子爵夫人よ!」


 扉を開けて顔を覗かせた男は武装はしていなかったが、帯剣はしていた。

 子爵夫人は逃げるように扉から離れて車内の隅で身を竦める。

 しかしアドリアーネは男を見てぱっと顔を輝かせ、身を投げ出した。


「ヘレオンお兄様!」




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