約束
いよいよ結婚式まであと四日。
王城内はもちろん、王都全体が喜びムードに沸いている中、アドリアーネは緊張していた。
もうすぐジュードと昼食をともにするのだ。
実はお互い何かと忙しく、アドリアーネがジュードの執務室に乗り込んでから一度も顔を合わせていなかった。
要するにお互いプロポーズをしてから初めて顔を合わせることになる。
気恥ずかしいような照れくさいような、それでも早く会いたくて複雑な心境だった。
しかもアドリアーネは昼食後に神殿に入り、禊ぎを行って神へと三日間祈りを捧げることになっている。
そして花婿は朝昼晩と神殿に通い、結婚の許しを神に得て祭壇で花嫁を待つのだ。
最近ではこのような伝統的な式は珍しく、禊ぎなどを簡略化する傾向にあった。
しかし、聖王家の一員であるアドリアーネの結婚式では当然のことながら伝統的な手順での式が期待されている。
禊ぎに入ると会えるのは神官だけで、ターニャにさえ会うこともできない。
ただアドリアーネは王女という立場上、身の回りの世話に女官が一人ついてくれるらしい。
「姫様、そろそろお時間です」
「わかったわ」
ターニャに声をかけられて一針も進んでいない刺繍をしていたシーツを置くと、アドリアーネは長椅子から立ち上がった。
昼食用の身支度はすでにできており時間を潰していたのだ。
髪型やドレスが乱れていないかターニャがさっと目を通し、大丈夫だというように頷く。
昼食の場所は前回夕食を共にしたのと同じ部屋だったが、今回はアドリアーネのほうが先に到着したらしい。
通された部屋にジュードの姿はなかった。
だが待つ必要はなく、ジュードはすぐにやってきた。
「遅くなってしまってすまない」
「いいえ。私が少し早すぎたのです。それでもたった今、来たところですから」
軽く膝を折ってジュードに挨拶をしたアドリアーネはにっこり微笑んだ。
しかし、その笑顔は不思議そうなものに変わる。
「ジュード様……どこか……あ! 御髪を整えられたのですね?」
「いや、まあ、そうなんだ」
「とてもお似合いですわ! もちろん、今までも素敵でしたけれど」
いつもとどことなく雰囲気が違うようで首を傾げたアドリアーネは、ジュードの身なりがかなり整っていることに気付いて嬉しそうに指摘した。
するとジュードは照れくさそうに肯定する。
アドリアーネはますます顔を輝かせて褒めた。
今まで無造作に伸びていた髪の毛は毛先がきっちり整えられており、無精ひげとまではいかないまでも少し目立ったひげも見えない。
どうやら剃ったばかりらしい。
それがアドリアーネに会うためだとすれば、これほどに嬉しいことはなかった。
ジュードの背後ではノーハスが満足げに微笑んでいる。
それ以上に嬉しそうにしっぽをぶんぶん振っているのはオオカミさんだ。
アドリアーネの誉め言葉に特に反応はなかったが、オオカミさんが喜んでいるだけでジュードの気持ちは十分に伝わった。
「さて、食事にしようか」
「はい」
素っ気ない口調ではあったが、照れ隠しであることはわかっていたので、アドリアーネは微笑んで答えた。
アドリアーネのためにノーハスが椅子を引いてくれ、お礼を言って座る。
すぐにお料理が運ばれてきて食事が始まり、アドリアーネはこの数日間の楽しかったことを――日記にも書いたことをさらに詳しく話して場を和ませた。
そして食事も終わったとき、ジュードはナプキンを置くと改めてアドリアーネにまっすぐな視線を向け問いかけた。
「この後、いよいよあなたは神殿に籠ることになるが……そうなればもう後戻りはできない。本当に後悔はないだろうか?」
「はい、まったくありませんわ」
迷いなく答えたアドリアーネに、ジュードはほっとしたようだった。
今日のジュードは今までの丁寧だが距離が感じられた態度と違って、アドリアーネを本当に望んでくれているように思える。
これ以上ジュードのことを好きになるのは無理だろうと思っていたが、勘違いだったらしい。
この短い時間でアドリアーネはさらにジュードへの愛が募っていた。
「逆に、ジュード様に後悔はございませんか? もし三日後の式で、ジュード様が祭壇の前にいらっしゃらなければ、私はきっと悲しみで張り裂けてしまいます。ですから、今のうちにおっしゃってください」
「馬鹿な。私は後悔などしない。もちろん、あなたを神殿で一人になども絶対にしない」
「それを聞いて安心しました」
今度はアドリアーネがほっとして微笑んだ。
傍から見れば美女と野獣なカップルだが、二人とも何だかんだで想い合っているのがよくわかる。
ターニャは今になってようやくジュードが心優しくアドリアーネを心から大切に想っていることを理解した。
アドリアーネの言っていたとおりの人物だ。
そのとき、幸せそうなアドリアーネの笑みにふっと影が差した。
「これから三日間、お会いできないばかりか交換日記さえもできないのはとても残念ですが……その後はようやく夫婦となれますものね? 楽しみが待っていると思えば、頑張って乗り越えてみせますわ!」
「――姫様、神殿籠りをそのようにおっしゃってはなりません」
「あら、きっと世界中の花嫁がそう思っているに決まっているわ。だから最近は省略されているんじゃないかしら?」
「姫様!」
式前の三日間のことを悲しげに告げたアドリアーネだったが、結局は前向きな発言になっていた。
だが聖王国の王女として、結婚式前の儀式――神殿籠りを苦行のように言うアドリアーネに思わずターニャが注意する。
それでもアドリアーネはけろりとしてさらに大胆なことを言ってのけ、ターニャが顔色を変えた。
そんなやり取りを見て、ジュードだけでなくノーハスまでもが噴き出す。
「まあ、ジュード様。私は決して神様を軽視しているわけではありませんのよ? ただちょっと花嫁の気持ちを代弁しただけで……」
「いや、気にしないでくれ。私も本音を言えば、この三日間は残念だと思っている。だからあなたの本音が聞けて嬉しい」
「安心しました。つい聖王国の王女らしくないことを言ってしまいましたから……」
「いや、あなたはあなただ。聖王国とか王女とかは関係ない。少なくとも私の前では気にしなくていい。これからもずっと」
「――はい!」
浮かれすぎて本音が出てしまったことで焦って弁解したアドリアーネに、ジュードは優しい眼差しを向けて同意してくれた。
それどころか聖王女としてではなく、アドリアーネ一個人として受け入れてくれているのだ。
この先の約束までしてくれて。
この結婚は義務ではないのかもしれない。
本当にジュードはアドリアーネ自身を望んでくれているのかもしれない。
そんな希望が胸に湧いてきて、アドリアーネは喜びに満たされたまま、午後に神殿入りを果たしたのだった。




