ラブレター
―――たったあれだけの花を喜んでくれてよかった。
考えてみれば花にも種類があるのだからもっと華やかなものを贈るべきだったとは思う。
これからは気をつけるつもりだ。
だがどんな花でもあなたには似合うはずだ。
結婚式を楽しみにしている。―――
日記を閉じたアドリアーネはほうっと吐息を漏らした。
これはもうラブレターと言ってもいいのではないか。
いや、ラブレター以外の何ものでもない。
「とても素敵なことが書かれていたようですね?」
「ええ。それはもう……。昨日からは日報じゃないのよ」
「あら、やはり日報だと思われていたのですね」
「何とでも言ってちょうだい。私は何であれ嬉しいんだから」
「それは間違いございませんね」
ふふんと鼻で笑うアドリアーネの言葉に、ターニャは気にした様子もなく素直に頷いた。
茶化しはしたが、アドリアーネが喜んでいるのならターニャも嬉しいのだ。
ようやく二人の結婚は上手くいきそうだと感じ、ターニャは胸を撫で下ろした。
この国へやって来た当初は色々あったが、結果がよければ全てよし。
あとは九日後の式まで何事もありませんようにと祈りながら、ターニャは準備を進めた。
準備とはいっても聖王国を出発する際にほとんど整っている。
式の進行などはノーハスが中心となって準備しているのでアドリアーネ側にはすることはない。
あとはボラリア王国側との細かい打ち合わせくらいだろう。
アドリアーネの希望は昨日計画した通り、装飾花をコスモス中心にするといったものだけなのでターニャにはかなり余裕があった。
むしろもう少しくらい仕事があってもいいと思うくらいだ。
「アドリアーネ様、本当に他にご希望はないのですか? 一生に一度のことですもの。もっと我が儘をおっしゃってくださってよいのですよ?」
「そうねえ。考えてはいるんだけど、小さい頃から夢見た通りの結婚式になりそうで、特にないのよねえ。何よりジュード様と結婚できるんだもの」
「ドレスにブーケに……あ、宴での食事などにご希望はございますか?」
「ないわねえ。ここのお料理はどれも美味しいし、この国の伝統があるのなら、この王城の料理人だってそれに従って腕をふるってくれるでしょう? でも……」
「何かございましたか!?」
前のめりで訊いてくるターニャに、アドリアーネは苦笑しながら首を振った。
こんなにも自分を愛してくれる人がすぐ傍にいるのだ。
「……ちょっとだけ、式にお父様やお母様、お兄様がいらっしゃったらいいのにって思ったの。でも無理なことはもちろんわかっているわ。それに、お父様ならひょっとして遠く離れていても私のことをご覧になれるかもしれないもの。そう考えると、すぐ傍にいてくださるようで心強いのよ?」
アドリアーネの言葉に途端に顔を曇らせるターニャに、慌てて大丈夫だと付け加える。
甘やかされて育ったアドリアーネだが、王女が他国に嫁ぐということがどういうことかくらいは理解している。
ただ前世でも両親に花嫁姿を見せることができなかった後悔があった。
幸い、この国の人たちはアドリアーネを大歓迎してくれているのだ。――ジュードを含んだ一部以外は。
そのジュードもようやく受け入れてくれた。
「私、幸せになるわ。そしてこの国の人たちにも幸せになってもらえるよう頑張るわ。私にはお父様のような力はないけれど、この国の人たちが物質的だけじゃなくて精神的に満たされるように何ができるか考えて、実行していくつもり」
それが何よりこの婚姻の意味なのだ。
アドリアーネは涙ぐむターニャを見て困ったように微笑むと、さりげなく窓の外に目を向けた。
城の上空にはまだ黒い化け物が蠢いているが、昨日より小さくなっている。
アドリアーネはほっと息を吐いた。
このまま皆の不安が消えてしまえばいいけれど、それが難しいこともわかっているのだ。
理想郷とまで言われる聖王国でさえも、幸せなことばかりではなかった。
どんな人でも不幸は避けられない。
だがどんな人にも幸せは訪れる。
「ずっとこの十年間願ってきたことが、いよいよ叶うのよ。生きてきたなかで今が一番幸せだわ」
「あらあら、姫様。今ではなく、これから一番にお幸せにならなければ。ご結婚はこれからなのですから」
「それもそうね」
ターニャの言葉にくすりと笑って、アドリアーネは再び日記を開いた。
いつも日報のような日記だったのに――今まで送ってくれた手紙もそうだが――昨日からはジュード自身の感情を表してくれるようになっている。
しかも〝これからは〟別の花まで贈ってくれるつもりらしい。
〝結婚式を楽しみにしている〟との言葉から、コスモスを中心とした装飾にも賛成してくれたようだ。
(……でも、もっと〝華やかな〟ほうがよかったのかしら……?)
そう考えついたアドリアーネは首を振って不安を追い払った。
きっとジュードは自分に対して華やかなものを贈るべきだったとの後悔を書いただけで、希望を書いたわけではないだろう。
むしろ結婚式に対してジュードには何か希望があるのかと考え、アドリアーネは微笑んだ。
おそらく訊ねても「わからない」と返ってくるか、よくても「あなたの希望通りが一番」と言うはずだ。
そもそもジュードはどんな花でも似合うと言ってくれている。
社交辞令が言えるような人ではないだろうから、本当にそう思ってくれているのだ。
(私、本当に何を不安に思っていたのかしら。冷静に考えれば、ジュード様のことがこんなにもわかるのに)
十年間続けた文通はジュードにとっては婚約者に返事を書くという義務だったのかもしれない。
内容は日報というより月報のようで、一読したくらいでは業務的にしか思えなかった。
だがアドリアーネにだけ見える手紙に咲く花は、ジュードの真心だったのだ。
初めは小さく素朴な一輪の花は、次第に大輪の美しい花になっていった。
だからこそアドリアーネは何度も何度も読み返して、堅苦しい文面の中にジュードの本音を探していた。
(それなのに、直接お会いしてからはオオカミさんが見えることで安心してジュード様のお心を慮ることを忘れていたわ……)
この国に到着してから今までのことをアドリアーネは反省した。
自分の気持ちばかり押しつけて、ジュードのことを考えようとしなかったのだ。
ジュードは年の差とありもしない身分差に悩んでいたのだろう。
こればかりはアドリアーネどころか聖王でさえも解決することはできないが、理解してもらえることはできる。
(これから先は長いもの。ジュード様が誠実であるように、私も誠実に向き合っていこう)
改めて決心したアドリアーネは、ゆっくりと日記を閉じて小箱へとしまった。




