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後悔

 

「ああ、どうしよう。とんでもない約束をしてしまったわ……」


 ジュードの心を自分に向けてもらう——要するに好きになってもらうなどと、前世喪女には無謀だった。

 そんなことができれば三十年間彼氏なしの記録は持っていないだろう。

 あのまま生き続けていれば、きっとその記録は更新されたはずである。

 

「姫様……」


 自室に戻った途端、長椅子に突っ伏して嘆くアドリアーネに、ターニャは何と声をかければいいのかわからずうろたえた。

 本当ならば今すぐ聖王国へ帰るように勧めるのだが、それをアドリアーネが受け入れるわけがない。

 しかし、今回のジュードの申し出はアドリアーネに対して、ひいては聖王国に対して侮辱である。

 きちんと抗議するべきでもあるが、アドリアーネがそれを許さないだろう。


 そもそも聖王はこのことさえも見通していたのかもしれない。

 だからといって、ひと月後の結果がアドリアーネの望むようになるかはわからないのだ。

 婚約を解消してアドリアーネが帰国するまでを聖王が予知した可能性もあった。


「姫様、今回のジュード様の申し出は一国の王のなさることではありません。抗議して然るべきです」

「それは確かにそうよ? だけど、それでどうなるの? 約束通り結婚はしてくれるかもしれない。でもジュード様のお心は私にはないのよ。ただの義務でしかないなんて、私が耐えられないわ」


 ターニャの進言は退けられてしまった。

 それは予想通りなのだが、それにしても本当にアドリアーネはジュードの何をそこまで好きでいられるのか不思議である。


「姫様、お叱りを覚悟でお訊ねいたしますが、なぜそこまでジュード様のことをお慕いになるのですか? ジュード様のおっしゃる通り、刷り込みではないのでしょうか?」

「もし……私にこの力がなければ、ジュード様のことをどう思っていたはわからないわ。でも、そんな〝もし〟は不毛だし、実際に私はジュード様が好き。それはジュード様の本当のお心を知っているからよ。もちろんそれは全てではないし、ほんの一部分だけかもしれない。だけど、その一部分が私にとっては大切なの」


 涙で赤くした目をターニャに向け、アドリアーネは困ったように微笑んだ。

 質問の答えになっていないことはわかっているのだが、どう答えればいいのかわからなかった。

 八歳で出会った瞬間「この人だ」と思ったのだ。

 その後も見目麗しい他国の王子や心清い聖騎士など何人もの男性と顔を合わせている。

 だが、ジュードのように感じた相手は一人もいなかった。


「刷り込みじゃないってことだけは、はっきりわかるのよ。この十年、ひと月に一度の手紙の交換ではあったけれど、新しい手紙が届くたびにこの想いは募っていったわ。ジュード様の優しさが好き。本当は戦いたくなんてないのに、剣を握る強さが好き。簒奪者と罵られようと、残酷だ冷酷だと恐れられようと、もうこれ以上民が苦しまないために邁進する姿が大好き」

「姫様……」


 今までの浮ついた夢を見るような表情ではない、真剣な表情で愛を語るアドリアーネにターニャは見惚れた。

 強い意志を持ったアドリアーネは今までよりも一段と美しく輝いている。

 その強さがふっと弱さに変わった。


「でも、これは私の独りよがりな想いだって気がついたの。私はこの十年、ジュード様との結婚を夢見て待ち望んでいたけれど、ジュード様のお気持ちを無視したままだったって」

「ですが、姫様の婚約者ということで、ジュード様は臣下からも各国からも信頼を得てこれほどに国を復興させることができたのです。それなのに――」

「ターニャ、それは為政者として間違っていないわ。ううん、正しいことよ。本当ならば私とこのまま結婚してしまうほうがどれほどに簡単でしょうね? この国はさらなる発展を遂げるでしょう。だけど、ジュード様は私に婚約解消を申し出ることで苦難の道をお選びになったのよ。今の状況で婚約解消なんてしてしまえば、誰もがジュード様に原因があると思うに決まっているわ。それは要するに聖王国がジュード様を見捨てるようなもの」

「それは自業自得です」

「でもそれは、ジュード様が大切になさっている民までもを巻き込むことになるわ。ただジュード様はあとはどうにかできるという算段をつけたのでしょう」


 その言葉にターニャは腹を立てたようだった。

 アドリアーネは誤解させたことで慌てて首を横に振る。


「ジュード様は私よりも二十歳年上だわ。そのことをとても気にしていらっしゃる。今朝の枯葉の意味がわからなかったけれど、あれはご自分へのお気持ちだったのよ」

「枯葉、ですか……?」

「ええ。日記から一枚こぼれ落ちたの。あれはポレルモ子爵夫人への今のお気持ちだと思いたかったけれど、違うってよくわかったわ」


 答えたアドリアーネは再びぽろぽろと涙をこぼし始めた。

 ターニャは急ぎ駆け寄って膝をつき、アドリアーネの手を握る。


「姫様、聖王様にお手紙をお出ししましょう。このように姫様が悲しまれずとも、聖王様ならきっと解決策をお教えしてくださいます」

「ダメよ。そんなことはできない。こんな私事のためにお父様のお手を煩わせるわけにはいかないもの。それに……いくらお父様でも人の心は操れないわ」

「ですが――」


 抗議しかけたターニャの手を強く握り、アドリアーネはその言葉を押しとどめた。

 そしてまた頼りなく微笑む。


「一番の問題はジュード様のお心なの。ジュード様は不義理だとわかっていても私のためを思って婚約解消を申し出てくださった。私がどれほどジュード様をお慕いしていると言葉にしても伝わらないのは、ジュード様に私の気持ちを受け止める気がないからよ。ジュード様に私の気持ちが届かなければ、この結婚は私にとってつらいだけだわ。だから、そのときは婚約解消を受け入れる。そしてできる限りこの国のさらなる復興と発展のために尽力してから私は国へ帰るわ」


 もし自分が子爵夫人ほどの年齢だったら。

 せめてあと十歳年上だったら、ジュードは恋愛対象に見てくれただろうか。

 少なくとも、結婚相手として恋ではなくても親愛の情をもって誠実に相対してくれただろう。


(ううん。きっと今だって無理に押し切れば結婚して、優しい夫になってくれたはず……)


 そう思うと後悔が押し寄せてくる。

 あのときはパニックになってしまったが、押し倒せば――いや、押し切ればよかった。

 前世と違って今は容姿と身分には恵まれているのだから。

 そうすればひと月ではなく、長期的に努力して好きになってもらえたのかもしれないのだ。


「失敗したあ!」


 頬を濡らしたままではあったが、アドリアーネはいつもの調子に戻っている。

 ターニャはほっとしたものの、すぐに身構えた。


「口にしてしまったものは仕方ないわ。期限はひと月。その間にジュード様を悩殺してみせるわ!」

「の、悩殺……?」

「だって、ジュード様にとって私は小娘でしかないから、恋愛対象にならないのよ。それなら私の大人の魅力をみせるしかないわ!」

「大人の魅力ですか……」


 案の定、残念な思考を始めたアドリアーネにターニャの気は抜けた。

 それでも前向きになったアドリアーネを見ていると全てが上手くいくと思える。


「さあ、それじゃあ寝るわ」

「はいはい。では侍女を呼びましょうね」


 明日は朝からやることがたくさんある。

 アドリアーネは気持ちを切り替えて、寝支度を整えるために立ち上がったのだった。




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