散歩
「姫様、今日はどちらにいらっしゃいますか?」
「そうねえ。私が立ち入っていい場所はひと通り回ったし、やっぱりあの噴水があるお庭がいいわ」
「かしこまりました。それでは騎士たちにそう伝えてまいります」
「ええ。お願い」
予定通り散策に出ることにしたアドリアーネは行き先を訊ねられ、先日行った場所を指定した。
しばらく休憩したので疲れてはおらず、日が傾くまでまだ時間はある。
この王城の南に広がる庭園は広大で、その中央に大きな噴水があるのだ。
その庭園も内乱時に荒れてしまっていたが徐々に手を入れ、ようやく大噴水を修復するまでに国力が回復した証でもあった。
そのため、ジュードを支持する者たちの誇りでもあり、王城に勤める多くの者たちの憩いの場になっている。
以前は限られた者しか南庭園には入れなかったらしいが、今は王城に勤める者なら自由に出入りできるので、アドリアーネは途中多くの者たちから挨拶受けた。
とはいえ、挨拶をしてくるのは貴族階級の者たちだけで、他の者たちはアドリアーネの姿を見るだけでその場に膝をついて祈るように頭を下げる。
(ほんと、これだけは何年経っても慣れないわ……)
生まれながらに聖王女としての記憶しかなければ、皆のこの行動を簡単に受け入れられたのかもしれない。
もしくは皆の心に感謝し、涙したのかもしれない。
ただ前世の記憶が邪魔をして、どう対処していいかわからず引きつった笑みしか浮かべられないのだ。――皆からは聖女の微笑みと余計にありがたがられるが。
そんなこんなでどうにかアドリアーネはにこやかに微笑んだまま大噴水までやってきた。
勢いよく水しぶきを上げる大噴水はやはり迫力がある。
しかし、いくらお天気がよくても秋の夕暮れが迫るこの時間は少し肌寒い。
「姫様、ショールを羽織られたほうがよろしいのでは?」
「ええ、ありがとう」
何でもお見通しのターニャに促されて、アドリアーネはショールを羽織った。
ターニャは最初からショールではなくボレロを羽織っている。
騎士たちは大丈夫そうだが、それでもそろそろ部屋に戻ろうと、アドリアーネは引き返した。
少しだけ来た道と違う道を探検気分で進む。
アドリアーネは先頭を進んでいるのだが、お城ははっきり見えているので迷うことはないだろう。
そう自信を持って歩いていたアドリアーネは少しずつ不安になってきた。
だがここで迷ったと言うのは恥ずかしい。
もうしばらく進めばきっと誰かに会えるだろうから、そのときに話しかけてさり気なく一緒に脱出しようと考えた。
ちょうどそこへ少し先の横道から女性が現れ、ターニャや騎士たちが警戒態勢を取る。
「まあ、聖王女様」
「――初めまして、こんにちは」
「あら、大変失礼いたしました。私はポルレモ子爵夫人のジャニスと申します」
「よろしくポレルモ子爵夫人」
少し離れた位置で立ち止まり蠱惑的な笑みを浮かべて挨拶する子爵夫人にアドリアーネはにこやかに返事をした。
ターニャや騎士たちも子爵夫人の様子にわずかに警戒を緩める。
「城へ戻られるのですか?」
「ええ」
「では、よろしければご一緒しても?」
「もちろんです。子爵夫人はバラのような方ですね」
「まあ、なんて光栄なことをおっしゃっていただけるのでしょう」
アドリアーネはさり気なく子爵夫人についていこうと一緒に歩き始めた。
そして思ったことを口にすれば、夫人は気をよくしたようで嬉しそうに笑う。
だが和やかな会話もそこまでだった。
「殿下はもうこの城には慣れられましたか?」
「慣れた、とは申せませんが、皆さまとてもお優しいので、すぐに大好きな場所になりました」
「それはようございました。ジュードも……陛下もとてもお優しい方でございますから、世間ではなんと噂されておられようとご心配なさることはございませんわ」
「ありがとう」
アドリアーネが無邪気にお礼を言うと、子爵夫人はかすかに顔をしかめた。
だがすぐに幼子に向けるような慈愛に満ちた眼差しになる。
「陛下と私は若い頃にはとても親しくさせていただいていたのです。ですから陛下のことはよく存じ上げておりますの」
「では、今は親しくされておられないのですか? なぜですか?」
「それは……男女の仲にはいろいろとありますから」
「そうなんですね。お若い頃と申されますと、二十年ほど前のことですか? 今はすっかり落ち着いて見える子爵夫人も、私のようにものを知らず、何か失敗されたりしたのですか? どうか教えてくださいませ。そうすれば私はジュード様とずっと仲良くいられますもの」
「まあ……」
矢継ぎ早な質問は夫人に口を挟む隙を与えなかった。
夫人は怒りに青ざめていたが、純粋なまでのアドリアーネの顔を見て感情を抑えたようだ。
一度咳払いをすると、引きつった笑みを浮かべた。
「殿下、確かに十代の頃は失敗もいたしました。その中でも一番の失敗はおしゃべりでしょうね。殿下のお立場では、誰かを言葉で簡単に傷つけることもできるのですから。どうかお気をつけくださいませ」
「そうね、気をつけるわ。ありがとう」
「わたくしのような者でも、殿下のお力になれたのならよかったですわ。それでは、失礼いたします」
「ええ、さよなら」
無事に城に到着すると子爵夫人はエントランスの前で軽く頭を下げてから去っていった。
要するに夫人はこの南エントランスでの出入りを許可されていないのだ。
アドリアーネは城内に入ると、行き交う人たちに天使のような笑みを向けながら部屋へと戻った。
「なるほどね」
「姫様、あの方は……」
「ジュード様の昔の恋人なのかしらね?」
「だとすれば、姫様とお会いできるような場所への出入りを許すなど失礼ですよ。しかもあの態度!」
アドリアーネの言葉に、ターニャは否定することはなかった。
どうやら同じように感じたらしいが、怒りも感じたらしい。
そんなターニャにアドリアーネはくすくす笑った。
「姫様、笑いごとではございません」
「だって、私の代わりにターニャが怒ってくれるんだもの。嬉しくって」
「私だけではございません。騎士たちだって腹を立てておりますし、聖王国の民が知ればそれこそこの縁談に反対の声が上がりますよ」
「あら、それは困るわ」
アドリアーネの笑顔は困ったようなものに変わった。
皆がアドリアーネを大切にしてくれるが、それは聖王家の人間だからというだけのもの。
もちろん特別な力を有してはいても、誰かのために使ったことは一度もないのだ。
きっとこの先も誰かの役に立つことはないだろう。
父や兄のように未来を予知したり人心を読んだりすることができればと何度も思った。
だが、ないものは仕方ない。
それならば皆の期待に応えられるよう、聖王女として振舞うと決めたのだ。
「ジュード様は私よりも二十年長く生きていらっしゃるのだもの。色々なご経験をされているのは当然だわ。つらいことも、楽しいこともね。だけどジュード様が十年前も今も、ご誠実な方だというのだけは変わらない。それはわかるの。だから過去が何を言ってこようと気にしないわ」
「姫様がそうおっしゃるのなら……。ですが、あの嫌み攻勢はなかなかでしたね」
今度はターニャがくすくす笑う。
アドリアーネは無邪気な顔で首を傾げた。
「あら、本当に疑問に思ったことを訊いただけよ」
ターニャ以外の者ならその言葉を信じただろう。
実際、騎士も子爵夫人も無垢ゆえの質問だと思っているはずだ。
「それで、子爵夫人はどんな姿をしておりました?」
「あの方に告げたとおりにバラよ。昔はさぞかし綺麗だったと思うわ」
「では今は?」
「すごく棘が大きく育って、慎重に触っても怪我をしてしまいそうだったわ」
「あら、まあ。それはかなり危険な方ですね」
アドリアーネの言葉に、ターニャは笑みを引っ込めた。
すっかり母犬モードになっているターニャがおかしくて、アドリアーネはまた笑った。
人の役には立てないが、自分の力はこんなにも幸せにしてくれる。
だからこそアドリアーネはみんなを――ジュードを幸せのお返しをしたいのだった。




