逃亡
「…宰相様…」
「どうした」
「…マンチェスター伯爵がメルーサと共に逃げました」
「お前に監視を任せていた筈だが…どういう事だ?セヴァン」
意外にも冷静な対応をする宰相カーディナル・コンラッドにセヴァンは膝を突く。小刻みに身体が揺れるのは決して恐怖から来るものではない。
「父に毒を…すみません。身体が動かず…」
「毒…抗体の無い物を選んだのか。まさか、実の息子にそこまでするとは。おい、そこのお前!解毒ポーションを持ってきて彼に飲ませてやってくれ」
「は、はい!」
「約束を守れず…申し訳ありません…」
跪く彼にそっと近づき、労うように身体を支えて立ち上がらせて近くの壁にもたれ掛けさせる。
荒い呼吸の彼は苦しみながらも何とかここまで歩を進めて報告に来たのだ。その口から漏れる懺悔にカーディナルは周りを確認して囁く。
「すまない。流石に毒は予想外だった。寧ろ此方が申し訳なかった」
「早く追手を…父の金銭の流れから、多分国外に逃げると…思われ…」
「いい、もう話すな。其方は心配するな、伯爵に関してはもう手は打ってある」
その言葉に安心したのか、兵士が持って来た解毒ポーションを飲み干すと静かに眠りについた。呼吸は深く、症状は落ち着いたようでスヤスヤと寝息を立てる彼にカーディナルはもう一度謝罪をした。
「宰相様。ユーラシア・コンラッド様がお着きになられました」
「お父様。セヴァンは大丈夫ですか?」
「あぁ、少し疲れているから寝かせてやりなさい。あとの事は任せる」
「かしこまりました。…お爺様、いえ宰相閣下…お気を付けて」
「ユーラシア、心の赴くままにやりなさい。責任は私が取る」
「…?」
そんな言葉を残してユーラシアの言葉に軽く頷いたカーディナルは踵を返して石畳の廊下を足速に進む。
「…“打ち上げ花火”は終わったか?ビル」
「あぁ、王を捉えてすぐに」
「では、連絡を」
「…了解した」
ユーラシアは膝を抱えてしゃがみ込みセヴァンの頬にそっと口づけをする。
「セヴァン、お疲れ様でした。ゆっくり寝て疲れを癒してくださいね」
付いてしまった紅をそっとハンカチで拭い、また立ち上がり姿勢を正す。キュッと引き締められたその表情に彼女が年下で女である事など誰も文句を言う事は無かった。
「先程、宰相閣下より此方の監督後任を任されましたコンラッド侯爵家当主カーディナル・コンラッドの孫娘ユーラシア・コンラッドと申します。早速ではありますが、これから彼らの《リダイアル》を行いますので離れてください。隊長格の方は先に会議の準備をお願い出来ますか?」
頷いて奥の部屋へ入っていく隊長達を見送ると、色んな気持ちを押し殺し、ユーラシアは自らの仕事に取り掛かる。
彼女が両手を前に出すと掌からマナ玉と呼ばれるものが次々と生み出されて行く。それはまるでシャボン玉のようにポコポコと生み出され、その玉はあまりに濃厚で触れられそうな程だ。マナ玉が彼らに触れると同時に意識を失わせる。
スキル《リダイアル》はコンラッド家特有のユニークスキル。アリスの持つスキル《絶対記憶》と同じく、血縁者にしか継承されない貴重なスキルだ。
《リダイアル》の効果は記憶を見る、と言うよりも対象者の指定した時の描写を追体験する物。内容が内容なら彼女自身の負担も多い為、普段は使う事を禁止されているが今は止めるものも居ない。
彼女の怒りはとうに沸点を超えており、大好きな幼馴染のセヴァンが傷つけられて黙っているようなお嬢様ではない。
「シア。お疲れ様」
「セヴァン!もう大丈夫なの?」
「あぁ、ポーションを飲んだから大丈夫だよ」
平然としている彼女を引き寄せるセヴァン。何も言わずにユーラシアはその身を預けている。
「シア。俺との約束は忘れたのかな?」
「いえ、忘れてないわ…ごめんなさい、つい怒りを押されられなくて…」
「君はいつも辛くてもそうやって気丈に振る舞うから俺は心配なんだ。今も本当は足がフラついているのに…」
宰相の娘としての、侯爵令嬢としての振る舞いを常に要求されて来た彼女にとって唯一の支えのセヴァン。彼を失う事が彼女にとって最大の苦痛である事は間違いない。
この国の対立関係の勢力図は簡単に分けると王族派、穏健派、中立派の3つになる。王族派は現国王ファルビターラ即位後から勢力を伸ばして来たマンチェスター伯爵家を筆頭に商会に度々訪れていたバッハラップ家、コーネリア家、ルーデンス家などの王宮内で仕事をしている高位貴族が多く所属していて、国王を全面的に支持している派閥。セヴァンはマンチェスター伯爵家長男なので此処に属している。穏健派はランドマーク侯爵家やソマリエ伯爵家ガーデンシュタール子爵家などのリーンと関わりを持つ貴族達の集まりで完全に国王派と対立状態にある派閥。中立派はそれを見守るだけでどっち付かずのいいとこ取りをする少数派閥だ。
現在、コンラッド侯爵家は当主が宰相である事から国王派に属しているが、カーディナルは前国王の時から宰相を務めていて、王妃マルティアがいなくなった後の国政を守る為にその地位に留まっていたのだが、実情は穏健派に組みしていてマルティア達に情報を与えている。
派閥を同じくしているのでセヴァンとユーラシアは幼い頃から交流もあり、一時は婚約の話まで出ていた事もあった。しかし、ユーラシアの祖父カーディナルと父ヴァレンティンはセヴァンの事は気に入っていたがマンチェスター卿との関わりを拒んだ為白紙となった。それでも交流を続けてきた2人は親の意向とは裏腹に仲を深めていったのだった。
しかしある時期、セヴァンに避けられていた時があった。彼は自身の家の在り方に賛同出来ず、かと言って何か出来ることもなく苦しんでいた。ユーラシアに迷惑をかけることの無いように距離を置き、没落するであろう未来を予見していた。
反抗していた彼をマンチェスター卿は監禁し、外との関わりを絶ったのだ。そんな彼を救ったのは辛くもカーディナルだった。ユーラシアのスキルにより彼の心内を知ったカーディナルは彼を味方につける道を選び、王妃メルーサの護衛として推薦する事で監禁状態を解かしてみせた。
絶対の恩義を感じているセヴァンはカーディナルに言われた通り大人しくメルーサの護衛をしながら情報を得て報告する言わばスパイの任を卒なくこなし、今回もその最中だったのだ。
「セヴァン。悪いけどお爺様にご報告しなければなら無い事がございます。お願い出来ますか」
「シア…いえ、監督代理。承りました」
ユーラシアはマナ玉を1つ小瓶に入れて、セヴァンに預けると、隊長達との会議のために奥の部屋へと足を向けた。
「セヴァン。お気を付けて…」
「シアこそ。代理頑張ってね」
ユーラシアは前を向いたままコクリと頷くとそのまま歩き出した。セヴァンはユーラシアの指示通りにカーディナルを追うため背を向ける。
「これから会議に入ります。いつ意識を取り戻すか分かりませんが、半刻ほどなら大丈夫です。見張りは交代で行い、少し休まれて下さい」
「「「「「はっ」」」」」
その頃リーン達はと言うと。
緊張感もなく庭でバーベキューをしていた。
海に赴いた時は流石に全員連れていくわけにも行かず、残って仕事をしていた者達はバーベキューを体験していなかったからだ。
肉の脂が炭に落ちてジュッと音を立てると辺りに香ばしい香りを振り撒いて皆の食欲を刺激する。肉の質問題を解決した保冷庫の開発に成功した為、今回のバーベキューはとても豪華な物になった。
と言うのも、前回の海でのバーベキューは保冷庫の完成が間に合わなかったのと、現地に牧場があり美味いとハッキリとは言わないが新鮮な物が手に入るので現地調達を試みた結果、手に入ったのはガーボ(豚肉)のみで持っていった米とガーボのみと言う何ともシンプルなバーベキューになってしまったからだ。
「これは帝国の名産品マブル(牛肉)のお肉です。こっちがイッシュとアースが頑張って作ってくれたガーボの腸詰め。勿論ガーボもありますよ。たくさん食べて下さい」
「リーン様、お取りします」
イッシュに頼んで肉に合う香草や薬草を厳選してもらい、それと共に塩や胡椒、醤油などで丁寧に味付けした“ウインナー”は大好評で特に子供達からは絶大な人気だった。
庭で行うバーベキューは何とも言えない感情になってしまう。遠い昔の記憶に少し感情が動かされ、思わず感傷的になってしまった。
ーーーバンバンバーンッ
「リーン様」
「作戦の合図に使われたようですね」
リーンの袖をツンツンと引っ張っているのはモニカだ。目をキラキラと輝かせて空を見上げている。
「ハルト様、あれが先日の…」
「はい。ラテに仕掛けるように頼んだ花火ですよ」
「ハルト様!この音はなーにですか?」
「あれは花火と言うものです」
「お花みたいです〜」
「本当は夜見るのが1番綺麗なのですよ」
まだ明るい夕暮れ前の青空に煙を漂わせて開く花は開花の遅れた藤の花のように見えた。
「リーン様、終わりましたね」
「そうみたいですね」
レスターは噛み締めるように言うが、リーンは飄々としていて何か含みを感じた。




