敵の敵は味方
「昨夜、帝都から早馬で4日ほど離れた小規模の町ハリソン宿場が魔物に襲われたそうです。ハリソンは隣国との交易の際に立ち寄る宿場町なので人の往来も多い所です。これで魔物の襲撃は今週は4回目、今月10回目。ほぼ毎日になります」
「そうですか。増えましたね」
いつ、どこから、どうやって魔物が溢れるかは誰にも分からない。正直、神示なら分かるかも知れないが、今は使えないので仕方がない。
気分転換に屋敷裏の中庭で散歩していたリーンはレスターの報告を受けながら花を眺める。
「私は屋敷に戻りますが、リーン様は如何なさいますか」
「私はもう少しここにいます」
「畏まりました」
スタンピードが王太子の活躍によって終わった矢先、魔物被害は右肩上がりに増えている。それでも特段何か対策を講じる訳ではない王国に国民の怒りは最高潮まで跳ね上がり、国民による暴動も激化の一途を辿っていた。
しかし、事態の悪化はそれだけでは無かった。
新聞に掲載されたあの噂は止まるところか、増す一方で尾ひれがついて今やリーン達は人殺しの様な扱いになっていた。
何故なら魔物の襲撃はダーナロ王国のそこら中で起こっているのにある一定の条件下の場所には現れていないからだ。
それこそがこの噂の信憑性を更に上げてしまった原因だった。
そう、リーンの商会とその支店がある町は一度も魔物の襲撃が全く無いのだ。
証拠が無いので逮捕が出来ていない、と言うのよな新聞記事まで出てくる始末。
勿論原因は人々の悪行によるもの。
リーンが商会を広げるにあたり選んだ土地はランドマーク侯爵が治るネアやガーデンシュタール子爵家が治るミーナなど取り引きをしている所だけ。
言えば悪行を行なっていない場所なだけなのだが、それを知る者はいない。
そしてこの件の1番の問題は領民の移住問題だ。
被害がないロビティーを含む11の領へ住民が流れ始めたのだ。移住すれば移住費の他、転出の際に更に税金を取られる。それでも移住をする者が後を立たず、時には収めるお金がなく夜逃げ同然で領を出るものまで現れ出した。
領民が出て行く領側は税収が減るばかりか人手不足で領の運営が立ち行かなくなり、魔物の襲撃で立ち向かう兵士も雇うこともできず村や町は損壊。
ただでさえカツカツの領は破綻へ追いやられていく。こうして噂は浮かれ上がり続け、商会ないし従業員達、屋敷や使用人達に危害を加える者達まで現れ出した。
「アンティ何処かへ行くのですか?」
「…ハ、ハルト様…。少しミーナの方にお手伝いに…」
歯切れの悪い反応に何かあったのだと察したリーンはアンティメイティアをじっと見つめる。彼女はその視線に耐えきれず逸らすが、黙っている事も出来ずポツポツと話し始めた。
「…闇討ち、ですか。では、かなり重症だと言う事ですね」
「命には別状はありません。利き手と左足が骨折していて動くのも辛い様です。それでも店の維持のため仕事を続けているとの事。怪我直後はお客様の鑑定もままならず店の方もかなり不穏だったようです」
「そうですか、アンティには迷惑をかけますがハボックの容体が落ち着くまではよろしくお願いします」
「勿論で御座います」
そして、この噂と並行して違う噂が飛び交い始めていた。
それは商会が配ったポーションについての噂だった。内容はそのポーションの性能は今まで以上でダーナロ産の物では無い、という事。そのポーションを作った人間が薬師協会ロビティー支局の元所長のイッシュである、という事。
この噂が立ち始めた頃イッシュの元に1人の客が来た。彼はイッシュが所長をしていた時の部下で、先日のポーション配布にも来ていたそう。そこで貰ったポーションを見て一目でイッシュが作ったと分かり、退所後も交流があった彼は以前に勤めていた新聞屋に行き、すでに退職している事を聞き、人伝にこの屋敷で雇われていると知り尋ねてきたと言うのだ。
その日は世間話をして帰ったと報告を受けていたが、数日後に丁寧な先触れを出して再び屋敷を訪れた。その日も他愛もない話をして帰ったと報告を受けていたのだが、その数日後この噂が立ち始めたのだ。
新聞にも載っていない話がここまで市井に伝わり、更には少しの尾ひれも付かずそのままの内容で伝わる事は中々難しい。それに噂が広まったのはロビティーのみに留まらず、ダーナロ王国中に満遍なく広がったのだ。
そしてこの噂により人々に再び疑問を生じさせたのだ。
自身で起こしたスタンピードで儲けるのではなく、何故無償でポーションを配ったのか。しかも信頼できるイッシュ作成の貴重なポーションであるのに、と。
この世界の情報伝達媒体は噂話以外なら新聞だ。識字率が低いのにだ。読めるものが読んでそれを広める。
新聞社はダーナロ王国の中だけでも数十店舗あるが、どこも購入して貰える様に必死で、だからこそ信頼度も必然的に必要になる。裏取りをせず嘘を記載して信頼度が下がり潰れた新聞社は淘汰されて行き、そこで生き残った新聞社の信用はとても高いが、だからこそ、それに踊らされていると気付いている者は決して多くはない。嘘の記事は『かも知れない…』と濁したり、『そうなるだろう』と未来を語ったり、とその辺はとても上手くやっている。
その為今の新聞社は王宮からの掲載依頼に関しては逆らうわけにも行かず、内容の是非を問わず新聞社同士が結託しを口裏を合わせているのは言うまでもない。
それに気付いている国民は少ない。自分で読んでいる訳ではないからだ。今回の後発の噂のお陰で数は少なくとも新聞の記事を疑う者が現れ出したのはとても奇跡的なことなのかも知れない。
そして、今目の前にいる男は目的を持ってその奇跡を引き起こしたのだ。
「此方の主人は感謝しておりましたでしょうか?」
「主人はこの件について何も申しておられない。これは貴方が勝手にやった事だ。それでも望みを聞いて貰えると?」
レスターの口調は強い。
まるで相手を挑発するかの様だ。しかし、相手は特に気にすることも無く楽しそうに笑っている。
「そうですか、残念です。あまりお気に召さなかったのですね。では次は何を手土産に参りましょう?考えておきますね」
「…本日はお引き取り願います」
2人の様子を隅で控えて見ていたイアンはレスターその言葉を聞いて直ぐに帰れ、と言わんばかりに扉を開けた。言われた通りに屋敷を出て行った男のしたい事を計りかねているレスターに隣の部屋で待機していたアリアとジェシカが声を掛ける。
「…敵ではない」
「んー、敵ではないけど味方でもないよ?ジェシー」
「どう言う事でしょう」
アリアとジェシカは難しい顔をしたレスターを見て笑いを堪える。彼の存在が煩わしいと顔に書いてあったからだろう。
「んーと、簡単に言うと敵ではないの。イッシュの言う通りクラスは薬師だったし、隠密系や犯罪系の変なスキルも持ってないし。ただ肩書きは貴族様の次男坊だってだけ」
「それはどちらの?」
「…聞いたことない。ダーナロ王国の人では無い」
「モナミ伯爵、って人の所の次男。モナミって聞いたことある?」
レスターは顎に手を当てて考える。
“モナミ”はとても珍しい名前である。そんな名前を覚えてないはずがない。帝国でもそんな名前は聞いたことがない。
「…他大陸の可能性が高いですね。しかし、それでは此方の味方をする意図が分かりかねますし、王国の味方とも言い難い。…リーン様に相談するしか無さそうですね」
「その方がいい」
「そうです!リーンハルト様にご相談してご意見を頂きましょう!」
彼らだけではこれといった解決策は出ず、リーンに協力を仰ぐ事で纏まった。
「それじゃあ〜、私はハルト様の所に行きますね」
「…私も」
2人を見送って控えていた(出入り口付近の壁に凭れかかっている)イアンに振り返る。
「イアンは彼をどう思いますか」
「まぁ、敵ではないだろうな」
「それだけですか?」
「味方でもない、奴の敵が俺らと一緒って感じだな」
「敵の敵は味方、と言う話なら有難い話ですが…」
レスターは机の上を片付けながら溜息をついた。
正直状況が芳しくない。
取り敢えず予定していた《錬金術師》育成は佳境に差し掛かっているし、ポーションの作成、リーンが求めていた優雅で快適な生活用品の作成、資金の確保、人材確保、ついでの奉仕活動も切りの良いところまで来ている。
レスターはりが言っていた“その時が来るまで待つ”と言う言葉を思い出して再び手を動かす。
“彼”はこの国の噂を掌握しているのだろう。
こういとも簡単に頭を悩ませていた噂が少しずつ落ち着き始めたのは言うまでもない。
誰であろうと直接手を貸さないのにはリーンなりの考えがあるはずだ。その考えを蔑ろにする訳にも行かないし、以前(商会を作った本当の理由を知った時)のようにリーンの考えが分からなかった自分が無能に感じてしまう。
それに今は解決策を講じれるだけの情報もそれを集められるような人脈も人手もない。今まで自身で解決出来ない問題に直面したことがないレスターにとってこれは苦痛以外の何者でもなかった。
「イアン、そろそろリーン様は動かれるかも知れない」
「ん、リョーカイ。任せな〜」
気のない返事をするイアンにレスターは背を向け、その目は中庭で散歩するリーンを見つめていた。




