ニーニャとアーニャ
「ごめんください。今日のオススメはどれですか?」
「あら、リーンちゃん!いらっしゃい。それより、いいのかい?帝都には美味しものが沢山集まってるって言うのに、ここ毎日パンばかり。わたしゃー有難いけどねぇ、流石に飽きないかい?」
大量に買い込むパンの事を言っているのなら全く心配はいらない。決して無駄にはしていない。
初めてパン屋に来たあの日以来、リーンは10日間欠かさずお昼にここのパンを食べている。
あの後も屋台がダメなら!とレストランやカフェにも行ってみたが、結局何処も変わらず。宿屋の食事も似たような物で結局朝から晩までここのパンを食べているのだった。
「朝食と夕食は宿屋で出してくれる肉とか干したお魚とか色々食べてますし、パンも残してませんよ」
あの量を?とおばさんは少し呆れたような表情だったが、オススメパンを紹介していつもの様にパンを取ってくれた。
「ご馳走さまでした」
「リーンちゃん、いつもその食べる前と食べ終わったら言う“イタダキマス”と“ゴチソウサマデシタ”ってなんだい?」
両手を胸の前で合わせているリーンに不思議そうな表情でおばさんが問いかける。確か、この世界の食べる前の挨拶は神様と女神様にお祈りする事もある、と言う程度のもので、しかも食べ終わった後には特に何もなのだ。不思議に思われるのも無理はない。
「これは…」
私が住んでた国の言葉です、と言いかけて止める。ここには住んでいた国などなく、勿論この世界には無い文化で、上手く伝えきれないのは言うまでもない。
「食べ物に感謝してるのです」
「短くても素敵な言葉なんだねぇ」
「今日もありがとうございました」
昼食を終え、店の隅にある食事スペースの席から立つとおばさんが駆け寄って来た。
「ちょっと、リーンちゃん。いつも思っていたけどあの男達はなんなだい?あんな怖い顔して見張られて、悪いことでもしでかしたかい?毎日後をつけられてるなんてよっぽどだよ」
おばさんがリーンに小さな声で耳打ちした。
「あ、あの人たちは大丈夫です。仲良しですから。パンもあの人達と食べてるのですよ。それに彼らは私を守ってくれる人たちなので安心してください」
苦笑いしながらそう言うと、少し顔を輝かせた。なんでもここ数日、リーンがここに立ち寄って食事をしている間だけは何故がお客さんが入ってくるのだそうだ。
「やっぱり、リーンちゃんはお貴族様だったのねぇ!次の日にはそれはそれは上等な服だったもんだから、わたしゃ、びっくりしてしまってねぇ。まだ小さいのに言葉遣いも丁寧で佇まいもお淑やかでお顔もべっぴんさんと来たもんだから、まさかと思ってたんだよ」
小さいと言っても少し物静かで教育された8歳児なら、これくらい話せると思うのは間違いだろうか、と考える。
確かに中身が27歳なのだから、精神年齢が高く思われるのはしょうがない。と自分自身を説得する。
(…ん、貴族?)
「いえ、私は…」
「分かってるよ!ちゃんと知らないフリするさね!」
「いや、本当に私は…」
「気にしないよ、リーンちゃんがお貴族様でもいい子だって分かったらからね!」
全然話聞いてくれない…。と少し面倒な事になったなと思った反面、それでこの護衛、精神年齢、お金持ちなどのおかしな状況を誤解してくれているのならいいか、とも思ってしまう。しかし、少し身なりを整え過ぎたのだろうか。髪もさらさらで綺麗だからついつい結いたくなって豪華にし過ぎたかもしれない。もう少し楽な服も買っておこう。少し気分が沈んでしまったが、いい子と言ってもらえたのは素直に嬉しかった。
リーンが店を出るとすぐ、店の脇の路地の方から此方を呼び止める声がした。路地裏をヒョイと覗くと、このパン屋で何度か見かけたおばさんの娘さん2人が手をつないで立っていた。
店から出て来たリーンが立ち止まるのを見て兵士達が駆け寄ろうとしていたが、リーンは軽く首を振りそれを制した。
「私に何か御用ですか?」
少し緊張した様にも見える2人に安心させる為、小さく微笑みながら聞いてみる。
「あ、あなたにお願いがあるの!私はここのパン屋の娘のニーニャ13歳。こっちは妹のアーニャ5歳よ」
「…」
考えていたよりも2人の年齢が若い。若干の驚きはありつつもリーンは表情は変わる事はなかった。
2人を高校生と小学校中学年位に思ってたリーンからすれば年齢詐称を疑うレベルの違いだった。
実際に日本人の平均からすればリーンの見解は妥当だったのだが、ここは異世界で基準も違う。もっと言うと地球の平均身長よりも少し大きい。
2人はリーンもよく店で見かけていた。
印象はと言うと、ニーニャはとてもしっかり者で店の手伝いもテキパキこなしており、愛想も良く顔立ちもハッキリとしている。茶色の髪をポニーテールにし快活な子だ。
アーニャはリーンより3センチほどだろうか、少し大きい。人見知りなのか余り話さず大人しい子だ。それでいて、とても5歳とは思えない程気の回る子だった。ニーニャと同じく茶色の髪で左右の高い所で二つに結えて子供らしい。2人共おばさんの茶髪とおじさんの薄く灰色にも見える青い目を受け継いだのだろう。
確かに全体的にこの世界の人は背が高いように思う。しかし、自分が小さいので周りの身長をよく分かっていなかったのも事実で、特に気にも留めていなかった事も理由の一つだろう。
これで8歳と言い切るのはとても無謀に思われる。
(5歳ならちょっと成長が遅いくらいで…)
これで何故この世界は発展して行かないのか、と思わざるを得ない程にこの世界の子供達は達観している。神示を持ってしても知り得ない事もあるようだ。リーンの子供らしからぬ行動や言動もそういった事からあまり驚かれないのかと理解した。
日本人としての常識は此方では通用しないようだ。
神様がこの様子を見て神示の情報の項目に身長と体重などの細かな情報を付け加えた。その事にリーンは数日後気付くのだが、もう要らないと思ったのは言うまでもない。
2人はリーンからの返答を大人しく待っている。自己紹介をして黙り込まれる事はそうそうないだろう。
「ずっとお店ではお見かけしておりましたが、きちんとご挨拶するのは今日が初めてですね。私はリーンと申します。アーニャさんと同じ歳の5歳です」
本当は7、8歳ぐらいだと思っていたけど、と心の中でそっと呟いたが何もない様な笑顔を二人に向けた。
「あ、貴方が来てからほんの少しだけどもお客さんが来る様になって…感謝している、です。貴方が貴族だって噂で…そんな人が来てるならって…。でも、こ、このままじゃお店が潰れちゃう、です。パパとママの大切なお店が…な、な無くなるなんて私どうしたら…ですか!」
泣くのを必死に我慢していて途切れながらも敬語で話そうと頑張るニーニャは言葉遣いや態度を取っても13歳の少女そのものだ。妙に大人びて見えていたのは無くなるかも知れないこの店を彼女なりに必死で守ろうとしていたからに違いない。
「無理に言葉を変えなくていいですよ。私は貴族でも何でもないのですから。それと事情はわかってるつもりです。事情を偉い人に話してありますので安心して下さいくださ」
「私達を助けてくれるの?またお客さん来てくれる?」
「はい。お二人にも協力して頂ければ必ず」
ニーニャはリーンの手を握り何度も、何度もお礼を言った。
パン屋を助けようとしていたのは事実。助けて欲しいと言われればすぐにでも助けたい。何度もこのパン屋に訪れている間にあの優しさに溢れた家族を壊したくない、とそう思っていたからだ。少し羨ましくもあったのだろう。ただ、助けるという事は事情を知ってしまったからなんて言えるほど簡単な話ではなかった。
複雑に絡み合う事情はとてもリーン1人で何とかなるような問題では無い。大人のしかもとても権力があって強い発言力と武力、資金力がある人物でなくてはならない。そして、こんな子供の言う話を聞いて助けてくれるような優しい人物
そんな物珍しい人物はもう見つけた。
凛。彼女にとって日本はとても生きづらい世界だった。幾度とない試練に立ち向かい乗り越えて来たが支えてくれていた人がいなくなり、疲れ果てた心では再起は不可能だった。
リーンになり、幸せを望まないものの自由に生きてみようと思えたように、逃げてばかりはいられない。
必ず助けるよ。と帰る2人の背中に向けてリーンは小さく呟いた。