不満と欲求
ーーおい、聞いたか!あの王女またやらかしてるらしいぜ
ーーおぉ、聞いたさ。今度は庭に家を建てたらしいぞ
ーー王は何してるんだ。流石にもう、耐えきれない。
国民達の不満の声が日毎に高まる中、リーン達の商会は順調に売り上げを伸ばして行っていた。
初めは見下していた貴族達も流石に焦りだし、心改めたかのように高級な貢ぎ物を送って来ていた。
「何やら新作が完成したとか。楽しみです、リーンハルト様」
「ポートガス男爵。態々お越し頂き誠に有難う御座います」
ポートガス男爵は先日コンタクトを取った男爵の1人。生真面目な人で腰の低さと穏やかな表情はとても和やかな雰囲気を与えてくれる。
ただ少し今は気不味い雰囲気になりつつある。
何故かと言うと彼の息子セントフォールを連れて来たからだ。セントフォールは少し頬を赤らめつつ目をキラキラと輝かせてリーンを見つめている。
この表情は何度か見たことがある。
リヒトと出かけて行った時の女性達のあの煌々とした表情だ。
「初めまして…リーンハルト様。私はポートガス男爵家長男セントフォール・ポートガスと申します。今日はお会いできて光栄でございます!」
「初めまして、セントフォール様。今日は楽しんでいってくださると嬉しいです」
兎に角今は彼が飛び付かんとする勢いを落ち着かせるしかない。彼のとても綺麗な顔、うるうるとした瞳は女心をくすぐるのだろうが、その下に見え隠れする獣のような雰囲気はイアンとはまた少し違う雰囲気を感じる。
「セントフォール様、だなんて…リーン様出来れば…その、セフォと呼んでくだ…」
「“お客様”がリーン様を愛称で呼ばれるのは少々馴れ馴れしいですね。このお方がどなたかとお思いですか?」
「申し訳ありません失礼致しました。そうですね、いきなり愛称で呼ぶのは軽率でした。セフォと呼んで頂ければ嬉しいです」
うぅ、と唸り声が後ろの方で聴こえてくる。リーンも唸るミモザとおんなじ気持ちだ。イアンはケッ、と煩わしいと言わんばかりだが。可愛すぎる顔、この人懐っこさときちんと一歩引ける礼儀の良さ、そして見え隠れする少しの強引さ。
と、言っても彼はそれ程に若いわけではない。せいぜい、20歳と言ったところか。
「本当申し訳ありません。どうしても着いて行くと聞かなくて…。何でも以前どこかでお見かけしたことがあったそうで…」
「いいえ、大丈夫です。お気になさらず。ご挨拶はこの辺で…そろそろ商品をお持ちしても?ポートガス男爵様」
「ええ。お願いします」
神示で確認出来なかったとは言えこんな強烈な息子が居たとは、と内心不安に思いながらも大事な商談を蔑ろには出来ない。それなりには蓄えも増えているが、まだまだ足りない。
「レスターお持ちして下さい」
「畏まりました」
要所、要所でお好きな食べ物は?お好きなお色は?好きなタイプは?休日の過ごし方は?と質問を挟まれつつ、彼の真意を測れないまま、ニコニコと笑顔で交わしたリーンに膨れっ面の彼は本当に成人しているのだろうか、と心配になる。
事前に聞いてた話だと彼はとても優秀であのマロウの通うマキシマム学園を主席で卒業して父同様に自ら事業を立ち上げ、この貧困な国で鰻登りに収益を出していると言う。
リーンの経営に興味があるのか、本当に恋心のようなものなのか知らないがこの笑顔には流石のリーンも表情には出しては居ないが狼狽えている。
「此方は缶詰、と言う商品です」
「かん、づめ?ですか?」
「中には加工した肉が入っており、長期間の保存が可能です」
「食品、ですか」
食品を主に取り合うかう彼らは特に興味を示さなかったようだ。明らかに落胆したように見えた。
今まではタオルやマットレスのような生活用品を買っていた彼らはその物が与える快適な生活に満足していたのだろう。更なる極楽を目指していたのに、食品とは…、とでも言い出しそうなようす。
「いいえ、私がお売りしたいのはこの外側の方です。鉄で出来ているので材料費は安く済みますし、味も色も変わらず保存は最長で2年」
「2、2年!!??」
「何を入れてもいいのですか?」
「ええ。ですが、主に魚介や肉類、あとは果実が妥当だと思います。缶に入っている間味が更に染み込みますので、煮込み料理には最適ですね」
「「買います!!!!」
良い返事を貰って満足そうな和やかな表情のリーンにレスターも同じく和やかだ。落胆からの喜びな落差が大きければ大きい程心地良い気分になる。喜ばせれた、と言う嬉しい気持ちは何とも言い難い。
「では、此方の契約書を。これはかなりの特殊な技術を用いた商品ですので、リーン様のお力の恩恵を真似るものが現れるやも知れません。取り扱いには注意してください」
「畏まりました」
何の躊躇もなく契約書に名を記すポートガス男爵に信頼して貰えているのだと分かりレスターと目を合わせる。
真似られるのが良く無いわけでは無い。ただそう簡単に出来る代物では無い為、失敗して中身が腐ったと、なると此方にも被害があるから、と言うのが1番の理由だ。
「しかし、あの“たおる”と“まっとれす”は本当に使い心地が良く…他にも何か…有ればと…」
「そうですね、出し惜しみしていても意味はありませんのでご紹介させて頂きましょうか。レスターあれを」
途端にまた目を輝かせた2人ににこりと微笑む。何と正直な人達なのだろうか、と。
「これはシャンプーとリンスと言います。一緒に使うと髪の汚れをしっかりと落とし、指通りが良くなります。色艶も良くなるので周りとかなり差をつけられます。男性は化粧をなさらないので。一緒にワックスもお付けしましょう」
目を捌かせるように商品をガン見している。こう言ったものはどちらかと言えば女性に人気のあるものだろう。しかし、貴族間では見た目の美醜はかなり気にされるもの。それだけで上流貴族との縁談が決まる事もよくある事だ。
「“しゃんぷー”と“りんす”ですか。リーンハルト様の御髪ももしや…と、とりあえず試してみましょうか」
「私も使っています。使い方の説明書はメイドさん達にお渡し下さい」
リーンは肩まで伸びる髪を軽く耳にかける。その流れるような仕草を恍惚とした表情で見つめる2人ににこりと笑ってみせた。途端に顔色が悪くなる2人にリーンは小首を傾げた。
代金を置いて名残惜しそうに去って行った2人を見送って、執務室に戻る。
「リーン様、ああいった事は無闇になされないで下さい。目を光らせるにも限外があります」
「…?あのお2人にもですか?」
たまに言われる小言に何をしたらいけないのか分からない、と言わんばかりに首を傾げる。
控えていたイアンもミモザも同意するように強く頷くのを見て落ち込むリーン。
「そう言う事をですね…もう良いです」
「お前も大変だな」
諦めたレスターと同情するイアンに対しどうしたらいいのかわからないリーン。この件に対して両者の意見が交わる事は今後もないだろう。
「そろそろ、普通に外を歩きたいです」
「リーン様…もうあの日の事をお忘れですか?」
「忘れてはいませんが…」
あの日とはこの屋敷を買って日の事を指している。人々に囲まれて身動きが取れなくなり、この屋敷を買わざる終えなくなった。
しかし、流石に庭の散歩にもそろそろ飽きてきた。この約4ヶ月で街に出たのはあの日のみ。後は転移結晶と魔法陣で屋敷と商会、支店の往復のみ。街を歩く事は出来ていない。
エルムにいた時の自由が完全になくなった今、ストレスとまでは言わないが気が滅入ってしまう懸念があった。何より1番厄介だった姫が城に帰ったのだから大丈夫だろうと言う過信もあった。
「イアンがいても…無理でしょうか…」
「……その顔は狡いですよ、リーン様」
憂いに満ちた悲しげな表情にレスターは頭を抱えて天を仰ぐ。色んな葛藤の末に許可を出したレスター。当たり前のように条件を付けて来たがそれはしょうがないと割り切った。
「では、早速ですが明日の休みは出かけます」
「畏まりました。くれぐれも約束は守って下さいね」
念を押すレスターにリーンは苦笑いしつつも明日の予定をあれこれ考えわくわくしていた。




