ダーナロ王国
「皆さま、ロビティーに到着致しました。大変お疲れ様でした」
リヒトが用意してくれた馬車で帝都を出発する。余計な気を使わせないようにと早朝の出発を選んだのだが、結局屋敷中の人達がお見送りしてくれて、寧ろ迷惑だったように感じる。
あの後、ディアブロからの干渉も無く、怪しい人影も無く、諦めては居ないと思うが、如何やらこの件からは手を引いたらしい。
アリスが罪を償うと言って聞かなかったのを何とか宥め、《錬金術師》となる為、ハロルドの仕事を手伝いながら勉強する事を約束してくれた。男爵家の令嬢としてこれからとても忙しくなるだろう。聡明な彼女ならしっかりやっていけるだろう。
ハロルドは今後の資金調達の為にリーンが購入した商品を揃えるのに大忙しだ。
色々お世話になったロベルトのブティックにも挨拶に行ったが、ロベルトの願いについてはまだその時では無いと分かっていたようで、それまで上手くやっておきますよ、と言われた時には改めてロベルトの凄さを痛感する事になった。
騎士団への挨拶はカートを中心にいじり倒され、泣かれ、騒がれで、屋敷に戻る頃には疲労困憊で寝落ちしてしまった。
グランドール家への挨拶はリリアの発狂を見たくないと言うポールの提案で外での会食と言う形で幕を閉じた。
パン屋もトットが居なくなってから元通りお客さんがたくさん来るようになり、食パンと惣菜パンの売り上げも順調で以前より忙しくしているようだ。
聖王国の教皇入れ替わり、そしてラミアンの罪が明るみになり、帝国、聖王国は色んな意味で騒然としていた。更には聖王国に居た【賢者】が偽物で尚且つ、ラミアンの隠し子だった事が判明してもう一波乱あったそうだ。体制もかなり変化したようでビビアンとティリスのツートップで頑張っているそうだ。この騒ぎが落ち着くまでにはもう暫く掛かるだろう。
お世話になった人達とのお別れを早々に済ませて、アーデルハイド家にいる間、これまで以上に皆から構われて続けとても楽しく、慌ただしい1週間を過ごした。
そして、たった今、目的のダーナロ王国、ロビティーに到着した。1ヶ月にも渡る長旅が漸く終了したのだ。道中特に問題もなく順調に進めた。
昼時に到着した為か町は帝都には遠く及ばないが、それなりに活気溢れていて、そこら中からいい匂いが立ち込めている。今にも腹の虫が鳴りそうだ。
ロビティーはダーナロ王国の第2の都市で片側がエンダの森に隣接している。森から取れる薬草の恩恵を受けているのと同時にその加工、生成の技術が進んでいてポーションと言えばロビティーというほどにとても有名だ。
リーンがダーナロ王国の中でもロビティーを選んだのには単純にポーションに興味があったのに他ならない。味、色、形、効果の出方、どこまで直せるのか。神示で知っている。だからこそ、実際に自分の目で見てみたかったのだ。
…だったのだが。
「ハロルド様に聞いてた話と全然雰囲気が違いますね」
「なんか、なんもない所だなー」
「イアン。そう言えば帝都では自由な時間は間楽しめましたか?」
イアンはブンブンと大きく首を振る。
「いーや。結局何したらいいか分からなかったから、いつも通りプラプラ散歩したり、昼寝したりだったなー」
結局リーンがあげた褒美にも手はつけられておらず、トットの屋敷から出てからはレスターが用意した宿にレスターに言われた通りにしていたらしく、本当に何もしてなかったようだ。
「イアンがしたい事がないのなら、お手伝いして頂けますか?それか、“したい事”を提案いたしますよ」
イアンは今回の旅に同行して欲しいと頼むと、んーんー唸りながらも承諾してくれた。旅が終わったら自由か?とまた“自由”を気にしていた。彼自身したい事がなく、トットの所を出た後レスターの言われた場所で言われた事をこなし言われた通りに大人しく過ごしていたようで、自身の意思は全く感じられない。ここまで来ると“自由”という言葉に固執しているように感じる。
「“したい事”の提案?」
「例えば、ダーナロ王国発祥のメトロンという美味しいケーキを食べます。それから、この国には刀鍛冶で、有名なドワーフのガンロ様がいまして、素晴らしい剣が買えます。他にもエンダの森の中に行くツアーもあります。自由なので何処に行ってもいいのです」
イアンはふむふむ、と顎に手を当てながら想像を膨らませているようだ。その表情はどっから如何みても子供だ。
イアンはその境遇から子供の心のまま身体だけが大きくなって、身体に追いつかない心が色んな物を抑制し続けてた結果、考えることを辞めたようだ。
幼い頃の体験からそうなったと言うのは大変理解できる。凛も同じような境遇だったからだ。だからと言って凛はこうはならなかった。それは地球と言う整備の整った環境がそうさせなかったからだ。リーンが居た世界が同じく無秩序だったならばこうなって居たのか、と悟る。
「リーン様。私は宿の手配が御座います。何処にいらっしゃるかは直ぐ分かりますので、観光をお楽しみ下さい」
レスターは軽く耳を触りながらリーンに一言告げるとイアンにリーンを手渡し宿を探しに人混みの中に消えていった。
「あのさ、俺なんか食いたいかも」
「そうですね。お好きな食べ物は御座いますか?」
「好きな…食べ物か?」
趣味趣向も特に無いらしい。無欲なのか。無知なのか。したい事、見たい物、食べたい物の好みも無いのだろうか。
神示で彼の境遇を除き見ても、出来事は分かっても彼がこうなった心内は分からない。神示で分かるのは何があったか、だけなのだ。
「では、色んな物を少しずつ食べてみましょうか?」
初めは露店で扱っている塩が若干効きすぎている何かの串焼きや甘酸っぱい木の実のジュース、ポーンという小さなカステラのような焼き菓子などを2人で分けながら摘む。
お金の使い方もあやふやで覚束ないが、それさえも楽しそうに見える。
「これは、自由か?」
「はい。これは自由です」
イアンはそんな質問を繰り返し、リーンが肯定すると嬉しそうにこれも自由か…と呟いた。
街を歩き回り、お洒落な雰囲気のカフェに立ち寄ってみたり、ポーション屋も覗き、入り口に屋根に差し掛かるくらいに本を積み重ねた本屋に立ち寄ってみたり、観光を楽しんだ。
勿論、エンダの森ツアーも参加してみたし、メトロンも食べて、イアンの短刀も新調してみた。
夕日が落ちてきて街が赤く染まる。街の子供達の姿が少しずつ減って、ロビティーは次第に夜の街へ変わっていく。ライトオパールで照らされた店先。色っぽいお姉様達が男性達の視線を攫う。殆どが暗がりで人の気配は少ない。
「観光客が多いようですね」
「そうでもない」
イアンに視線を向ける。真剣な眼差しを暗がりに合わせて少し悲しそうな表情をする。いつも飄々としている彼のそんな顔は初めてだ。
「イアン。さっきのポーンはまだ残ってましたよね?」
「ん」
お腹が空いたのかと思ったのか、麻布に包まれたポーンを一つ取り出しリーンの口元に差し出す。こう言う行動から見ても彼は意外にも子供の世話には慣れているようだ。
リーンはニッコリ笑ってもうお腹いっぱいで食べれない事を伝えると不思議そうな顔をする。
「イアン。“したい事”を提案しますね。この余ってしまったポーンをあの子達に上げるのは如何でしょう」
イアンはリーンをジーと見つめた後、また暗がりに目を向ける。見窄らしい身なりの子供達が身を寄せ合っている。
「あげるのは“自由”なのか?」
「はい。あげなくても良いですし、あげても良いです。だから“自由”です」
スタスタ暗がりに近づくイアン。元々彼特有の猛獣のような雰囲気はそのままで途端に震え上がる子供達。泥だらけの皮膚。伸び切った髪は目元を隠し、蛆虫がつき、傷ついた膝や腕は化膿していて見た事のない色になっている。路上での生活はこんな小さな子供達には壮絶だろう。
「食え。俺は自由だから、お前達にやる」
「さぁ、皆さん。気にせず食べてください」
そう言うと、1人の少年が恐る恐る近づいてイアンの手から包みごともぎ取り、それを皆んなに配り始める。彼はこの子供達のリーダーなのだろうか。イアンはそんな彼らの様子をジーと何も言わずにただ見つめていた。
屈んでいたイアンが不意に立ち上がる。
「リーン様。宿の準備が整いました」
「では、皆さんまた明日」
レスターの気配を感じたのか。何も言わずにレスターに近づき、そのままリーンをレスターに返す。
子供達はと言うとリーンのその言葉に不思議そうな表情だが、返事は返ってこなかった。
「イアンは大丈夫でしたか?」
少し前を飄々とした様子で歩くイアンを見ながらレスターはコソッと囁く。リーンはにこりと笑って頷く。
「今日一日で色々学んでくれたのなら嬉しいです。それより、用意は出来そうでしたか」
「はい。何件か候補を見つけて参りました」
「では、明日はそれを見に行きましょう」
吸い込まれそうな黒い空に向けてイアンが歌う小さな鼻歌。リーンはそれに耳を澄ませて、明日の事を考えていた。




