会いたくない人
殆どの準備は完了した。
今は最終確認をしつつ、ラミアンが帝都に来るのを待つばかり。ヴィンセントから今のところ予定通りに進んでいると聞き、その時が刻々と迫っていると知り、気を引き締める。
教会はいつ見ても白く神聖なお城であり、信仰の象徴だ。他のどの城を見てもここまで白一色なのは教会以外にはないだろう。
白の塗料は高価で量が出回らない。なので、幾ら帝都が栄えていると言っても殆どは木造で商会やギルドなどの人が集まる所や避難所にもなる場所はレンガ造りになっている。
城の白さと相反して黒い雲が帝都を覆って降りしきる雨は街の活気を掻き消すように強く、どんよりとした空気は今のリーンの心情を表している様だった。
ーー同時刻 聖王国ヴェルムではヒャダルディンとラミアンの会合が行われていた。
ヒャダルディンは公爵から任務で教皇と会談し、その際ディアブロの名を出す様に指示を受けていただけで特に詳しい事情は知らないと言う不思議な任務をこなし、そのまま監視をする予定だ。
ヒャダルディンがその名前を口に出してからラミアンの顔色は暗くなる一方で、そのまま黙り込んだラミアンを見て何となく分かったのは、ラミアンはそのディアブロという人物に酷く怯えているという事と兎に角そのディアブロという人物に会いたくないらしい、という事だけ。
(ヒャダルディン、特にする事はない。揺さぶれれば良いだけだ。それで彼女は納得するだろう)
彼女とは一体誰の事を言っているのか。と思いはするが、これ以上の深追いはせず揺さぶりを掛けられたので引き下がる。
「では、また明日お会いしましょう」
そのまま部屋を後にしたヒャダルディン。
「ミット、監視があるみたいだな」
「はい、少し離れてはいますが、確実に監視の者ですね。ですが、特に問題ありません。透視や盗聴などの類いの技能は持ってない様です」
「そうか、では其方はお前に任せる」
「畏まりました」
ミットがいなくなった後ヒャダルディンはラミアンの監視を始める。
この作戦を諜報部隊に任せたのは公爵に何か考えがあるからだろうと考えたからだ。
少しすると荷物を持ったラミアンは姿見鏡とライトオパールの光だけの薄暗い部屋に入る。
そしてまた少したった後別の人影が現れて、扉をノックした後入って行く。
ヒャダルディンは自身の技能【盗聴】を使って中の声に耳を傾ける。
ヒャダルディンの持つ【盗聴】は監視系技能の中では最上位のランクの技能だ。【すまし耳】→【盗み聞き】→【盗聴】の様に進化する。
諜報活動やスパイ、監視の任務を行うには持っておきたい技能だろう。
「猊下、失礼致します。帝都に行かれるのですね?」
「…スイ。分かるだろう、お前は知らぬかも知れぬが、ディアブロが帝都に来る前に何としてもビビアンを破門しなければならないのだ。もう一刻の猶予もない」
「猊下、でしたら良いポスト先に心当たりがあります」
如何やら教皇は帝都に向かうらしい事と帝都の常駐司教ビビアンを破門にしたいらしい事はわかった。
しかしながらこれ以上の情報は今は処理できない。
(隊長なら内情を詳しく知っているだろうが…)
隊長自ら公爵からの指示で聖王国やその関係者を調べていた事は知っていた。
今はとりあえず、この情報を知らせるのが一番良いだろう、と判断したヒャダルディンはミットに合図を出して、鷹を飛ばした。
ーーーーーー
「スイから連絡が来ました。予定通りマスティス男爵家を訪れる様誘導出来た様です」
リヒトはその報告を聞きながら手紙を認めて、いつも執務室の机の上に置いてある豪華なベルをジャンから受け取り鳴らす。
手紙が飛び窓から出て行くのを見送るとリーンを見て微笑んだ。
戦いが始まった。
そう言う合図に感じた。
教皇を誘き出すことに成功しここまでは作戦通りだ。大人達皆んなは最終確認に忙しいのでリーンは1人待機していた。
正直今回はリーンの出番はなく、寧ろ足手纏いに成りかねない。本当はリーンも初めはアーデルハイド邸で待っているつもりだったのだが、それは有無を言わせないリヒトによって阻まれ現在に至る。
(少しくらいなら良いかな、)
外は生憎の雨天なので教会の敷地内で育てている薬草畑を渡り廊下で見かけて気になっていた事を思い出し、渡り廊下なら屋根もあり雨にも濡れず見学出来ると考え、暇を持て余したリーンは目と鼻の先にある渡り廊下に向かっていた時、後ろから誰かに呼び止められた。
「こんにちは。リーン様」
笑顔でニコニコしているのについつい腰を低くせざるを得ない程の迫力のあるこの男。
そして、何故かなかなか1人になる事がないリーンがたまたま1人でいるタイミングで話しかけて来たのは何かあるとしか思えない。
(最近感じる嫌な視線はこっちだったか…)
「あぁ、お名前を存じ上げているのはアリスさんと知り合いだからですよ」
「故郷はマクロス辺境伯領だと伺っております」
妙な空気感のままお互い決して微笑みを崩す事はなく、牽制し続ける。
「リーン様がおひとりでいらっしゃるとはびっくりですな。側付きのメイドはいらっしゃらないのですか?」
「今は使いに出しておりまして、終わり次第戻ってくるでしょう」
マクロスの探るような視線は普通の人ならとてもじゃないが狼狽えるだろう。しかし相手がリーンなら特に大きな影響は無い。何せ感情が欠落しているからだ。
マクロスは目を細めリーンへの視線を少し柔らかいものに変えた。
「すみません。怖かったでしょう。思っていたよりもとても可愛いらしいお嬢さんだったので私とした事が、ついつい見つめてしまいました」
「いえ、お気になさらず。そういった視線には慣れてますので」
少し含みを持たせた言い方をお互い交わす様子は傍から見れば貴族同士の爽やかな挨拶にでも見えるのだろうか。幼女と50も歳の離れた男が向かい合って立ち話をしているのにも関わらず、他からの視線は無い。
「お時間を取らせてしまっては申し訳ないので早速お話を。リーン様が珪砂をお探しだとアリスから相談を受けていたのですが、何にお使いになるのかお伺いしたかったのです」
「アリスがそんな事を…。マクロス卿、その様なお願いなどどうかお気になさらず。ご好意痛み入りますが、もう珪砂は手に入れました」
珪砂を探していた事を知っているのはリヒト、ポール、ライセン、レスター、それにハロルドだけだ。何に使うかまでは知られていない所を見ると監視がリーンだけでは無く他にも付いている可能性が高い。
しかも、この発言で情報の出どころがアリスであると言い切るのはトカゲの尻尾切りだ。
そして、アリスの立場が悪くなる事を分かっていて敢えて話したという事は探していた理由の検討が付いてるという事だろう。
「そうですか。それは何より。一足遅かった様です。私の方でも少しばかり用意していたのですよ。さあ、これをどうぞ」
そう言ってリーンには大き過ぎる袋を手渡そうとして止める。
「これでは身動きが取れなくなりますね。お屋敷へお送りしておきましょう」
リーンはそっと耳元の髪を撫でる。
「ご配慮感謝致します。ですが、もう少しで此方に侍従が来るみたいですので、心配はご無用と存じます」
「そうですか、ではそろそろ老体は消えるとしましょう。皆によろしく」
「はい。またお会い出来るのを楽しみにしております」
リーンは最後まで表情を崩す事なく話切る。その様子にマクロスはフッと小さく笑ってヒラヒラと手を振りながら帰っていった。
「リーン。何してる」
少し慌てた様子のミルとライナを引き連れて現れたのはポールだった。
きちんと侍従らしい格好をしているミルとライナを見て緊張していた身体から力が抜ける。
「ポール様。ご迷惑をお掛けしました」
「…当分単独行動禁止だ。分かったな」
「はい。ポール様の仰るとおりに」
ポールは再びため息を吐いてリーンを持ち上げる。ポールが持ち上げる事は少ないので少し驚いたが、そのままライナにリーンを手渡して自分はスタスタと先に進んで行った。
「リーン様。急にお姿が見えなくなったと思ったら、魔石が反応するので冷や汗をかきましたよ…」
「ミル、ライナ本当にすみませんでした。以後気をつけます。…しかし、あのポール様が迎えに来るなんて…少し申し訳ない事をしました」
リーンは先程までの出来事に困惑していたのを誤魔化すように謝罪をする。
マクロスが言ったあの言葉、あの視線、あの態度。全て相手を見下している。
(後でポール様には丁寧に謝っておこう…)
一方、マクロス側。
「やはり、あの娘は“アレ”を作れるのかもしれない。直ぐに例の商人にあの娘が買った物の探りを入れろ。もし作った職人がいるならそれも引き抜いてこい」
「畏まりました」
独り言のようにボソボソと呟くマクロスに何処からかハッキリとした返答が返ってくる。
そのまま城の外に待たせている馬車に乗り込むと、雨で濡れたジャケットを脱ぎ捨て、楽しそうにニヒルな笑みを浮かべて肩肘を窓枠に置いて、帝都の街並みを眺める。
「これでやっと手に入る。“アレ”さえ手に入れば、私がこの世の頂点だ…」




