パン屋と服屋
兵士達と別れたリーンはパン屋の前で立ち止まっていた。よく考えたら、と言うか今更ながらリーンは靴を履いてない。それにぼろ雑巾の様な外套。周りからジロジロ見られてたのもそのせいだ。帝都の大通りを裸足で歩いている人なんて一人としていない。
(まず靴を買わないといけないかな)
「いらっしゃい!お嬢さん、どうぞ入って!うちのパンはとっても美味しいよ!」
ずっと店の前で考え事していたからか、店の中から優しそうなおばさんが出てきた。
「ありがとうございます。ちゃんとお金は持ってますので」
流石に靴も履いてないドロドロの足、裾が擦り切れた外套を着ている身すばらしい女の子が店の前で佇んでいたら怪しむだろう、と思ったリーンは握りしめていた布袋から掌に小銀貨を一枚を取り出して見せた。
「おやおや、私はそんな事全然気にしてなかったんだけどねぇ」
さぁ、入った入ったと言わんばかりにリーンの背中を押して、ニコニコ笑いながらおばさんは言った。
パン屋の中は焼きたてのパンの匂いが充満し、腹の虫がなりそうになった。お腹が鳴る前に、と早速リーンはパンを選ぼうと物色していたが、慣れない身長と小さな手のせいで中々パンを取れない。
ぴょこぴょこしているリーンを見てふふふ、と笑ったおばさんはリーンが指差すパンを取ってくれて、ようやっと会計を済ませた。
「ここで食べて行くかい?」
「いえ、ご迷惑になるので」
こんな格好で店にいられたら他のお客さんが入りたがらないだろうとリーンは笑顔でパンを受け取り店を出ようとした。
「遠慮しなくていいんだよ。ほら、分かるだろ?お昼になったって言うのにお客は来ない。お前さんは久々のお客だよ」
「…そうなのですか」
「そりゃね…、色々あるんだよ。子供がそんな事気にするんじゃないよ!遠慮なんてしなくていいからここでゆっくり食べなさいな」
店内を観察するリーンに少し寂しそうな、悲しみの混じった笑顔を向けておばさんは言った。
リーンはパンを一口齧る。
日本の物と比べると少々硬くてパサパサしているけど味は普通に美味しい。フランスパンに近いものだ。神示によるとここのパンは帝都の中だと断トツに美味しいようだ。
パンを頬張りながら店内を観察する。
お昼時にも関わらずパン屋に人が入ってくる気配は微塵も感じない。遠巻きに店内を覗く人はちらほら見かけるが、やはり入っては来ない。
(そう言うことか…)
「ありがとうございました。美味しかったです」
食べ溢したパンをおばさんに払われる。少し照れているリーンがお店を出るのを今度は満面の笑みで見送ってくれた。
気にはなる。神示により事情は全て把握できたが、その事情は本人達に全く関係がない所で起こっている。それゆえに何故こうなっているか本人たちが分かってない。
今日会ったばかりの小娘が何か言った所で何故知っているのかとなるのが関の山。ましてや事情を知っているからと言って1人で何が出来るのだろうか。
(とにかく今はまずは身なりを。それから宿も探さないと)
現時点で美味しく食べられる物がここのパンだけだ。通うにしても身なりのせいで迷惑はかけられない。新しい靴やら服を買って身なりを整えて、宿屋も通いやすいようにパン屋の近くを探す。
(ここは…品質は低いがとにかく安い店…隣は、質も低くぼったくりの店…)
あまり良い店はないようだ。
(確かこの辺に“あの人”の洋服店があったはず。普通の店ではなかなか良い物を見つけづらいし、趣味も合いそうが無かったし…お金はあるから任せてみよう。あとは様子を見て…からかな)
煉瓦造りの小綺麗な店。他の店は(控えめに言って)木造のレトロなテイストが主なのにここは煉瓦造りでかなりモダンだ。お金がある証拠だ。店頭のディスプレイの服なんかはとても洒落ていてリーン好みだった。
店に入るとすぐに店の奥から大柄で厳つい女性が一人出て来た。
「御免ください。これで10日分くらいの服や靴を見繕ってくださいませんか?」
リーンはそう言うと布袋の中から小金貨を一握り分取り出して見せた。
これはきちんとお金を持っていると思わせるための行動なのだがもう一つの意味もある。大金を見せる事で値切りなどせず、この店に商品の価値を理解している言う事をわかってもらうためだ。
この店の靴や服は他のお店より少々高い。それでも小金貨5枚も有れば事足りる。しかし、質の高さだけを見ればむしろ安く良心的だ。だからこそ仲良くなっておきたい。この質のものをこの価格で提供できるだけの権力や財力があるという事だから。
こう言ったコネクションは多いに越した事はない。この人が信用にたる人物なのは神示により把握済みである。
「あら、とっても可愛らしいお嬢さんだ事。だけど…わたくし、お貴族様には商売しないと決めているのだけれども、それを分かってのお話なのよね?」
とても子供相手に向けるような表情ではない。むしろ、大人でも逃げ帰るような貼り付けた笑顔だ。身なりはどう見ても平民。何処をどう見て貴族と判断したのかは分からないが、疑いの目は変わらない。
「もちろんです。私は貴族ではありません」
へぇー。と何かを探るような目をしていたが、リーンの笑顔が全く変わらず、むしろこちらの事は全て知っているような聡い目を向けられ、諦めたかのように表情を崩した。
「はぁ、嫌だ嫌だ…こんな可愛らしい子供が何を知ったのか知らないけど注文くらいは聞くわ」
「よろしく頼みます。ポール様」
ポールはやれやれと言った表情だが、こちらの意図までは分からないとしても何となくここに来る事は予想していたらしい。
彼を見かけたのはあの貴族のフリをしていた男トット・チベットと対面した時だった。貴族だと言う彼を軽蔑の表情を浮かべていたので気になったのだ。神示を使ったのは言うまでもないが。
彼自身もリーンがあの時の少女だと気づいているようで、只者では無いと思われていた様だ。
ここまでこちらの行動や言葉だけで先読みし、予測を立てれる相手はなかなかいないし、かなりの経験値が必要だろう。情報以上にかなり使える人物のようだ。
「それでは、まず服と靴を。“貴方のような大人”に相手にされる程度の身なりで…でも貴族に見えない程度に整ったものをお願いします。平民より少し上に見えるようなものがいいです。んー、商人の娘ぐらいですかね?」
「畏まりましたわ。とりあえず、子供用はあんまり置いてないの。今あるのは2日分。あとのはこれから用意するから今日はサイズを測らせて頂戴。2日後にまた取りに来て下さる?」
返事の代わりにニコリと微笑むと、ポールはギョッと表情を歪ませ、もう少し子供らしく笑えよ、と小さく呟いた。
確かにリーンの笑顔は完璧だ。リーンが本当の意味で笑顔に慣れなくなってからの今までの14年の間で笑顔について指摘されたのは3本の指で足りる程度だった。
(なかなか鋭い人)
それからポールはリーンの足の汚れを丁寧に落としてくれた。身体のサイズを図り、多少の要望を伝え見積もりも出してもらった。ついでに着替えもさせて貰った。
とてもいい肌触りで軽い。特に豪華な装飾品や刺繍は施されてはいないが生地の上質感が平民の物とは言い難い存在感を出す。
貴族の物と同じように肌の露出を控えたデザインで、首から手首にかけてたっぷりと布を使ったふわりとしたバルーン袖に胸下で切替しがつけられた綺麗なAラインのスカートはとても子供服とは思えないクオリティだ。シルバープラチナの髪に純白のワンピースは目立つ事間違いない。他の装飾品が必要ないくらい素敵な物だった。次いでとばかりに良い宿屋も紹介して貰った。
リーンはパンの残りが入った布にささっと何か書き起こし、敢えてポールに見えるように地面に落とす。不思議そうに拾い上げたポールは驚愕の表情を浮かべリーンにキツめの視線を送る。
「じゃあ、また2日後に。くれぐれも内密でお願いします。例え…兵士様に問われたとしても誤魔化して頂けるととても助かります」
(それはここに兵士が来るって事か…)
ポールは右手で頭を抱えてため息をついた。先程のリーンの話とこれからの事に頭を悩ませているようだ。
「情報は有り難く貰っておくわ」
ポールの言葉にリーンはまた微笑む。
「私には普通にお話ししてくださっても大丈夫ですよ?」
とそれだけ言い残しリーンは店を後にした。
「やり辛い子供だな…」
ポールの独り言が静かな店内に響いた。