誘拐
「ラミアン教皇猊下、遠路遥々この様な質素な場所まで足をお運び頂き、恐悦至極でございます。この通り私、ディスクラムは何事もなく聖国へ帰る所でございました」
「無事で何よりだ。変わった所はないか」
「はい、変な者に付けられたり、見張られたり等も無く…。彼らは油断したのでしょうなぁ」
「ヴィンセント、詳細を話してやれ」
へこへこと媚び諂うディスクラムに如何にも煩わしいと言わんばかりに話しを聞き終わるとまた素っ気ない声でラミアンはそう言いながらドカッ、と近くの椅子に身体を預けた。ラミアンが座ったのを見てディスクラム、続いてヴィンセントが腰を下ろす。スイは咄嗟にヴィンセントの後ろに控えた。
一同落ち着いた所でヴィンセントはこれまで挙げられている情報を話させる。
「…ですので、現在は枢機卿のマスカス様、ベノボルト様、ライデン様の御三方が行方が分からなくなっております」
淡々と話すヴィンセントにスイがチラリと視線を向けるが、その表情は何も写していない様だった。
状況報告が終わり、ディスクラムの側仕えが新しく取った部屋にラミアンを送り届けたヴィンセントとスイは一つ下の階の埃っぽい部屋に入る。
「スイさん、疲れたでしょう。貴方を巻き込むことになって大変申し訳ございません。今日はもう何も無いでしょうから、ゆっくりなさって下さい」
先程までと打って変わり少しだけ明るくなった表情にスイは安堵すると、馬に跨り続けた此処1週間の疲労のせいか途端に睡魔に襲われ、ヴィンセントの言葉に甘えて休む事にしベッドに横たわる。
よくよく考えると司教である彼と幾ら部屋が空いてなかったとしても同室である事はあり得ない。スイは聖国に雇われた兵士で、身分は平民。そんな彼が貴族であるヴィンセントと同じ部屋で寝食を共にする事は非常識な事だ。しかし、疲労し切った彼は相手がヴィンセントであるからか油断しきっていて、そんな事にまで気が回らずスイはそのまま眠りに着いたのだった。
強面な顔に似合わずスヤスヤと眠るスイを優しい笑顔で見ていると、建て付けの悪い部屋の扉の隙間から覗く松明の明かりが揺らめくのが見えた。
扉の外に人の気配を感じヴィンセントは身構える。
「ヴィンセント、私だ。そこにいるか?」
「べ!…ベノボルト様…」
その怪しい人影が突然自分を呼ぶ声。そして聴き慣れたしゃがれ声に思わず大きな声をあげてしまう。
「…んー、司教…何かあったのですか?」
「ぃいえ、起こしてしまい申し訳ありません。何でもありませんので気にせず、もう一度ゆっくりお休み下さい」
一瞬目を覚ましたスイにもう一度寝るよう促す。
スイは猊下にまた無理難題を押し付けられ、寝れてないのかと心配になりつつもヴィンセントの優しく話す声色に誘われて再び眠りにつく。
「…取り乱してしまい申し訳ありません。ベノボルト様は…どうしてこちらに?」
扉に近づき小声で話す。
「これからディスクラムを誘拐する。楽しそうだろう?まぁ、今は全く時間がないから説明は後だ。お前は私の話に合わせて上手く話せばいい。出来るだろう?」
「…は、はい」
再びスイが起きないようにそっと扉をあけて、部屋を後にする。淡々と歩き出すベノボルトの後について行くと、宿屋の裏手側の人気のない道に面した裏庭に出た。
そこにはディスクラムの姿がある。あれだけ1人になるな、部屋から出るな、と口が酸っぱくなる程に言われていたのにも関わらず不用心にも程がある。
どうやって此処に呼び寄せたのかは知らないが自らここに来たのは一目瞭然だ。
「ベ、ベノボルト…本当か?」
「あぁ、本当の話しじゃ無ければ、何故私がそんな事を知っているのだ」
ベノボルトの姿を見て開口一番に言う一言目から一体何の話をしているのかヴィンセントには分からない。
「そ、そうだな。疑って悪い。ヴィンセントも協力してくれるのか?」
「あぁ、そうだ。こいつは猊下の側遣いだしな、お前の望み通りヴィンセントも連れて行く」
「そ、それじゃあ、私が猊下の奴隷をくすねている事を問い詰められて…その…殺される事もないんだな?」
何の話をしているのだろうか。猊下の奴隷をくすねている?
疑問が次々押し寄せてくるが問いただす訳にもいかない。とにかく今はただただべノボルトの指示に従い話を合わせるしかない。
「では、私の屋敷へ行くぞ。マナ探知をされないように牢に入って貰うしか無いが、許してくれ」
「あぁ、死ぬよりはマシだ。ヴィンセントもありがとう。助かるよ」
「いえ、ディスクラム枢機卿のお命の為ですから」
素直にベノボルトに従うディスクラムに違和感を覚えるが、さっきの話の通り何か事情があるのだろう。
此処で純粋に疑問が生まれる。
猊下の奴隷に関して盗みだか、何やら、やらかしたらしいディスクラムはベノボルトに助けを求めて本当に助けて貰えると思っているのだろうか、と。
枢機卿達は知っている筈だ。このベノボルトと言う人間について。何度も言うように彼は面白い事や楽しい事にしか興味を持たず普段はただの飲兵衛であるという事を。
ヴィンセント自身も体験した事があるので父のように慕いながらも、そう言った面では全く信用していないのだ。もし、今後自分がラミアンから命を狙われる事があってもベノボルトだけには頼る事は無い。だが、そんな思考すらなさそうに思われる。
「猊下が転移してきては困るからな、水晶も預かろう」
ディスクラムは言われるがままに転移水晶をベノボルトに渡し、ベノボルトの転移魔法でベノボルトの屋敷まで飛ぶ。
眩しいほどの暖かい光が落ち着いた頃。目の前は牢屋で中にはディスクラムがいる。ベノボルトとヴィンセントはそれを外から見ている何とも不思議な気分だ。
ディスクラムと別れた後、ヴィンセントの目に映ったのは他の行方不明になっている筈の枢機卿達も投獄されている光景だった。反響の魔法がかかっているのか中からの声が聞こえてくる事はない。
ヴィンセントに必死に何かを訴えてかけているが、そんな事に構うよりも今の状況をベノボルトに確認したい気持ちが勝った。
「どう言う事なのですか?ベノボルト様」
「ん?あぁ、ちょいと手紙を送ってな、このままだったら猊下に殺されるぞ!っと脅したら、自ら牢屋に入ったんだ、こいつら」
「はい、それは先程も見てましたので、分かりますが…」
「リーンからな、面白い提案を受けたんだ。枢機卿達の悪事を教えるから牢屋に繋いでおいて欲しいってな」
「ディスクラムは何故私を呼んだのでしょう?」
「お前は頭がいいから信用出来るんだそうだ!アハハハハ!まぁ、それがなくても連れてきてたがな。リーンからの指名だ。頑張れよ!」
それからベノボルトからリーンと言う少女に協力している事。その少女から枢機卿達の悪事を聞き、それを手紙に認めて脅すと助けてくれと縋り付いたので牢屋に入れて置いた。という何とも突飛な話を聞かされたのだった。
それからベノボルトに匿われているティリスと再開し、ティリスもリーンに頼まれ、この作戦に参加する事を聞かされた。
詳細は明日、その少女から聞かされる、とだけベノボルトは言い、ヴィンセントとティリスを2人きりにしてくれた。
「ティリス。少し顔色が良くなったな」
「リーン様からソウザイパン?と言うものを頂いたからでしょうか?」
「リーン様はどんな方なのだ?ベノボルト様も信頼なさっているように見えたが…」
「リーン様はヴェルムナルドール様です」
「…?」
「リーン様は女神様です」
「…女神様…ヴェルムナルドール様?」
ヴィンセントの反応に楽しそうに笑うティリス。笑顔のティリスに安心したヴィンセントも笑顔になる。
「ヴィンセント。リーン様は必ず我々を、いえ、我々の国を救って下さいますよ」
ティリスがここまで回復したのは神の力のお陰なのか、それとも彼女の聖魔法の為せる技なのか、それをヴィンセントには判断する事は出来なかった。
しかし、あの気まぐれで自由人のベノボルトを動かし、頑固で用心深いビビアンを動かし、1度しか会っていないティリスがここまで信用しているのなら、本当に神なのかも知れない、と言うことだけは理解した。




