デッセイ侯爵領
真っ白な広い部屋。長い机に10脚の椅子が置いてあるが、半分以上は空席のままだ。その周りを取り囲む男達。とても異様な雰囲気だ。
部屋の入り口から見て一番奥の席に教皇猊下、ラミアン・ヴィカーが鎮座している。その傍らに控えるのは司教、ヴィンセント。
当たり前だかここにいる人物達全員の表情は大変険しい。ここ一週間の出来事に頭を悩ませられているからだ。
「猊下、先程マスカス枢機卿様達からの伝令が到着し、マスカス枢機卿様も4日ほど前に姿を消したとの事です。事態は深刻で犯人と思われる怪しい人物もおらず、勿論目撃者もおらず、兎に角一刻も早くの解決をと…」
「そんな事は誰もが分かっておる。しかし、何もわからんというのにどう解決せいと申す。出来るならお前がやって見せよ」
「そ…れは…私には…ど、どうにも出来ま、せん…」
ラミアンは深いため息を吐く。如何にもこうにも今実際に何が起こっているのか、何も、誰にも分からないのだ。
ーーバンッ!!!
ひとりの男が議会室に大きな音を立てながら、慌てて飛び込んで来た。あまりの音の大きさに本人でさえも驚き、深々と一礼したのち大きな声を張り上げる。
「先程ディスクラム枢機卿様の元に送っていた伝令が到着し、ディスクラム枢機卿様はまだご無事でいらっしゃるとの事です!!!」
「…ディスクラムはまだ無事であったか。では、その伝令と共に直ぐにディスクラムの所へ向かおう。わしも共に行く。これ以上枢機卿が失踪するなど国の根幹に関わる事態が起こってはならない、ディスクラムは睡眠時も馬車の中であろうと決してひとりにしない様対策する」
そう言うと肘掛に両手を付いて、椅子から重い腰を持ち上げる。例外である司教ビビアンを除いて教皇猊下、枢機卿達しか転移魔法は使えない。転移魔法陣は決まった条件下でしか発動しないからだ。それは血族による物で陣を書き込む際、血を必要とするのだが、教皇猊下、枢機卿以外の血ではいくら陣を書くことが出来ても発動する事はない。必然的に枢機卿達の家柄を示していて、高貴な存在で尚且つ限られた人間しか使えない。
更なる例外で代々の教皇が受け継いできた転移結晶と呼ばれる大変貴重な魔宝石は誰でも使える素晴らしい代物でこの世界の何処であっても一定の条件下であれば転移する事ができる代物だ。
無言で議会室を出たラミアンにヴィンセントもついていく。先程報告のため議会室に飛び込んできた青年もいる。
青年は時々ビクッと怯えながらも伝令の元へ案内するために必死だ。彼にとってはこの場にヴィンセントがいる事が唯一の救いだった。
「げ、猊下。此方でございます」
「うむ」
青年に促された部屋にラミアンが入ると、早馬で疲れ切った中年の男が木の硬い椅子に寝そべっていた。
マスカス枢機卿が失踪した後、乗馬に長けていて重要な任務、秘密も守れる者という条件で5人の人間が集められ、彼はその1人だった。
安否確認の為遣わされ、5日かけてディスクラム枢機卿がいるデッセイ侯爵領に到着し、安否確認が取れるとまた直ぐに蜻蛉返りで城へ戻り、今し方やっと10日振りの休息に入ったばかりだった。
ラミアンが入ってきた瞬間にその中年の男以外のその場にいた者達が固まっている。
皆一様にこんな所に何故猊下がいらっしゃるのかと目を丸くしている。
「ス、スイさん。げ、猊下が…」
「起こさずともよい。スイと言ったか、伝令ご苦労だった。しかし、また直ぐにディスクラムの所へ行かねばならぬ。スイ、お前も同行しろ」
「…え…?」
寝起きに疲れ切った脳では全く状況が掴めていないようだ。
「ナルス、猊下と私の荷物を纏めて持ってきてくれないか。チュチュはスイの荷物を纏めて」
「「は、はい!」」
ヴィンセントに呼ばれた2人は慌てて部屋を飛び出していく。
「スイ。申し訳ないがディスクラム枢機卿の様ところに直ぐ行かなければならない。猊下と私も同行するし、今回は馬ではなく猊下のお力でそこまで転移する。安心してくれ」
ヴィンセントはラミアンの言葉足らずを補う様に優しく諭す。これは断れないのだ、とスイも戸惑いながらも理解した。
「は、はい…」
「準備が終わり次第向かう」
「では、猊下。ここには猊下にお出しできるような椅子のご用意がございませんので、隣の来賓室へ参りましょう」
ヴィンセントの話を聞き終わるか否かまた無言でヴィンセントが開けた扉から部屋を出る。スイに荷物が整い次第持ってくるようにいい、ヴィンセントもそれに続いた。
猊下が出て行ってその場にいた者がやっと胸をなでおろす。普段、声を聞く機会もない猊下が目の前で喋っていたのだ。体が強張り緊張してしまっていたせいで力が抜けた今は少し体が痛い。
「ヴィンセント様が隣へ促して下さって助かったわ…」
「そうだな、生きた心地がしなかった」
未だに体が強張り不安はあるものの、スイに比べればマシだとスイに哀れみの視線を送る。
当の本人は放心状態で周りの視線に気付いてこそいるが、余りに現実味が無いので、他人事の様に話す仲間たちと同じ気持ちを抱いていた。
暫くして、ヴィンセントに頼まれていた荷支度を終えたナルスとチュチュが再び部屋へと駆け込んでくる。その音にピクリと反応したスイは絶望と取れる表情で2人を見る。
「スイさん、ごめんね。でも、ヴィンセント様のご指示だったから…。これでもゆっくりやったのよ…?」
そう言うナルスの後ろに隠れる様にして立っているチュチュもブンブンと首を縦に振る。
「分かっているよ…。心配しなくてもちゃんと仕事はしてくる。ただ、現実味が無いだけで…」
2人が入って来てからの一連を見ていた者はスイを気の毒だと思っているが、特別声に出す事は無かった。ただただ静かに成り行きを見守る。
「…ぃ…行ってくる」
やっと重い腰を持ち上げたスイは絶望の表情そのままに3人分の荷物を持ち上げ部屋を出て行く。
そのままたった数十歩先の所にある隣の来賓室の前に立ち、ゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
ーーコンコンッ
「準備が整いました」
スイの言葉に返事はない。返事があるまで入室する事も出来ないので、このまま待つ。
ーードォンッ
再びゆっくりと息を吐こうとしていたスイは大きな衝撃により息をそのまま飲み込んでしまい、むせ返る。
「あぁ、スイ、すみません。目の前にいるとは…」
扉を開けたヴィンセントがスイに謝る。事態を把握し、状況を飲み込むと後から遅れて額と鼻に鈍い痛みを感じてくる。
「いえ、私が近すぎただけです。お気になさらず」
ヴィンセントに続いて猊下も出てきたが、先程までと違いより機嫌が悪そうだった。一体2人で何の話をしていたのか、と気になりはするが、とても気軽に聴ける様な相手ではない。2人の後を大人しくついて行くのがやっとだった。
ヴィンセントの先導で連れて来られた部屋は何もない。いや、正確には3人の男の姿を写せる程大きな鏡が一枚だけあるが、それ以外は何もない。勿論、窓もないこの部屋の明かりはライトオパールから発せられる光のみだ。
今まで光溢れる白一色の空間にいたせいか、この部屋はまるでここだけ夜が訪れたかの様にとても暗い。
「猊下、お願い致します」
「…ポスト・ディ・ディスクラム」
素っ気ない声でラミアンが言うとラミアンか神々しい光に包まれて、あっと言う間にヴィンセントとスイもその光に飲み込まれると目の前に煌びやかな部屋が現れた。




