ベノボルトからの手紙
長い廊下を息を切らしながら走る。こんなに走ったのはティリスが初めてラミアンに呼ばれ、部屋に行ってしまうのを必死に追いかけて止めようとした2週間前だ。
「ヴィンセント様何処ですか!!ヴィッ、ヴィンセッ!ゲホッゲホッ…」
(肺が潰れてしまったかのように痛い。でも、これまでのティリスの苦痛に比べれば、こんなのどってことないわ…)
「ヴィンセント様!!……ヴィンセッぉわっ!!」
「どうした、そんなに慌てて」
「げ、猊下がお呼びです。ベノボルト様とライデン様が居なくなってしまった事を知って顔面蒼白で…もしかしたら、今日は!ティリスは!大丈夫…ゲホ、ゲホッ」
「少し落ち着いてくれサラ。でも…そうか、ありがとう。君にはいつも助けられてるな」
この2週間でヴィンセントは以前よりも更に窶れている。それに加えて1週間前に戻って来るはずだったベノボルトが居なくなり、更に気を落としてしまい、今にも倒れてしまいそうな有様だった。
「ベノボルト様が居なくなり、ティリスが解放されるのが遅くなってしまいましたが、あの子は大丈夫です。私が側に居ますから。ヴィンセント様は今直ぐ猊下の元へ向かって下さい。ティリスの為にも、これからの国の為にも」
「あぁ、分かっている。心配掛けてすまない。ティリスの事は君に任せる。何としても猊下の気を逸らして時間を稼ぐ。こんな事を言っては何だが、枢機卿達が失踪してくれたお陰で時間を稼げる。…ベノボルト様は…あの人の事だ、心配ないだろう」
意を決して力強く一歩を踏み出す。ヴィンセントはサラに見送られ、最愛のティリスがラミアンに身を捧げた2週間前からと言うもの、言う事を聞かない身体を何とか押して、長い廊下を息を切らしながら走る。
今までどれだけ酷使して来てもティリスに支えられながら何とか働き続けて来たヴィンセントからするとティリスを奪われた事は何よりも苦しい事だった。
そんな最中、胸元が明るく光り出す。よく知っているそれをヴィンセントは待ちわびていたのだ。
その光を胸ポケットから取り出す。
と同時に掌に載せられたのは手紙だった。
それが、ベノボルトからだと分かっているヴィンセントは急いで走りながら乱雑にその手紙の封を切る。
ヴィンセント約束を守れなくて申し訳ない
今はビビアンとその協力者に頼まれた仕事を
している所だ
この仕事を全うすれば、聖王国は生まれ変わる
ビビアンを教皇とした新体制だ
ティリスの件は申し訳ないと思っている
もう、彼女に手を出すことはないだろう
直ぐにでも匿い、場所を知らせてくれ
なんなら、サラに託した魔法陣を
使っても構わない
近々、お前も迎えに行く
それまで倒れないように
込み上げてくる物を何とか寸断の所で押さえ込んだ。
(あと少し。あと少しだけ頑張れば…)
手紙を胸ポケットに戻して、扉をノックする。
「猊下。お呼びでしょうか」
「早急に今わかっている事を全て説明しろ」
「はい、畏まりました」
ーーーーーー
ヴィンセントの背中を見えなくなるまで見送ったサラはまた走り出す。
長い廊下の突き当たり。枢機卿の失踪で人手不足な今はいつも入り口の寮監室でうたた寝をしている寮監でさえも駆り出されてしまっていて、姿が見えない。
足早にそこを通り過ぎてまた長い廊下をひた走り、真ん中辺りに差し掛かると直ぐに扉を開ける。
「ティリス!今日はいかなくても良くなりそうよ!」
「ベノボルト様が姿を消したと聞きました」
「貴方がそんな事気にしてる暇はないの!ベノボルト様は心配だけど、あのベノボルト様よ!マナに愛されたあのお方が誰かに殺られるはずないわ!」
「そうね、貴方の言う通りだわ…。余計な心配ですね。ベノボルト様に何かあるなんて…」
連日の甚振りに耐え続けるティリスは衰弱気味だった。寧ろ、良く此処まで耐えていると言うほどだ。今までの奴隷達は1週間持てばいい方でその都度新しい奴隷が追加されていた。中には幼子もおり、小さな子供だと1日も持たない事も多々あった。
ティリスが幾ら聖魔法使いで精神耐性があったとしても、此処までよく持ったと言えるだろう。
「ティリス。今日はゆっくり休んで。いくら貴方でもこのままだと身も心も…体も…死んでしまうわ…。私は貴方のそんな姿見たくないし、ヴィンセント様にも見せたくないでしょう?このままだとヴィンセント様もお倒れになってしまいそうだったわ。だから約束してティリス。少しの間だけ身を隠すと」
溢れ出て来そうな涙を必死に堪えてサラは強めに諭す様にティリスに呼びかける。
「…そんな事したら…他の人が被害に遭います。それは出来ません」
「大丈夫。ヴィンセント様を信じて。あと1週間は失踪の件で慌ただしくて、あの暇な寮監でさえも駆り出されている状態よ。それに貴方に猊下を寄せ付けない様に手を尽くすとヴィンセント様が約束してくれたのだから」
「そう。ヴィンセントが…。そうね…。彼が私を信じてくれたように私も彼を信じなくてはいけないわね。…でもサラ。貴方も私と約束して。私が身を隠している間、他の誰かで猊下が鬱憤を晴らされそうになったら必ず私に伝えると言う事を」
「…分かった。ティリス、何かあった伝える。そして貴方を私とヴィンセント様で守るわ」
ありがとう、と言うと安心したのかティリスは静かに寝息を立て始めた。
「ごめんね、ティリス。その約束は守れそうにないの」
そっと優しく握っているティリスの手に額を当てて、サラは誰にも届かない懺悔を述べる。そのまま立ち上がらずにいるサラはただただ、眠りについた友人を起こさない様に口元を手で強く押さえつける。
ーーーーーー
「以上で報告を終わります。引き続き新しい情報が入り次第報告させて頂きます」
深々と頭を下げて、何も返事をしないラミアンを気にする事もなく部屋から退出する。
そのままヴィンセントは目に浮かぶ涙を腕で拭い、ティリスの元へ向かうため足を早める。
長い廊下の突き当たり。寮監は駆り出されていていない。
足早にそこを通り過ぎてまた長い廊下をひた走り、真ん中辺りに差し掛かると直ぐに扉を開ける。
「ティリス!」
突然開け放たれたドアに涙を隠すのを忘れて振り返る。
「ヴィンセント様…どうされたのですか?」
溢れ出て来そうな涙を必死に堪えているサラはティリスの手を握りながらヴィンセントに目を向ける。
「ティリスは寝ているのか」
「はい、先程眠りについたばかりです。ヴィンセント様、私はもう、彼女のこんな姿見てられません。どんなに罵られようとベノボルト様から頂いた魔法陣を使わせて頂きます!」
ヴィンセントは頷き、サラを肯定した。
「宜しいのですか…?お止めにならないのですか…?」
「あぁ、先程ベノボルト様からお手紙を頂いた。ティリスを直ぐにでも匿うよう書いてあった。魔法陣も使って良いそうだ」
「しかし、魔法陣を使えば猊下にはベノボルト様のマナだとバレてしまいます!」
「それでも良いと言ってくださったのだ。ベノボルト様を信用しよう」
「はい…ヴィンセント様。…ティリス…。もう大丈夫よ!もう大丈夫だから…」
サラはティリスの手を握ったまま立ち上がらず、ただただ、眠りについた友人を起こさない様に胸元にそっと魔法陣を置き、『ポート』と唱える。
光と共に姿を消したティリスを見送ると、2人はホッと息を吐く。
「私は猊下の所に戻り、ティリスに目が向かないよう気をつける。猊下に何か聞かれた際は死んだ事にしよう。そうすればそれ以上探そうとはしない筈だ」
「はい、ヴィンセント様」
2人はそのまま別れて其々の持ち場に戻る。
ヴィンセントはラミアンの所へ。サラは食堂へ。
サラはベノボルトの側仕えで、普段はベノボルトと共に行動しているが、枢機卿が視察の際などの遠出で側仕えだとしても女性を伴う事はないので、今回は教会に待機していた。何かあったら時ように渡されていた魔法陣はサラの宝物だ。




