専属メイドのお仕事
アリスを専属にしてから数日。
元々の気質かメイドの仕事はかなり性に合っている様で、サンミッシェルからも覚えが早く丁寧だと評判だった。
しかし今後の作戦の為の仕込みで彼女を専属にしたのだが、思っていた以上に彼女のやる気は凄まじく、かなり前のめり気味で彼女本来の仕事は大丈夫なのかとリーンは若干心配になるのだった。
そして今日はアリスを本当に此方に引き入れるのか、試される日。
リーンの心配とは裏腹に彼女は毎週、リーンを寝かしつけた後の少しの時間で見張りに情報を流している。
その報告の結果を聞いてライセンは判断するらしい。
「あの、アリス…貴方は抱かなくてもいいのですよ?」
「いえ!お嬢様を煩わせるものは私が全て排除します!お任せ下さいませ!!」
満面の笑みを向ける。燃え上がるような赤毛を綺麗に帽子に仕舞い込んでいる為、癖毛は隠れている。
何をそんなに言い合っていたのか。リーンは5歳児だ(自称)勿論自力で歩けるし、走れる。普段は軽装で小柄な事を加味しても10キロは下らないだろう。だが、どこへ行くのにも抱っこを欠かす事なく運ばれる。
普段からほぼ自力で立つ事の少ないリーンだが、アリスが専属になってからは拍車をかける様に減っていた。今日はもう夜にも関わらず、まだ一度も地面に足を付いていない。
「アリス、これでは運動不足で生活習慣病になります」
「せ…?生活?ちょ、?びょ?…の病ですか?…いえ、ご心配には及びません!アーデルハイド家には優秀な治癒師の方がついていらっしゃるので病に関しては全く問題ありません!ご安心下さいませ!」
「このままだと足の筋力が衰えてしまい、私は歩けなくなります」
「では一生私が抱えて行きます」
「私は成長して大きくなりますよ?太って重くなるかもしれませんよ?」
「では、これから鍛えます!例えお嬢様が50キロになろうと100キロになろうと構いません!!」
(…こりゃだめだ…)
諦めに近いため息を吐く。そして何より彼女は全て本気で言っているように見えるから困る。諦めさせる方法を何も思い付かない。
アリスが専属になって1週間が経っていた。リヒトやジャン、マロウにログス、皆んなに抱えられていたのをずっと見てた彼女はまるで私が歩けないのだと思っているかのようにここ1週間はずっとこの調子だった。
「そう言えば、リーン様は湯浴みがお好きですよね!今日はガンガロの実の香り湯ですよ!」
ガンガロとはオレンジの様な果物で香りや味はオレンジなのに色は真っ赤だ。柑橘系のいい香りがするのでとても爽やかな気分になる。暑苦しい気候には持ってこいな香りだ。
ガンガロのように前世と似た物は沢山ある。ピートはリンゴの様な香りと味でピンク。バーボは桃の様な香りと味で黄緑。ラーパはグレープフルーツの香りと味で紫。リーンはこれがとても新鮮な気持ちだった。(神示で全て知ってるので気持ちだけ)
「ガンガロの香りは爽やかでとても好きです」
「リーン様が少しでも大きくなる様にとメイド長ガンガロやラーパを多めに使う様にとおっしゃっておりましたので…ってこれは秘密でした…」
ガンガロやラーパの香りは食欲が増す効果があるので…とオロオロ付け加えるアリスにリーンは微笑みを向ける。
慣れとは恐ろしい物で小さいといわれるのにもとっくに慣れた。しかし、サンミッシェルが裏でそんな指示を出していたとは知らなかった。
そこまで深刻なほど小さいのかと一抹の不安はあるものの神が与えた身体なのだから多少不摂生がたたっても大丈夫だろうとリーンには謎の自信があった。
テキパキと服を脱がせられ湯浴み用の肌着を着せられ、隅々まで洗われて湯に浸かる。爽やかなガンガロの香りが鼻をかすめる。
「ミッシェルは他に何をしてくれてるのですか?…その…私の成長の為に…?」
「そうですね、料理長にはお肉は柔らかく飲み込みやすい物にして量を食べれる様に、とか、睡眠時間が長くなる様にお部屋にはリラックス系のお香を焚いて、お茶もそういった物を用意してますね〜。他にも脂っこい物はだめだ、とか野菜は温と冷どっちも用意するとか?あー!あと、寝る前にメイド長がお嬢様を無理矢理ジャンプさせるアレ!アレもそうらしいですよ?」
因みに無理矢理させているジャンプとはリーンの両手首を掴んで持ち上げて高くジャンプさせたり、そのままグルグル周ったりしている事だ。
今までの経験をフルに使ってアレコレ試行錯誤してくれている、らしい。そして、あながち間違いじゃないのがサンミッシェルの凄いところだ。病気や怪我を魔法で直すこの世界では医学が発展してない。にも関わらずここまでの事を経験則だけで理解しているのはさすがはアーデルハイド家のメイド長と言ったところか。
「ミッシェルは凄いですね」
「はい!メイド長は本当に物知りなのです!この前私が指を切ってしまってエプロンに血をつけてしまったのです。血はなかなか落ちないので諦めていたのですが、何とホワロンを擦り下ろしたものを乗せて少し擦って濯いだら消えたのです!」
ホワロンとは大根もどきの事だ。大根味のバナナのような物。大根って血を落とせるんだ…?と経験値の高さを実感する。
「アリスが話してくれるお話はいつもとても面白いですね」
「お嬢様…。ありがとうございます!私もお嬢様と出会えてとても幸せです!」
少し潤ませた目でニッコリ満面の笑みを向けるアリス。
リーンは思い出したかのようにさらりと話を変える。
「アリス、明日は人と会う約束があるので早めに準備をお願い出来ますか?」
「そういえば、明日教会の方と会う約束がありましたね!何を話されるのですか?」
「そうですね、お願い事をしに行きます。作戦会議みたいなものですね。ってこれはまだ秘密でした」
「ふふ、秘密ですね!」
アリスはリーンの気遣いを理解しているのだろう。リーンもそれが分かるからアリスといるのは気が楽だった。
とにかくアリスは優秀だ。観察して誰が何をしているのか、何処の作業が遅れてるのか、ミスした者のフォローをする。それがさり気なく行うのが上手い。それは苦しい生活をしていた時からの努力の賜物だ。
そして才能もある。アリスは類稀なる記憶力を持っている。これを瞬間記憶能力と言うのだろう。リーンはアリスがその能力を発揮する場面を多々目撃していたが、本人は隠しているようなのであえて聞く事は無かった。
「明日は貴方も来て頂きたいのです」
「わ、私もですか!?お屋敷のお仕事もあるので、メイド長に相談しないと行けません…が、大丈夫です。何とかお願いして、拝み倒してでも、這いずってでもご一緒させて頂きます!」
「ミッシェルにはもう申し出て、許可も貰っているので大丈夫ですよ」
まぁ!と楽しそうに言うアリスは素直で可愛らしい。アリスはかなり苦しい生活をしていて両親も兄弟もおらず、親戚の存在も知らない。路上での生活を余儀なくされ、小さな盗みを働いて、失敗しては殴られて、偶に道ゆく人に施しを貰って、何とか命を繋いできた。
今の彼女からはそんな過去があるとはとても思えない。苦しい生活を送っていても負けずに戦い続けた今の彼女は天真爛漫で人懐っこいただの16歳の女の子だ。
今では過去の苦労はアーデルハイド家に拾われたこの幸運の為にして来たのだ、と仲のいいメイドに話すほどだ。
「明日はお買い物も付き合って欲しいのです」
「お嬢様は何をお探しなのですか?アーデルハイド家には何でもあります。欲しいものは何でも揃ってます。ログス様に頼めば何でも出てきます」
「それは貴方が居ないと手に入らない物なのです」
私が…?と疑問を持った様だがリーンの為ならとそれ以上何かを言う事はなく、またリーンを持ち上げて浴室を出る。そのままリーンを部屋へ送り届け、そっとベッドで寝かしつけると静かに部屋を出た。
長い廊下の先に他より少し地味な扉がある。そこは使用人用の別棟へ続く扉だ。アリスはその扉を開けると音も立たずそっと扉を閉じる。
「資料の内容を書き写した物は此方に。それと何処かからオリハルコンの剣を入手した様です。相当数集められる様です。【オリハルコン】が更に強くなるとお伝えください」
「ガキの方の様子は」
「リーンさ…あの少女は会議には参加しておりませんでした。完全に寝室にて就寝しており、まだこの件との関わりは掴めておりません。…今は専属のメイドに昇進したので次の定期報告では良い情報を得て参ります」
「まさか情が移ったのか」
「まさか!私が今までどれだけ尽くし、働いて来たと思っているのですか?」
アリスの背後を取っていた怪しい影はそのまま何も言わずに姿を消す。背後を取られていたのにも関わらず、鼻で笑う様に言ったアリスが物怖じする事はなくその表情からは何の感慨もない。
そして再び何事も無かったかのように使用人棟の長い廊下を歩き出した。
ーーコンコンッ
「まだ起きてるかい?」
「はい」
ログスを連れたリヒトとライセンが部屋に入って来た。
「リーンちゃん。やはり、アリスと居るのは危険ではありませんか?」
「いえ、そうしなければ彼女は明日にでも死体となって見つかるでしょう。それに彼女が居なければ今後の交渉にも支障がでます」
「それは…そうですね…」
「なので例えアリスをこの作戦に参加させ無い事になっても、彼女は専属として此処にいてもらいます。それより監視には此方の情報が上手く伝わったのでしょうか?」
「はい。今ログスが確認した所アリスと現在接触しているのはあの監視者の様であの資料の写し、オリハルコンについてなど満遍なく伝えたようです。恐らく彼女は細かな指示は受けていないのだと思われます」
「では、アリスは引き入れると言う事で。明日は予定通り作戦を実行します」
「はい…。リーン様お気をつけて」




