説得
程なくしてビビアンが部屋の用意ができたと呼びにきた。皆、ビビアンの後を案内されるままついて行く。
通された部屋は白を基調としていた神殿内とは打って変わりどちらかと言えば部屋は綺麗だが、家庭的な調度品が並ぶとても質素な部屋だった。元枢機卿とはとても思えないほど使い古されている物ばかりで彼女の生活が見て取れる。
「お返事を聞きにいらしたのでしょう。お話は早い方がいい…答えは出ました。ご協力出来ません」
此方が提示したものは少ないのはわかり切っている。元はと言えば悪いのは聖王国だし、聖王国内のゴタゴタに他国が口出しする事は難しい。情報があっても此方には証拠が無い。出せる証拠は保護した6人の娘達くらいだろう。それも大した証拠にはならない。知らぬ存ぜぬで逃げられてしまう。
「司教様。貴方はこの事態に不満を持っていらっしゃるはず。改善出来る可能性があるのに何もしないのですか?女神様に仕える者として心苦しく無いのですか?」
リヒトの口調はゆっくりだがとても強い。リーンは異様な空気を感じつつビビアンを見据えている。ビビアンの視線がリーンにチラチラと刺さっているからだ。
「ライセン様が持ってきた証拠ではあのもの達を陥れるには足りない。それに国内の問題を他国の人間に手を入れてもらう訳には行きません。それは我が聖王国が帝国に降るということ。ご理解頂きたい」
「足りないのは重々承知です。貴方に見せた他にも情報はある。ただ証拠が足りない。それさえ有れば…」
ビビアンがリヒトの言葉を遮る様に手の平をリヒトに向ける。リヒトは言葉を詰まらせる。
本当はゆっくり時間をかけて交渉する予定だったのだろう。だが、急遽早まってしまった予定を繰り上げするしかなく、交渉する時間が足りない。
「確かに私は証拠を持っています。なら、その証拠を貴方達に渡さず私が使えばいい。それだけです。後ろ盾が欲しいのも本音ではありますが貴方達では無い」
「他にはそんな相手はいない筈です」
ビビアンの冷静な対応にリヒトは何も言えない。その文言で断られるのは分かっていたからだ。
「いいえ、大きな後ろ盾があります。ディア…」
「ビビアン司教様、私のお話しを聞いて頂けますか?」
リーンの言葉に驚いたのはビビアンの侍従達だけだった。ビビアンはリーンが連れてこられた理由があると踏んでいたのだろう。
「良いでしょう」
ビビアンの後ろで控えていた数人の侍従がピクっと反応したが、何かを言う者は1人もいなかった。
「リーン様…」
リヒト、それからミルとライナが心配そうに此方を見る。リーンは静かに頷いて3人を見つめた。
「お話とは?」
ビビアンはリーンに目を向ける。その目は醜いものを見るかの様な蔑んだ目だ。
(こういう時は始めが肝心だ)
「まず、貴方には話し合いの意思がありませんね」
淡々と、且つ無表情で何の感情も映さない。
「どういう意味でしょう。私の反応は当たり前に思いますが」
リヒト達が身を乗り出しビビアンを威嚇する。リーンはそれを静かに諫めた。
「何の事か存じ上げません。説明して頂けますか?」
「私が気づかないとでも思ったのか!あの転移魔法陣に何の細工もしてないとでも?あれがどこにあるか知っているのは教皇か枢機卿だけだ。何処の手先の者だ!また私を貶める気か!」
椅子から立ち上がったままのビビアンの興奮は収まる事はない。
「ビビアン司教様。あの転移魔法陣についての事ならきちんとお話しさせて頂きます。少し落ち着きませんか?」
ーーコツッコツッコツッ
ビビアンは椅子に座り直し小さく机を小突き始めた。
張り詰める空気感でも何故かリーンの心は穏やかで、緊張とは程遠い。ビビアンを恐れることもなく寧ろ可哀想だと思っている。そんな変な気分だった。
リーンの言葉に少し落ち着きを取り戻したビビアンはため息を一つ吐く。
「…では、弁明を聞こうか」
(何者だこの小娘…)
ビビアンはそれ以上何も言えない。正確には何か言い返したい気持ちが強いのだが、普通泣き出すであろう年頃なのに目の前の少女の冷静さを目の当たりにすると如何も此方が馬鹿に思えてくる。少し困惑の表情を浮かべるビビアンにリーンは微笑みを向ける。
「まずあの魔法陣は私が見つけ、リヒト様の部下に剥がして頂きました。見つけたのはたまたまなのですが、そう言っても信じて頂けませんね。…そうですね、何処から話しましょうか…トット・チベットについてからお話ししましょうか。トットの事は…ご存知のはずです」
「もちろん、知っている」
「帝国に私が訪れた時に彼と一悶着ありまして、今も彼に殺し屋を差し向けられてます。それでトットの事をリヒト様を通じて知り合ったライセン様に少し調べて頂きました。その時に彼が何故かパン屋の土地を執拗なまでに欲していると知り疑問に思ったのです。その後パン屋の娘さん達と仲良くなり、地下の存在を知り、行ってみたのです。地下は不可侵領域。そしてあの場所から王城にも行き来可能。そんな場所を欲しがる理由を考えました。何か仕掛けがあると思った私はその地下を徹底的に調べ、シャーマル・ハーベスターと言う人物がこの国の不可侵領域の抜け穴を作っていた事を突き止めました」
「待て、それを知っているのはトットとレスター、そして私だけだ。聖王国の上層部にも伝えていないその情報を何故…」
「レスター様ですよ。彼はトットに従わざるを得ない事情があってあそこにいた。優秀な彼がトットなんかの下にいて司教様もおかしく思われたでしょう。私はその事情を潰して差し上げただけです」
「その事情とはなんだ」
「それはレスター様からお聞きください。私がお伝えして良い事ではありません」
「…」
ビビアンは少し苦悶の表情だ。ここまで情報が漏れていれば聖王国は終わったも同然。どちらかと言えばビビアンの進退が終わったようなものだ。
「そして、私は貴方が今まで何をして何を成して来たか、貴方の罪、後悔、苦しみ…私は全て知っています。分かりますね、司教様」
ビビアンは机を小突く手を止める。
疑問はまだ沢山あるだろう。しかし、元々自分が持っていた情報は必要なかったという事を突きつけられたのだ。なのに協力を求めて来たという事の意味を今更気付かされる。
「…私を助けるためですか」
現教皇はビビアンの叔父に当たる人で教皇に推したのも彼女自身だった。彼女の父はとても教皇に向いている人と彼女は思わなかった。皇位第一継承者であった彼女の父はその地位に胡座をかき、教皇になる事が当たり前のことの様に好き勝手をしていて、自分が楽しむためならば手段を選ばず、金や権力で何でも手に入れようとする父に彼女は失望していた。
そんな時に第二継承者である叔父に会ってしまう。父により宮外部と完全に隔離されていて今まで会ったことのなかった叔父は質素な生活、民への施し、神への信仰心、どれをとっても彼女の教皇像に当て嵌まる人物だった。父を教皇にさせたくない彼女は叔父を支持してラミアン教皇猊下が誕生し、国家反逆の罪で彼女の両親は彼女の目の前で処刑された。これで良かった。これで国は、民は守られる、と。
しかしそれは一時的な物だった。父が彼女を隔離していたのには理由があったのだ。国庫からの横領は勿論、民から強制的に搾取、強奪。その金で奴隷を買い、奴隷には人権や自尊心を与えず、飲まず食わずは当たり前。死ぬまで痛めつける。そして、何度も彼女の父への暗殺未遂、終いには彼女を孕っている母にまで手を掛けようとしたのだ。それは叔父の目から遠ざけ様とするには十分すぎる理由だった。父は確かに強欲な人だった。しかし叔父はそれ以上に酷いことをしていた。
今なら分かる。父は国と家族をラミアンから守る為に手段を選んでいる余裕が無い程追い詰められていたのだ。彼女はまだ幼く、目に見える物だけを信じてしまったのだ。
後悔先に立たず、2人の処刑の日に父が笑った意味を母が抱きしめてくれた意味を理解出来ていたら…。だまされた自分の愚かさ、守ってくれていた父と母への裏切り、気づいた時にはもう何もかも遅かったのだ。
ビビアンは先程までの勢いを無くし震える声で言った。協力というのは自分達の事情からだけで言っているのではなく、ビビアンの事情を察して譲歩してくれただけだったと理解したからだ。
もちろん、初めの話はビビアンを納得させるための辻褄を合わせただけの作り話だ。リーンの秘密を話さずに説得する為に少し雑な作り話になったが、とにかく協力を取り付ける事が目的だったのでその他に答える気はなかった。
ビビアンもこの話に嘘が混じっている事には気付いている。しかし、それは情けを掛けられたと捉えていたのだった。
「貴方は今まで犯した罪を償なうために彼等に協力して下さい。この際後ろ盾とか云々は無しにしましょう。私達はトットを捕まえ事件を終わらせたい。貴方は聖王国を叔父から奪い取り教皇になる。如何でしょう」
ビビアンが教皇になる。これが最適解だとビビアン自身の思惑も分かった上での提案だ。
ビビアンは椅子から崩れ落ちる様に膝をつき伏せて、嗚咽と鼻をすする音を立てながら、リーン達に向かって頭を下げた。リーンはビビアンが落ち着くのを暫く待つ。
ぜひご協力させて下さい、と言った顔は涙に濡れていたが穏やかさを取り戻していた。




