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忘れたい記憶と忘れられない記憶



 思い出したくない記憶。

 心の奥底に押しやっていた苦しく悲しい記憶。

 この記憶だけは何があっても何をしていても消えてはくれなかった。一層のこと全て忘れた状態で生まれ変われたらどれだけ幸せだっただろう。何でそうしてくれなかったのだろう。そう思わずにはいられない。

 少なくとも今のように皆んなに心配をかけたり、遠ざけたり、傷つけたりしなくて済んでいただろうから。


「いつかお話しして頂けますか?」


「どうでしょうか…」


 ハッキリはお答えられなかった。

 沢山の別れがあったから人と関わるのに慎重になったり、二の足踏んでしまっていたり、親しくならないように遠ざけてしまう。それはいずれ来るであろう別れの辛さを少しでも軽減する為の防御策からやってしまっていた事。

 そして、それは自身が神であると自覚して更に強く意識することになった。

 自分は彼らをただ見送る事しか出来ないのだと。




ーーーーーー




 それからの1ヶ月は長いようで短かった。

 屋敷での生活は此方に来る前に()()予想していた通りだった。

 あの一件以降、中佐に昇格したリヒトはかなり忙しく過ごしていたようで以前にもまして執務室には沢山の客が来訪したが、その間リーンは抱っこされたまま、まるでぬいぐるみのように過ごした。

 久方ぶりにパン屋に行くのもポールやライセンへの挨拶も、ハロルドに会うのにも抱っこされたまま。

 リヒトにどうしても外せない会議や打ち合わせが入った時にはメイド達に思う存分着せ替え人形にされて、食事もいつも通りリーン専用の椅子とクッション、食器類は勿論、特別メニュー(食べやすいように小さくカット済み)で用意されていて、寝る前には二人でなんて事ない話しながらお茶を嗜み、時には髪の毛をくるくると弄ばれて、お得意の誘導で一緒に寝るように仕向けられた。


 ただあの日以来、リヒトはリーンの過去について一切触れて来なかったが、以前よりも増して溺愛行動が目立つようになった。


 朝目覚めれば…


「…おはようございます。これは一体…?」


「気持ち良くお目覚め頂こうと思いまして、庭に咲いていた花を摘んでまいりました」


「リヒト様がですか…?」


「勿論です」


 みたいに天使のような満面の笑みを向けられたり…


 食事を取れば…


「お口に合いますでしょうか?」


「はい、いつものことながらとても美味しく…」


「…料理長、まだ少しサイズが大きいのでは無いだろうか?リーン様の口の端にソースが付いている」


「申し訳ありません。昼食時には更に食べやすいようにさせて頂きます」


 こんなのはただのリーンの不注意なのだが、このような有様で…


 執務中は…


「此方が報告書になります…」


「リーン様、お菓子は如何ですか?」


「…い、戴きます」


「…既にノーナの定期調査は終了し、異常がない事を確認致しました」


「お味は如何ですか?」


「美味しいです…」


 周りの声は聞こえていないかのような状態で…


 街に出かければ…


「このドレス…リーン様にとても似合うのでは無いだろうか」


「リヒト様、ドレスは先日も頂きましたから大丈夫です」


「お客様、そのドレスにこのお靴を合わせるのは如何でしょう」


「よし、それも貰おう。そろそろ日差しも強くなってくる。日傘も必要だろうな」


「えぇ、えぇ!お色を合わせてまして…」


「いいな。では、それも一緒に貰おう」


 メイド達を喜ばせるドレスや装飾品が増えていく一方で…。


 大好きな湯浴みを終えると…


「今日のお茶はガッシュ地方から取り寄せたファーストフラッシュです」


「…美味しい」


「お菓子はハロルド男爵が用意して下さいました」


「バターを使ってますね」


「さすがリーン様です」


 毎日が至れり尽くせりで。


 ただ、夜寝静まると時より魘されるように目を覚まして、何度も何度もリーンの存在を確認しては安心してまた眠る、のをリヒトは何度も繰り返した。

 その時の痛々しい表情は何度もリーンの胸を突き刺す。少しでも安心して欲しくてリーンがその腕の中に擦り寄ると安心して緩んだ表情に思わず、頬が熱くなる。


 そして朝を迎えると、また嬉しそうに挨拶を交わして摘んできた花よりも美しい天使のような笑顔でまたリーンに笑いかける。


 それはもう、快適?で濃密な1ヶ月を過ごした。


 宣言通り愛を囁いては来ない。

 でも、これは囁かれるよりも更に厄介で、ちょっとした好奇心と負けん気が働いて徐に少しだけ幼女を辞めて見たところ、それはもう更に厄介な事になった。

 リーンの考えが甘かったのだ。

 いつも通り執務中に膝抱っこ出来ないと、少し悲しそうな反応を見せるだろうと思っていた。ほんの出来心だった。


 しかし、朝食後エスコートされて連れてこられた執務室にはそんなリーンの行動を予想していたかのように何処から持って来たのかハンギングチェアがリヒトの執務机の横に置かれていて、まさに籠の中の鳥のように一日中眺められていた。

 夜は食事に気を遣わなくて良いからか、レストランへ連れてこられて狙ったようにハトハ酒を出され、完全にリヒトのペースにだった。

 帰宅後、いつも通りに寝る前のお茶を共にしていたら…


「こんなお顔…誰にも見せないでくださいね」


「こんな顔って言われても…ただお菓子食べてるだけで…」


「もう、諦めてずっとここにいるというのはどうでしょう?」


「…諦める…って何をですか…?私にはやらなければならないことが…」


「でも、私はもうリーン様から離れる気は全くありませんが」


 天使な笑顔で毒を吐き出しながら、強引過ぎる口説き文句を落とされる。


「…私に拒否権はないと…?」


「はい。少しの我儘は許してくださるとお約束して頂きましたから」


 強引だ、と思いながらもそれを怒れない自分がいて。


「…もう、勝手にしてください」


「宜しいのですね?」


「拒否権はないのでしょ…」


「はい、ありません」


 天使な笑顔に屈しそうな自分がいる。

 そして、もう大人になるのは辞めようと決意する。


 それらを見越していたようにラテは時々、レスター達を代わる代わるで送ってきた。

 名目はハロルドに注文していた品物の輸送の為だったり、こちらでは食べられないリーンが前世の記憶を頼りに作らせた料理やお菓子の差し入れを持ってくる為だったり、とあれこれあったがリーンがリヒトに絆されかけると夜中だろうが、早朝だろうが関係なしに送られてくる物だから、リーンは助かっていたが、リヒトは腹に黒い物を抱えていた。


 そして、明日で約束の1ヶ月が終わる、という日。

 朝目覚めるとリヒトの姿が見えなくて、冷え切ってしまった隣に悲しさを感じている自分に気づく。

 サンミッシェルとマリンに支度されて、朝食の席向かうもそこにもリヒトの姿がない。

 あるのはアーデルハイド夫妻の嬉しそうな笑顔だけ。

 執務室にも、昼食の席にも、外出してもリヒトは現れなかった。

 夕食を済ませて、リヒトの部屋へ案内すると言うサンミッシェルに前使っていた部屋に案内するようにお願いする。


「…掃除は毎日してましたから…」


「…?」


 突然の申し出に少し困ったように眉尻を下げながらも言う通りにしてくれたサンミッシェルは部屋の扉を閉める間際に何かを小さく呟いたが、リーンには届かなかった。


 

 

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