ラテの説得と思い
ーーーコンコンッ
リコースが退出した後、間を置くことなく扉がノックされる。リーンはゆっくりと一呼吸置いてから、それに返事をした。
「…どうぞ」
「失礼致します。ハルト様、計画の方は無事上手くいったとレスター様から伺いました」
お茶が乗ったワゴンを押して入ってきたラテはお茶の準備しながらリーンに問いかける。
ここまで来るのに流石に色々と回り道をしすぎた。総合的に考えれば結果的には良かったのかもしれないが、これ以上遠回りするのも、デロス島の件についても無駄な時間をかけるのは良くない。
だからもう間違わないようにラテが見た未来の中からレスター、イアン、ラテと共に検討会を行い、選択する未来を確認した。
そして、その未来が確実に来るようにリブリー【マリオネット】を使ってもらい、今回の一連の流れを作り上げたのだ。
だから、当然リーンはリコースがガビロンを紹介することも、ガビロン邸でイヤな視線を浴びることも、王が戸惑うことも全てがシナリオ通りで分かっていたことでもっと言うならばリーンの言葉も全てセリフの通りだった。
「後でリブリーには次のを始めるように伝えておいてください」
「かしこまりました」
ラテは頷いて、その話しはもう終わりといわんばかりにリーンに近づくと紅茶のカップを目の前に置く。
カチャリ、とスプーンがズレる鈍い音が響いて、二人の間に流れる静かで優雅な時間の開始を知らせた。
完成していたはずの街は瞬く間に更なる成長を遂げた。
夜道でも歩きやすいように建てられた街灯。馬車が揺れないように綺麗に敷き詰められた石畳み。気分を豊かにしてくれる色とりどりの花が植えられた花壇。人々の憩いの場になるであろう噴水広場。
だが、そのどれもがこれから来る住民達を苦しませて来た最大の敵である物を彼らの目から隠すために作られた。
勿論本来ならない方が良いのだが、それが唯一彼らを島以外でも生活できるようにする物なので、今は如何してもなくてはならない。
「悍ましいですね…。こんな物で彼らを土地に縛り付けるなんて」
「…狙いは分かっています。そして、これを成し遂げると流石の彼も黙ってはいないでしょう」
「…ハルト様。宜しいのですか」
「…?」
これから先、今想像しているよりも、もしかしたら壮絶な戦いが始まるかもしれない。覚悟、と言うほどのものではないが、心構えは出来ている。
そんなことは当然未来を見る彼女には分かり切っていることなのに、今更何を聞きたいのだろうか、とリーンを首を傾げてその先の言葉を促す。
「…リヒト様、にお会いしなくて宜しいのですか?」
「…そうですね」
もう隠す事はできない、いや、ラテには寧ろ隠す必要もないだろう。
リーンにとってリヒトは特別な存在だった。出会い方がそうさせたのか、それとも、彼の言動がそう思わせるのか、はたまた、彼の為人がそうしたのかは分からない。
ただ、彼は他の人たちとは明らかに違った。
彼が此方に向ける視線が違った。貰った信頼の度合いが違った。全てがリーン中心でリーンがする事ならば全てを受け入れて、理解し、決断し、行動して、叶えてくれた。
「ハルト様にとってリヒト様は我々以上に大切にしたい存在です」
「…そこに差はありません」
「いいえ。明らかな差が御座います」
レスターやイアン、ミモザやキール、カール…側に残した者たちが危険になると《予知》が出た時、どうにか出来る、離れる、と言う選択肢は考えなかった。
でも、リヒトは違う。
敢えてあけっない態度で彼らから離れた。彼の立場や性格をよく理解した上で周りから顔見知りの知人程度に見られるくらいに。
彼はそれさえも良く理解した上で強行的な手段は選ばず、リーンが思うように出来るよう、リーンがしたいことならば、と潔く身を引いたのだ。
それだけじゃない。先日、偽皇帝の暴走からリヒト、ポール、ライセンを助けた時もそうだ。
正直お茶をする時間くらいは取るつもりだった。寧ろ、その場を借りて、命が懸かっている状況をわざわざ隠してまで、リーンに助けを求めて来なかったのかを問い詰めてやろうと思っていた程だった。
でも、あの日。三人と共に屋敷に戻り、とても優しい顔で微笑むリヒトの顔を見た時に“今すぐ離れなければいけない”と思ってしまった。
分かったのだ。このままあの場にいたら、どうされていたのか、何と言われていたのかを。神示を使えなくても分かるくらいにリヒトの表情は喜びに満ち溢れていた。
そして、捨て台詞のように三人に別れを告げて戻った時にはもう手遅れになっていた。
ラテに言われるまでもなく分かっていた。レスターが離れないと言った時、それを許したが、同じ事をリヒトにされても多分最後まで頑なに許す事はなかっただろう、と。
「我々はそれで構いません。それを承知で側にある事を願いました。確かにハルト様のお心は遠いですが、身はいつでも近いところにあります。一体どちらが幸せなのでしょうね」
とても12、3歳そこらの子供の言葉でない。彼女は沢山の未来を見る事で、沢山の世界を知り、《予知》の中で色んなものを擬似体験する事でその知性を身につけた。いや、身につけさせられたのだ。
リーンもそんなに鈍感ではないし、神示はいつも簡潔にそれを伝えてくる。だから、彼女らのそれがアンティメイティアのような憧れではないことはよく理解している。
だが、それを知ったところでどうすれば良いと言うのだろう。
自分は明らかに人とは違う存在で、やらなくてはならない事もあって、常に危険が付き纏い、冷酷にならないといけない時もある。
彼女らの気持ちに応える事も、ましてや自分の気持ちを優先させる事も出来ない。
「例えば、今リヒト様に会いに行ったとしたらどうなるのでしょう」
「リヒト様がとても喜びます」
「…それから?」
「リヒト様にハルト様は……愛されます」
「…愛され…?」
「その、変な意味ではなく…単純にいつも通りという事です」
要は執務中も抱っこされたまま拘束されて、街に出かけたとしても抱っこされたまま。時には髪の毛をくるくると弄ばれて、お得意の誘導で屋敷に何としても泊まらせて、寝る時も一緒で離してもらえないと言うことだろう。
実に想像に固い。
「私にそんな事をしている暇はないと思いますが」
「いえ、寧ろこの一ヶ月くらいゆっくり過ごされては如何ですか?どうせまだ他のメンバーにはお帰りをお知らせにならないのでしょう?今はリコース様がいらっしゃって我々も魔法陣でいつでも其方に行けますし、必要なことがありましたらタブレットで指示すれば宜しいかと」
未来を知る彼女だからこその提案なのかもしれないが、だからこそ、そこに何かしらの不安を感じる。
「ですが、ラテ。ディアブロの動きに影響が出るのでは?」
「其方は特に問題ありません。この前の件で彼らを助けた事は既に知られています。このまま放置する方が寧ろ不確定な未来が増えるので、私としましてはリヒト様にお会いして彼らが今回の計画に必要だったから助けたのだと思わせる方が得策だと判断しました」
「リヒト様達に協力を仰ぐと?」
「はい。リヒト様には単純にお家をお借りするだけです。本当の目的はハロルド様に更なる素材の確保と一ヶ月後、お戻りの際にアイリス様をお連れになって頂ければと思います」
確かに元々アリス、今はアイリスを連れてくる予定だった。【神子】としてフレディが上手く力を扱えるようになれば彼女の呪いを簡単に解くことが出来るからだ。
「…はぁ、分かりました。今回は貴方の言う通りに」
「ありがとうございます」
この前はラテの指示を無視して皆んなに迷惑をかけた。ここは素直に従っておくべきなのだろう、とリーンは両手で頭を抱えながら、嬉しそうに微笑むラテに困った笑顔を向けた。




