魔法使い
穏やかなごくごく普通の街。
その街に一人、風変わりな女が住んでいた。
彼女は小さな子供のような風貌でありながら、もう何年もその場所に住んでいて、その街の最高齢の爺さんの子供の頃からその姿だったという。
家は街から少し丘を上がった所にあった。
家を訪ねてくるのは悪戯好きの子供達か、生業としている薬を卸している商人ぐらいだった。
だから、このドアのノックもまたそのどちらかだと思って彼女は重い腰を上げて扉を開いた。
「こんにちは」
「こ…え?」
目が合うのも恐ろしいほどに美しい男。
全身の毛が逆立つほどに身体が震える。
ただ、彼女が震えているのは男が美しいからではない。
「何のようなのね」
「お邪魔しても宜しいでしょうか」
「困るなのね。仕事中なのね」
「分かりました。では、少し時間を空けて参ります」
また来るという彼はにこりと笑い、すぐに踵を返す。
彼女は扉を閉じて大きなため息をついた。
後ろに控えていた女は彼女の目から見ても確実にエルフだった。そして、あの美しい男。アレもエルフの可能性が高い。
彼女は今日はもう扉を開けまい、と決めて残していた仕事に取り掛かる。
「…………エンチャント」
作業を続ける彼女は小さな動揺を抱えたまま。いつもなら日が暮れても時間を忘れて作業に没頭しているはずなのに、意味なく立ち上がりお茶を入れてみたり、昼食を取ってみたり、と中々手が進まない。
兎に角今は無心になろうと机の上に用意していた薬の材料を兎に角細かくすり潰し始めた。
いつもなら魔法で一気に粉々にしてしまう所を敢えて手でやるのは、これをするのが彼女が一番落ち着ける方法だったからだ。
「…まじで来るなのね」
いつにも増して独り言が増える。
日が暮れていくのが分かるくらいに集中できていない。完全に日が沈み切った所でやっと蝋燭に火をつけた。
ーーーコンコン
「……」
「コロンさん。いらっしゃいませんか」
カーテンをほんの少しだけめくり、自身の家の玄関口を覗き込む。
早く帰ってくれ、と念じながら覗き込んだ先が急に暗くなり、彼女は慌てて少しカーテンを持ち上げてしまった。
「コロンさん、中にいらっしゃるようです。さっき街の人に良く子供達が悪戯目的で家を訪ねていると伺いました。その警戒をされてたのでしょう」
「そうですか」
そこまで言われてしまうと流石に出て行かなくてはならない雰囲気になってしまう。
完全に逃げ道を閉ざされた彼女は渋々、ドアを開けた。
「何なのね」
「初めまして、私はエイフリアと申します。此方は神、アポロレイドール様です」
「…だから、何なのね」
「少し貴方にお願いがあって参りました」
神だ、と言われても信じるわけがない。リーンもそれが分かっていて少し苦笑いをする。その発言をした当の本人は本気も本気で嘘偽りはない、と自信満々に真顔で言っている。
「お願いとは何なのね」
「ディアブロを知っていますね」
「…ック。やっぱりなのね。奴の仲間だったか…。正当防衛だ。私は全力で抵抗させてもらうなのね!!」
彼女は手を前に突き出し、突然突風を巻き起こす。風の中に草や砂は勿論、折れた木の枝、大きめの石ころなど周囲の物を巻き込んで乱れ回る。
当然彼女もそんなのでディアブロの送った者を追い返せる、もしくは殺せるなど思っていない。簡単な目眩しになればと一番短い詠唱で済む魔法を使っただけだった。
「…突然危ないですよ」
だからってこんなにもあっさり破られるとは思ってもみなかった。しかも、後ろで大人しく控えている従者如きに掻き消されるなんてそれこそ考えてもいなかった。
「クソッ、流石にレベルの高い者を寄越してきたなのね。でも、次はそうは行かないなのね!」
簡単には捕まらない、と大きく手を突き上げる。
思ったよりは時間を稼げなかったが、相手が直ぐには攻撃してこないのをいいことにその間に次の詠唱を終わらせていた。
彼女が手を突き上げたと同時に地面から土壁が競り上がり、目の前の二人組を覆い隠す。通常よりも少し厚めに仕上げた自信作だ。
だが…。
「真っ暗でしたね」
「えぇ、びっくりしました」
今度は如何にも軽そうな細い剣を抜いた男に軽々と土壁を切り刻まれる。ボロボロと崩れ落ちていく土の向こうからとても軽い会話が聞こえて来て、彼女は一歩後ろにたじろいだ。
だからと言ってここで大人しく捕まる気はない。
今度は特大の、それも自ら作り上げた魔法で一気に叩きのめす、と彼女は両掌をピッタリと合わせる。
「終わりなのね!」
終わりだと告げる叫び声と共に雷鳴轟く雲が彼らの頭上に立ち込めている。今にも雷が落ちてきそうなほど不穏な黒い雲が唸りをあげる。
それは一瞬の出来事だった。
目で捉える事も出来ないような速さで一筋の光が頭上目掛けて落ちる。
当然声をあげる余裕すら無い。
はずだった。
「今度は明るい」
「えぇ、ちょうど灯りが欲しかったところです」
確かに落ちた筈だ。
この魔法は彼女が作ったオリジナルの中でも一番の自信作で、神にしか扱えない雷を局地的に発生させた雷雲に誘導線を引いて相手に百発百中で当たる大技だった。
当たっていないわけはない。なのに相変わらず呑気な話し声が聞こえて来て彼女の心は此処で完全に戦意を喪失してしまった。
「…堪忍しましたか?」
「何なのね、エルフ!お前らは絶対にディアブロには付かないと約束した筈なのね!あり得ない裏切りなのね!!」
「あの、我々はディアブロの仲間ではありません」
「アホなのね!私に会いに来る奴なんてアイツらぐらいしかいないなのね!」
本当に冷静にただ淡々とそう告げてくるエルフ。さっきは神だと言い腐ったり、今度はディアブロの仲間じゃないだと言う。
じゃあ一体何の理由で誰が何のために会いに来たのか。彼女には開幕見当もつかない。
「だから、さっきから説明しているじゃないですか。此方の方は神、アポロレイドール様なのだと」
「だから!!!…あ、え?」
「これで信じて頂けますか?」
「ドール様です」
「見りゃー分かるなのね!」
目の前で姿を変えた。
男から女に、高身長から低身長に、青から黒に…。
寧ろこれをみて何を疑えと言うのだろうか。
話す前にやって欲しかった、寧ろなんぼでもやる隙はあった筈だ、と彼女は顔を真っ赤にして怒りを爆発させるが、何から責め立てれば良いのか分からず言葉が出てこない。
「コロンさん。突然申し訳ありません」
「本当に、突然すぎるのね!」
「先にご連絡すら手段がなくて申し訳ありません」
「…うぐッ」
確かにディアブロを警戒するあまり、外界との連絡を完全に断っていた。何も言い返せずに言葉を飲み込むコロンは何も言わずに踵を返して家へ入っていく。
自身が起こした突風のせいで完全に乱れてしまった部屋を片付ける。
瞬く間にもとある位置へと帰っていく道具や素材や資料達が部屋中を行き交い、リーン達の進行を妨げる。
背の低いコロンはそんな中をスイスイと歩いて行き、台所からカップを持って席に着く。
「座って良いのね」
「では、失礼致します」
「失礼致します」
向かい合って座ると、言い知れぬ緊張感が漂って言葉が出てこない。聞きたいことは山ほどあるがどれもどうでも良いような気がしてくる。
「コロンさんにディアブロを倒す手伝いをして貰いたいのです」
「奴を倒す?それを私にやれ、というなのね?」
「えぇ」
「本当のアホだったなのね」
大きなため息を落とすコロンに相変わらずニコニコとしている神と真顔のエルフ。
彼らにはおかしな事を言っている自覚がないのだとコロンはもう一度大きなため息をついた。




