悲劇
「アシュレイ皇太子。今後の貴方の治世に期待します」
「女神、ヴェルムナルドール。エルムの名に誓って、この国を良き国にするとお約束致します」
跪くアシュレイの肩を優しく撫でリーンはその近くでずっとひれ伏したままの三人に近寄る。
「疲れました。お屋敷をご提供頂いても宜しいでしょうか?」
「勿論でございます。皆も喜ぶ事でしょう」
「ハーニアム公爵閣下。ご期待には添えましたでしょうか?」
「勿論でございます。我らの女神」
「後はお任せしても?」
「えぇ。女神様にこんな醜い物をお見せする訳にもいきませんし、そもそもこの様な場はお嫌いでしょう。是非、私にお任せ下さいませ」
リーンはハーニアム公爵に視線を向けたままリヒト達に手を差し出す。三人はお互いを見合ってリヒトが代表して手を取る。
「お二人もお願いします」
「あー、何する気だ?」
「兄様、今は敬語を使って!」
二人がリヒトと同じように優しくリーンの手を取ると、そこには元から何者も居なかったかのように姿を消した。
そして、次に感じたのはツルツルとしていて硬く、妙に音が響く、冷たい大理石の床の感触だった。
ひれ伏したままの三人はもろにそれを感じる。
「駆けつけるのが遅くなり申し訳ありません」
「いいえ、我々ではもうどうする事も出来ず。情けない所をお見せしました」
「ご無事で何よりです」
三人が助かったと肩を撫で下ろす様子にもう覚悟をしていたのだろうとリーンは察した。
今の彼らには慰めも大切だろうが、リーンの頭の中にはラテが出した予言がチラついていて耳に何も入ってこない。
「ごめんなさい。私は直ぐに戻らなくてはなりません」
「お茶をする暇もないのですか?」
「申し訳ありません」
アーデルハイドの屋敷に着いたばかりなのにも関わらずリーンは余裕の無さそうな様子のリーンは早々に三人から手を離した。
そして、挨拶もそこそこに再びリーンが姿を消す。
「…何かあったのでしょうか?」
「いや、何かあったのは俺らだろ」
「向こうでも何かあったのでしょうね」
「いや、俺ら処刑されそうだったんだけど?」
「一体何か…」
「向こうの話は中々入ってきませんからね…」
「はいはい、勝手にやってろ。俺は飯食ってくる」
完全に無視されたポールはリーンの事に頭がいっぱいの二人に呆れ果てて、使用人を探しに部屋を後にした。
これまでの酷く冷たい空気が一変、頬を掠める心地の良い暖かな陽気がリーンの心を少しだけ穏やかにさせる。
ただゆっくりとしている時間はない。
それはラテがある《予知》をしてしまったからだ。
ーーーこれから少し先、リーンハルト様が大切に思っている方達が非業の死を迎える。
彼らは決してそれを知らせる事はない。
そしてリーンハルト様は選択を迫られる。
何故なら彼らを助ける為にこの土地を離れると彼らの代わりに数人の使用人が非業の死を迎えるから。
リーンはその《予知》を何とか覆そうと凡ゆる作戦を練って色々と手を尽くして来た。
狙われているとされている使用人達はラテの《予知》によるとリーンと一緒にいるところを襲撃され、リーンを庇って亡くなる。
だから各地にばら撒き、リーンから距離を取らせた。“桃源郷”作りはそのための上手い口実となった。
しかし、狙われていると分かっていながらもレスターだけは頑なに側を離れることを拒んだ。
だから、リーンは安全地帯だと判断した【錬金王】の元に急ぎ、レスターを守って貰うようにポートガスとジェニファーの願いの見返りとしてお願いしていた。
「…やけに静か、ね」
エリザベスの宮殿に戻って来たリーンは屋敷へと足を踏み入れる。エリザベスらしい趣味の城内は相変わらずだが、人の気配を感じ取れない。
何かあったのは明白で震える手を力を込めてねじ伏せて、リーンは冷静に状況を確認しようと神示を覗く。
そしてリーンは堰を切ったように走り出し、一つの部屋の扉を勢いよく開いた。
「…リ、ーンさ、ま…」
「ロイド…皆んなの様子は?」
「エ、エリザベス様が…それにレオン様も…僕は、何にも出来なくて…」
リーンはエリザベスの手を握っているロイドに声をかけるが気を動転させてまともに会話が出来ない。状況は理解できてはいるが、だからこそリーンは話を聞くことしか出来ない。
「うっ…エリザベス様…ううっ…」
「ロイド。申し訳ないけれど、私はレスター達の様子を見に行来ますね」
「ううっ…」
ロイドはもうそれどころではないとリーンに返事を返すこともなく、ただただ嗚咽を漏らして泣いていた。
リーンはエリザベスの部屋を後にして自身の部屋へ向かう。
静まり返った城の中で反応があったのは3部屋。
先程、ロイドと横たわったエリザベスとレオンがいた部屋とリーンが使っていた部屋、それからまだ行ったことの無い食堂近くの広めの部屋だった。
「レスターは?」
「…リーンハルト様…」
「…」
自身が使っていたベッドに横たわるレスターに近づくとそっと頬に触れる。
熱に侵されていてとても苦しそうではあるが、冷たくないことがリーンを安心させた。
「レスター様は毒に侵されたのでしょうか?それとも呪い、の類いなのでしょうか…?」
「カール、どちらかでは無くどちらも、のようです。…ミモザ、ありがとう。貴方のお陰で取り敢えずですが…レスターは問題無いようです」
「ハルト様が仰っていた通りにさせて頂いたまでです。事前に何も知らなければ発見も遅れ危険だったことでしょう」
「えぇ。もう一部屋観に行かなくてはなりません。レスターを宜しく頼みます」
「かしこまりました」
動揺を隠さないカールを見てリーンは逆に落ち着いていた。自身よりも動揺している人間を見ると落ち着いてしまう、と言うのは本当だと改めて感じる。
ラテやイアン、それから事前に事情を話していたミモザは大分落ち着いた様子でいた。
リーンは残る食堂近くの部屋に急ぐ。
部屋の直ぐ目前まで近いたが、リーンはふと足を止める。閉じ切っているのに漂ってくる鼻をつんざく様な匂い。まるで腐った肉を放置したような、血生臭い異臭が漂っていた。
「…」
部屋に入ってことを後悔した。
それ程に目の前の光景は受け入れがたいものだった。抉れた皮膚。膿が溜まり壊死しかけている足。包帯で巻かれて見えない顔。そこら中に落ちている赤い点。息絶え絶えのいま直ぐにでも死んでしまいそうな重傷者達に言葉を無くす。
ラテの予言では誰も死ぬ事はないと未来を変えられていたはずだった。違ったのだろうか。
押し寄せる不安を知ってか、リーンの手を取ってくれたのはエリザベスだった。
「…起き上がって大丈夫なのですか?」
「えぇ、私は大丈夫ですわ。ご心配感謝いたしますわ、リーンハルト様。貴方のおっしゃる通り、ロイドとレオンがいなかったら流石にダメそうでしたわ」
事情を聞いてはいたが、それほどの被害を受けたと知ったエリザベスの顔色は良くない。無理をしているのは分かっているが、今は彼女の気遣いに感謝せざるを得ない。
多分彼らはレスターの為にエリザベスが用意していた騎士だったのだろう。
リーンがお願いした時点でそれは願いでは無く命令になるのだと分かっていたはずなのにそうしてしまった事に後悔を禁じ得ない。
エリザベスはどんな気持ちで彼らに死んでくれと頼んだのだろうか、と。
「顔色が悪いです。ロイドも先程から後ろでオロオロしておりますし、今はゆっくりと休んでください」
「…そうですわね。明日ゆっくりとお話しし致しましょ」
「…そうですね」
エリザベスがロイドに支えられて部屋に戻る姿をリーンは最後まで見送っていた。




