過ち
燦々と輝く太陽と雲ひとつない晴天の青空が眩しい。
ここは街から少し離れた小さな森の中。日差しを遮った木陰はとても気持ちの良い暖かさでついつい眠気を誘うような陽気で戦ぐ風が頬を撫でて髪の毛が擽ったい平和な日。お勉強日和だ。
照り付ける太陽の下で我が息子は真剣な表情で今日も練習に励んでいる。
最近はより気合の入った様子で掛け声なんかにも力が増している。
「ん……ふーーー、っん!はーーーー!」
「フレディ、力まないってハルト様仰っていたでしょ?」
「はい、ママ」
「ふーーーーぅ、はーーーー!」
「その掛け声は何なの?」
「ハルトさまがおっしゃっていたの。はーーーー!っていいながらやるとマナをだしやすいって」
「…そう、なの?」
彼のだーいすきなリーンハルト様曰く、声を出す事は大切な事で程よく力が抜けて良いとのこと。大切なお役目を貰ったので相当浮かれているのだと思っていたが杞憂だった様だ。
大役なのは間違いない。あまり出来る人がいない。勿論私も出来ない。私には魔法の魔の字もないから代わってやることもだから力になってあげれる事も出来ないし、今は横について見守りことしかできない。
決して彼を信じていないわけではないが、まだほんの4歳で…幾ら使う事が出来ると言ってもマナが足りないので魔石頼りの危険な練習。暴発しないか気が気ではない。
ーーーいまぼくしかいないんだから!ぼくががんばってみんなによろこんでもらわなくちゃ!
やる気があるのはいい。空回りして失敗さえしなければ。
「もう1度出来たのだから良いのでは?」
「ママ、さきかえってていいよ。ぼくもうすこしれんしゅうしてからかえるから」
「…わかったわ。気を付けてね、日が暮れる前には帰ってくるのよ」
「うん、わかった」
とても真剣な表情の彼にそう言う事しか出来ない。
心配は何度してもキリが無いのだけれども、あまり気にしすぎても彼の為にはならない、と少しこうして自由にさせてみている。
勿論目の届かない間はとにかく心配で落ち着かないし、何度も何度も立っては座って、右へ左へうろついてはベンに注意されてしまう。ただ震えている彼の手を見れば同じく心配しているのだと少し安心出来た。
そうまでして彼を自由にさせるのには理由がある。
ーーーぼくはおなかいっぱいだからママ食べて良いよ
3歳にして親に気を使い、お腹を鳴らしながらにっこり笑ってパンを差し出したあの日。この子のためにも絶対に生きていつか3人でまた幸せに暮らすんだ、と心に誓った日でもある。
生まれてきてから大人しくあまり泣くこともなく、我儘も言わずに1人で遊んだりと元々手のかからない子だと思っていた。
と同時に栄養不足もあり、成長が遅く、おおよそ3歳には見えないほどに小さかった。どれだけ後悔したことか。何故こんな国でこの子を産んでしまったのだろう、もっと早く国を出るべきだった、と。
それから私たち夫婦は誓いも新たに何とか生活して来ていたが、その不安と後悔とが悪い方向へ進み、そして息子が大切なあまりどんどん過保護になっていった。
食べ物は手すがら食べさせて、着替えから何から何まで身の回りは何もかもに手を出した。彼の視線が動いたものはどんなに苦しくても手に入れて、やらせて、与えて来た。
勿論フレディは一度も文句を言わなかったし、私達はそれで満足だった。
しかし、それが彼の心を蝕んでいっているとは全く気付かなかったのだ。
あれこれし続けていたある日の夜。ボロボロの布団に包まって3人で身を寄せ合っていた。
ーーーあったかいね
ーーーえぇ、温かいわね
ーーーママ、つらい?
ーーーえ?
ーーーくるし?
ーーーそ、そんなこと
ーーーかなし?
ーーー…そんなことないわ
ーーーそっか…
その時一体私はどんな顔をしていたのだろう。
今考えるだけでゾッとする。きっと相当酷い顔をしていたな違いない。
でもこの時の私は息子がとても優しく微笑んでいたので安堵して眠りについたのだった。
そして翌朝。
フレディは居なくなっていた。
驚きと焦りで動けなくなり温もりも冷め切った布団を暫く見つめた後、ようやく我に帰る。
ーーーベン!!!!!
ーーーん、どうした…エマ…
ーーーフ、フレディが居ないの!!!
ーーーなに!?
それから必死に探した。本当に必死に。
潰れかけの八百屋の女将。細々と続けている食堂の店主。道端で倒れ込んでいる男。誰彼構わず殴り込むような勢いで手当たり次第にあたる。
誘拐された訳じゃない。机の上には彼が常に抱いていた薄汚れたぬいぐるみが置いてあったからだ。それだけじゃない他にも彼に与えた新品の傷一つない綺麗なおもちゃ達がズラリと並べられたそれを見て私達夫婦は驚愕した。
3歳で親に気を使えるような子には分かってしまったのだ。自分たちの食糧や衣服代などを削って自分に物を与えていた事に。寝るまも惜しんで交代で仕事に励んでいた事に。
与える事に固執して、身を削る事で“親”をしていると思い込み、本当に本人が欲しがっていたのかも確認もせず無理矢理に押し付けた愛情はすれ違っていた。
中々3人で過ごさない日々。自分のせいで窶れていく両親。それなのに増えていくおもちゃ。
彼が欲しかったものは何だ。
本当に欲しかったのは物や食べ物じゃない。
両親との言葉や時間だ。
3人でボロボロの布団で身を寄せ合った温かな時間。お腹いっぱいと嘘をついて笑顔の彼を抱きしめて呟いたありがとうの言葉。
間違っていた。
心の何処かで分かっていた。
でも、辞められなかった。
そうする事で、与える事で、自分が充たられていたからだ。でもそれは偽りだ。親らしいことをしたと言いたかっただけだ。独りよがりな愛だった。
その間一体彼はどんな顔をしていた?
全く思い出せない。
そんな事も分からないくらいに自分だけが必死で、大切だった筈の彼が見えていなかった。
気付いた時には後の祭りで、これ以上両親を苦しめない様にと彼は出ていったのだ。たった3歳の子供のする事じゃない。でもそれ程に彼を追い込んでいたのだ。
ーーーフ、フレディ!
ーーーマ、ママ?
強く強く抱きしめる。
木の影で疲れ切って倒れ込んだいた彼は息が荒い。
ーーーいたいよ?ママ
ーーーごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい
ーーーどうしたの?疲れちゃった?
この子はこんなに小さかった?こんなに痩せ細っていた?
こんなに…?
どうして…?
ーーーここにね、かくしておいたんだよ
ーーー…
ーーーママもパパもおなかいっぱいたべられるように
ーーー…
そういってパンが詰まっている木箱を指さす。
気がつかなかった。
きちんと彼を見ていなかった。
食べていなかったのだ。
声が震える。
ーーー食べていいのよ?
ーーーぼくはおなかいっぱいたべてるよ
ーーーみんなより小さいでしょ?
ーーーそっか…それがだめだったんだね。ぼくが小さいから…だからママとパパくるしんだね、かなしんだね、つらいんだね…だからぼくはさびしんだね…
ーーー…
もう何も言えなかった。
全て間違っていた。
私達は間違っていたんだ。
「ママーー!このまえよりもおっきなあなができたよ!」
「ほんと!?すごいわ、フレディ!」
「ヘヘヘ!ぼくがんばるね!」
私達の子は本当にいい子。
常に笑顔で少し優しすぎるけど強くて逞しい子。
沢山後悔した。それはもう本当に沢山。
でももう何も心配は要らない。
この子は私達の子なのだから。
「レーネ!ぼくね!きょうおっきいあなあけれるようになったの!」
「流石フレディ君!!!やっぱり天才!!」
「レーネ、てんさいってなに??」
「天才っというのはですね、才能豊かで…」
「…?」
「その、えーーーと、あ!ハルト様みたいな人ですよ!」
「ぼく、ハルト様みたいなの?うれしい!!」
きゃきゃと笑い合う2人。
フレディがこんな風に楽しそうにしているのは全てあの日私達を拾って下さったリーンハルト様のおかげ。
前のように親に気を遣ってただただ優しく笑うのではなく、幼い子供らしくはしゃいで、騒いで、大きな声で笑って…こんなに楽しそうにしている。
こんな幸せが訪れるとは思っていなかった。
あの日々は忘れてはいけない教訓のようなものだ。
もう2度とあんな過ちは犯さない。
心配もするし、手を掛けたくなるけどもそれ以上に彼が笑顔で楽しそうに過ごす事が私達にとって何よりも大切な事だから。




