役者
真っ青な空によく映える真っ白な壁と青い屋根。それはまるで本当の空のようで美しい屋敷。それでいて港町らしさを残していて趣きも忘れていない。
「やっぱり素敵なお屋敷ですね」
「ルーベンさん、辞めましょう。そういうのも、その言葉遣いも」
「そうは言ってもですね、マーカス様」
「…ルーベンさん」
「アハハ、すみません。マーカス」
マーカスと会うのはもう3回目。
2人で好きな女性を一瞬でも取り合った仲だというのにとても良い関係を築けているのはやはり彼の性格の良さが効いているのだろうか。
きっとリーン様に会う前のアンティ様なら…彼と…。
ふとそんな事を考えてしまう。
僕の人生はアンティ様と出会った時から始まった。
ーーールーベン、貴方は本当に良い子ね
ーーーありがとう、気が利くな
僕はいつでも“良い子”で、嫌われたくなくて、好かれたくて、人の顔色ばかりを気にしていた。
ーーー母さん、具合悪い?
ーーー父さん、僕が手伝うよ!
褒められたくて、愛されたくて…周りが望む自分になった。
ーーールーベン!ボールで遊ぼう!
ーーー良いよ!
みんながやりたい遊びをして。
ーーーあの子可愛いな!
ーーー本当だ!凄く可愛いね!
空気を読んで話を合わせて。
ーーールーベン…
ーーー僕には何でも話して?
そうして、合わせていくうちに自分のしたい事が分からなくなった。
何をしても、何か言っても、それをしているのは自分じゃない誰かのように感じた。
それは大人になってからも何も変わらなかった。
皆んなに望まれる自分を演じ続けた僕のクラスは【役者】になった。
【役者】は便利だったし、楽しかった。
全くの別人になれる。それが言い訳だった。今は演じてるから自分じゃなくて良いと。
何も考えなくても皆んなに望まれる姿になれる。
それが楽しいと思っていたのだ。
そんな時に出会ってしまったのだ。
アンティメイティア様に。
ーーー貴方!素晴らしかったわ!
ーーー美しいご令嬢にお褒めの言葉を賜り誠に光栄でございます
貴族相手に可もなく不可もない返答。
そんな返ししか出来なかった。
それが精一杯だったのだ。
彼女があまりに美しすぎて、目を奪われ。手を振って去っていく後ろ姿から目を離す事出来なかった。
今思えばそれが彼女に恋した瞬間だった。
初めて鼓動が脈打つ感覚。見つめていたい、話したい、触れたい、と言う欲。自らを見てほしいと言う願望。次から次へと溢れ出てくる今まで感じた事のない程の生きている実感。
そしてそれを感じてるのが自分ではなく、“貴族に丁寧な言葉を話す男役”だった事に初めて苦しくなった。
それから何度か舞台上から彼女を見かける機会があった。その度にその欲望に支配された。
しかし、あれ以来話しかけられる事は無く、話しかける事も出来なかった。
そしてその後国が破綻して、伯爵家が没落して彼女が行方不明になっていると言う話を何処からともなく流れてきた。彼女の正体が英雄の娘だと知ったのはその時だった。
どうにか探し出して、もう一度会いたい。一目でいいから。そして出来るなら僕が彼女の支えになりたい。
そう思っていたが、自身もそうこう言ってられる状況ではなくなった。幸い地方に遠征していた事で流行病を患う事は無かったが、国へ戻ってきた時には所属していた劇団が閉鎖になり、職を失った僕は【役者】のお陰で何とかありつけた日雇いの仕事など毎日を食い繋いで生きていくしか無かった。
日々の喧騒の中で会いたいなどと言う感情も忘れかけていた。そのくらいの時が流れていた。
そんな時に舞い込んできた仕事の話。何故選ばれたのかは分からなかったが、こんな世の中で僕はまだ誰かに求められる存在なのだと言われたみたいで嬉しかったのだ。
そして出会う。アンティメイティア様に。
あの頃とはまた違った美しさ。しかし、その出立ちには哀愁が漂っていて彼女のこれまでの苦労が滲み出ているようだった。
そして僕は再び彼女に恋をした。
「ルーベンさん!この前の続きを聞かせてください!」
「…あ、あー、何処まで話しましたっけ…そう、舞台から落ちたトルナの所でしたね」
「はい!トルナさんが舞台袖にはけようとした時、上手舞台の袖階段から落ちて観客の上に!観客の皆さんが一致団結して支えてくれて…のところです!」
「そうそう、支えてくれてね。何度もやってる演目だから次のシーンでトルナが観客裏から出てくると皆知ってるから皆でトルナ運びリレーになってトルナは無事観客席の裏までお客さんの頭上を通ってたどり着いて舞台は成功したんだ。まぁ、成功と言えるかは分からないけどね」
「いえ、ご無事に客席裏まで…。何という連帯感!そして何度も同じ舞台を見たいと思わせるだけの素晴らしい演目、そしてそれを演じていたルーベンさんは本当に素敵な人です!」
「そこまで褒めちぎらなくても…でもありがとう。役者にとって最高の褒め言葉だよ」
2人で照れ合いながら笑っているこの場面は本当の友人関係のように見える。ただ彼と僕の間には10歳の差があるのだから不思議だ。
始まりが違えば本当の友人になれたかもしれない。でも僕は彼に嘘を付いているし、これからも付き続けなければならない。
そして、そんな良い子に嘘を付き続ける事が簡単に出来てしまう自分がどんなにくだらない人間なのかを思い知らされる。
「そう言えば、舞台と言えばナタリーさん。トンガナートの奥さんですが、彼女も役者をされていて今はお子さんを授かってらっしゃるので、休業中ですが、とても素敵なお芝居をされるのですよ」
「…ナタリーさんが役者を?…知りませんでした」
「あぁ、ルーベンさんは此方の方ではなかったのでしたね。有名な役者さんだったんです」
「お産まれはいつ頃に?アンティの同僚なのでお祝いを用意しなければなりません」
「えっと、確かあと半年程…あれ?報告を受けたのが3ヶ月程前ぐらいで…詳しい日にちを確認しておきますね」
マーカスは隅で待機していた侍女に確認を取るように言いつけて遣いに出す。
ナタリーの妊娠と役者なのは初耳で何故今まで誰もその線を探らなかったのだろうか、と盲点だった事実を突きつけられる。彼らが探らなかったのはトンガナートの黒の証拠ばかりを探していた所為だろう。
「そう、ありがとう。…やはり、後3ヶ月程だそうです。あ、でもまだ知らないフリしておいてください。大々的に報告すると言っていたので!」
「そうなのですね。私知らないフリ、得意ですよ」
「流石、役者さんだ!」
「坊っちゃん、そろそろ仕事に向かわなければならないお時間です」
「もうそんな時間ですか。ルーベンさん、すみません。今日も楽しいお話をありがとうございました。馬車を用意しておきますので」
「いえ、此方こそ楽しかったです。今日はありがとうございました。私は勝手に歩いて帰りますよ」
歩いて帰ると言った僕を無理矢理に馬車に押し込んで、忙しいのにお見送りまで来てくれたマーカスに窓から身を乗り出して手を振る。
全ての状況を頭の中で整理する。
勿論まだ腑に落ちないことも多い。
今は早く報告をすることが先決だと判断したルーベンはそのまま宿屋へ向かった。
「と言うのが今日得た来た情報です」
「んー、今の話を聞くとトンガナートは白ってことか?」
「いえ、僕が言いたいのは僕も含めて初めの情報によって先入観でトンガナートは黒だと決めつけて黒の証拠ばかりを探してたいた。だからナタリーが役者をしていたと言う情報や現在妊娠されている事も掴めてなかった。実際この情報でトンガナートの謎の買い物はナタリーの懐妊が原因でしたし、ナタリーが持ってたスキルは役者なら納得がいく。現に僕も持ってるから」
「それはわかるけどなぁ。殺し屋のことや手紙のこと、説明がつかない事がありすぎる」
「それにナタリーは何故態々ステータスを《隠蔽》してたの?《鑑定》を持ってる人がいるって知ってたって事になるわ」
「うん、それもその通りだよ。だから初めの情報は一旦忘れて一から手紙やあの殺し屋、ナタリーについては調べる必要があると思う」
「置いておいてって、私のせいって言いたいの?」
「ミスリードした可能性はあるだろ」
「でも、あんなの見たら誰だって!!」
「…落ち着きなさい。…ルーベンの話はわかりました」
アンティメイティアは椅子から立ち上がり窓辺へ移動する。怒られた2人は下を向いてお互い謝り合う。
本当にいいチームだ。
「すみません、メリッサさん。一つ良いですか?」
「ん?ストックなした?」
「メリッサさんは何でトンガナートを調べてたんですか?」
「え?だってハルト様の命令で…」
メリッサは突然慌て出す。
「え、待って…えーと、初めは指示通りに南西の海域の調査をしていて…それで色々調べていくうちに…なんか、何となく…?」
「僕はハルト様から細工品はどんな物が売られているか、どんな物が人気なのか、余裕があるなら何か作ってもいいとお金も渡されました」
「へぇ〜、俺は海兵隊の調査と海で取れる魚の種類数の調査とその調理方法、レシピの収集だった」
「僕は街方面の調査全般ですね。店の数やその種類、建物の構造や道幅などの細かい数字などですね」
「はい、それでアンティさんは酒屋で調査、で合ってますよね?」
「…?そうですね」
「多分ですが、ハルト様が求めている事がアンティさんと僕たちでは明らかに違うと思うのです。トンガナートのギルドがあるのは南東です。元々調査範囲からから外されています。そしてハルト様が知らない事などこの世にはない」
一同押しだまる。
其々考えを巡らせているが、行き着いた先は同じようだ。
「ごめん、完全に私のせいね」
「ちゃんと話し合っとくべきだったな」
「…じゃあ、リーンハルト様は私と子爵家との婚姻を望まれてる…?」
「アンティさん!それは違います!」
「…ストックの言う通り、アンティ様、そう考えるのは、時期尚早かと」
「何を言ってるの?ルーベン。それ以外に何があるっていうの?」
考えれば考える程そうだとしか思えない状況だ。意図的に外された調査地区。アンティメイティアと他の指示の違い。パーティーに行けと言わんばかりの采配。
「…アンティ様。違うんです…そんなんじゃ…」
「ルーベン。貴方何か知っているんでしょ…?知ってて…私を嘲笑ってたのね。…ごめんなさい、暫く1人にしてくれないかしら」
「アンティ様!リーンハルト様がそんなこと望むわけ…」
アンティメイティアは外を見つめたままふりかえ振り返ることはなかったが、その頬に涙が祟っているのはその場の全員が察した。
1人、また1人と部屋を出ていく中1人残ったルーベン。
「…アンティ様。…申し訳ありませんでした。全て僕の所為なのです」
「…ルーベン。全部…貴方の所為なの?」
「…私が、いえ…僕が、僕なんかが貴方を…愛してしまったから」
「…あい、し、て…」
「本当に申し訳ありません」
「…」
ルーベンはアンティメイティアと目を合わせる事もなく俯いていてどんな表情をしているのかも分からない。
「アンティ様がハルト様をお慕いしている事は存じ上げております。…ただハルト様には…」
「そうね、私が入る隙は無いわ」
「いえ、ハルト様は受け入れて下さいます。でも大勢の中の1人です。ハルト様は私の思いにお気づきになられて…今回ここに私を残して下さいました」
「…」
「私が言われたのは一つ。見守ります、と。なので、ハルト様がアンティ様をここに残したのは私の所為です。決して結婚させる為ではありません。それだけは、それだけは…」
「…ルーベン。今日はもう休みなさい」
ルーベンは何も言わずに頭を下げて、音を立てる事なく扉を閉めた。




