リヒトの協力
ーーコンッコンッ
ジャンが軽く戸を叩く。
「リヒト様、リーン様をお連れしました」
「入ってくれ」
中からの声と共に重厚感のある2枚扉が一人でに開いた。扉の近くには年老いた執事が立っており、ジャン達を笑顔で招き入れた。
「失礼します。ジャン、他2名只今戻りました」
中はリヒトの執務室の様で扉同様、重厚感感じる部屋になっていた。茶色の革張りのソファーや数々の絵画や壺などが見苦しく無い程度に飾られておりセンスを感じる。綺麗な木目が目立つ大きな机には宝石で装飾が施されたペーパーナイフや純金で作られたベルなどが置かれているが沢山の書類に埋もれており、直前まで仕事をしていた事がよく分かった。
しかし、それを感じさせない程キラキラの笑顔のリヒトは茶色革張りのソファーの前で立ってみんなを出迎えている。
「リーン様、わざわざ此方まで御足労頂き、誠にありがとうございます」
リヒトがそう言い終わると、対面のソファーに座るようリーンに促した。
リーンはというと何故かジャンに抱っこされており、ジャンによってそっとソファーの上に座らせられた。
リヒトの屋敷までは確かに距離があった。極力この件については極秘裏に進める為、パン屋の近くからアーデルハイド家の家紋がついた馬車に乗るのは難しい、とお出迎えを断ると、リヒトに宿屋まで来てもらうか、ジャンがリーンを抱っこするか、という2択の条件を出してきた。もちろんパン屋の近くに宿屋を取っているリーンには1択しか選択肢がなかったので、もちろん抱っこになってしまったのだった。
初めは少し抵抗があったのだが、抱っこが2回目と言うこともあり徐々に慣れてしまい、兵士たちと話しながらの移動は思っていたより充実していた。
リヒトはリーンが座った直後、机の方をチラッと見て書類が山の様になっているのに気づくと、少し焦った様に言った。何に焦ったのかリーンは分からず、首を傾げる。
「リーン様、そろそろ時間も時間ですし、宜しければご夕食でもご一緒に如何でしょうか?」
リヒトの有無をを言わせない様な綺麗な笑顔を向けられ、あーこれ…この前見たやつだ、とリーンは諦めた様にコクリと頷いた。
リーンの頷きを見てサッと立ち上がったリヒトはさも当たり前かの様にリーンを持ち上げる。驚きのあまり何か言う隙を逃したリーンは大人しくリヒトのしたい様にさせる事にした。
リーンがリヒトに関する事では諦めてばかりだ、と思ったのは言うまでも無い。
リヒトに抱っこされたまま、大理石の様なもので作られた長いダイニングテーブルが置かれた煌びやかな部屋に連れてこられた。机にはすでにナイフやフォークなどが用意されており、リーンは一番端の席に下された。
リーンは長すぎるテーブルの使われていない席を少し眺めていると、リヒトがリーンの対面の席に腰を下ろした。それと同時に一つ目の皿が目の前に置かれた。
「本日は、お招き頂きありがたく存じます。色々とご説明も無しにご助力頂きましたことも併せてお礼申し上げます」
(さすが、貴族様。想像通りのコース料理ね…)
心の中の言葉をグッと飲み込み、リーンは軽くお辞儀をしながらお礼を言った。
それを見たリヒトはふふっと小さく笑った。
「此方こそ、お力になれて光栄です。お食事だけでも結構なのですが、いらっしゃって頂けたという事はこれからご説明頂けるのでしょうか?」
「はい、私は情報を提供しているだけなのでポール様にその他はお任せしておりますが、ポール様が言うには何分人手不足…なのだとか。今後もう少しご助力頂きたい、との事なのですが…」
もちろんです、とリヒトは嬉しそうに言う。
それから、今日の出来事についてのジャンの報告と併せて今後のポールの計画を細かく話した。
そう、細かくだ。リーンの紅葉のような手に握られたフォークは大人用で大きすぎる。更には机からやっと顔が出たような状態ではとてもじゃ無いが食事をしながら会話が出来る状況ではなかった。
後ろでメイドがハラハラしている事に気付いてからは食事は諦めた。折角のフルコースなのに…と惜しんでいた時、リヒトがリーンの隣に座わりなおした。
「ではお話も終わりましたし、ゆっくりお召し上がりください」
そんな事を言いながらメイドにケーキ用のフォークとティースプーンを用意させてリーンに握らせる。ジャンも何処から持って来たのか分厚いクッションをお尻の下に2つ重ねて目線が高くなった。少しバランスは悪いが。
両手に小さなフォークとスプーンを握ってお子ちゃまか…と思ったが、食べられるようになったのだから文句は言えまい。リヒトによって小さく切り分けられたお肉をパクリと口に含む。まぁ、素材が良いのだろう。本当に美味しい。パンばかりの生活をしていたのもあり食が進む。
「そう言うお話しなら、私は騎士ですからお手伝いするのは当然の事です。しかし、転移魔法ですか…聖王国が絡んでいるとなると少し厄介ですね」
リヒトの表情はとても厄介と思っているとはとても思えない。しかし、困った相手なのは確かだ。
聖王国とここ帝国エルムは仲は悪くないが、帝国より遥かに小さいにも関わらず、同じ神を崇める聖王国は神が舞い降りた国であると言い伝えられており、とても発言力が強く、帝国に司祭や司教などを派遣する代わりに物資や金銭の援助を要求している。帝国内に聖王国の人間がいる為戦争などには決してならないが支援金は何年増額され、物資、特に食料などを要求するばかりでくれる事はない困った相手とも言える。
「確かに厄介です。転移魔法の使用は教会の上層部の枢機卿クラスの人間しか扱える者はおりません。相手が大物なのは間違いないのです。それにトットを捕まえても、又新たなトットが生まれるだけで、何の解決にもならず…。この国では奴隷自体が禁止されていますが、他国では当たり前の様に奴隷が存在していますから」
「聖王国は何故女子供が必要なのでしょうか?わざわざ罪を犯してまで我が国の国民に手をつけるなんて危険な事をする必要なんてありますか?そもそも、他国の奴隷が禁止されていない国から連れて来たり、聖王国にもいる奴隷ではいけないのでしょうか?」
今まで淡々と答えていたリーンが唇を噛み締める。
それを見たリヒトは何かを察し、大丈夫です、と優しくリーンを諭した。
「教皇に…聖王国の教皇や枢機卿に、帝国から連れ出された奴隷達は皆一様に嬲り者にされ命を落としています。国内の人間では…1人2人ならまだしも…月に10〜20人…そんな事を此処帝国より人口の少ないあの国では難しいのです。それに他国で奴隷が禁止されて居ないとしてもそれなりの法があります。人権を守り衣食住と命の保証をする契約魔法を掛けると決まっています。神に仕える御仁が契約魔法を違反すれば反感買うことは明白です。それに…いえ…何でもありません」
そんな事の為に…とリヒトは憤怒の形相を浮かべる。
リーンは何故そんな事まで知っているのかと問い質されると思っており、少し身体に力が入っていたがリヒトの態度に少し安堵した。
再三言うように今回の計画でリーンは表に出ないよう心掛けていた。何故ならリーンが誰も知り得ないであろう情報を持っているからだ。そこを突っ込まれてもリーンは一切答えることが出来ない。だからこそ、リーンは情報を提供するだけで実働はポールに任せていた。ポールも事が事なだけに協力者も最小限に抑えていた。全ての計画を知っているのはポールとリーン、そして今伝えたリヒト達だけだ。
ポールは王から女子供ばかりが失踪している事件の調査と収束の勅命を受けていた。このまま犯人がのうのうと生きている事が我慢ならない、と情報の出所やリーンについては一切、探らないと言う条件を二つ返事で飲んでくれた。
しかし、リヒトは違う。王からの勅命も無く、自分自身に被害があるわけでも無い。
しかしリヒトに大丈夫と言われた瞬間、何故か漠然とだが大丈夫だと思えたのだ。
「リーン様、今後は私も共に参ります。必ずやお力になって見せましょう」
そう力強く言ったリヒトは今までで一番良い笑顔を見せてくれた。
それからと言うもの、リヒトは宣言通り寝る時以外はほぼずっと一緒に行動していた。本来の仕事はどうしたのか、と疑問に思うリーンだったが、リーンが寝静まる頃に屋敷を出ることが多かったので、身体は大丈夫なのかと心配だった。しかし、相変わらず笑顔が絶えないリヒトに何故か聞き出せずにいた。
リヒトの協力も取り付け、計画の準備は少しずつだが、整いつつあった。
「先日のお食事会の時お伝えしてなかったのですが、実は以前からジャン様達には色々とお手伝いをお願いしておりまして。私の事情で勝手にリヒト様の護衛をお借りしていたのにご相談もせず申し訳ありませんでした」
そんな折にリーンが突然言い出したこの発言でリヒトは少し機嫌が悪くなった。リーンは勝手に指示していた事を怒っているのだと思い、すみません、と頭を下げた。
しかし、リヒトの怒りの矛先はリーンではなくジャンだった。リーンに優しい笑みでご自由にお使いください、と言うリヒトだったが、ジャンに向けられたのは怖い笑顔だった。後で執務室に、と言われたジャンだったがリヒトのその笑顔に負けず劣らずの凍えるような笑顔で返し、リーンはそれをただただ見ている事になり、数分間その攻防を見ているうちに疲れて寝てしまったのだった。
リヒトもジャン達私兵もリーンが女神だと知っている。しかし、女神だと言う事はさておき、その好意は孫や娘、兄弟に対する意味合いが強くなっているのは否めない。




