転移魔法陣
お昼の鐘がなる少し前に目的地へ到着した。
「ここより先に進めば王城に繋がる扉があります」
リーンの発言にジャンが驚く。
やはり【オリハルコン】の団長であるポールはこの事を知っていた様だ。敢えて口にする事は無かったかも知れないが、ジャンが口を滑らせる可能性は詰んでおきたかった。
何故ならこの地下道を使えば王城まで誰の目にも留まらず侵入することが出来るからだ。
「リーン、ここはどこに繋がっている」
ポールの真剣な声にジャンは唾を飲み込む。
「ここは噴水広場の地下にあたるところです。あの噴水の水はエンダ水と謳われているのはご存知の筈」
「噴水広場と繋がっている…でも、行き来はできないはずですが…」
ジャンが言う通り普通なら行き来はできない。
「ジャン様、ではどうやって噴水の水は地上へ送られているのでしょうか?」
ジャンはリーンの質問に答えられず口を固く結んで押し黙った。
「確か、水を吸い上げる大きな魔石が噴水の先端に置かれていて…そこから出てたはずだが…まさか!」
「はい、そのまさかです。その魔石の大きさは持ち上げられるくらいの大きさです」
そんなことが…とおどろきを隠せない2人。
「でも、人目があるはずです!ここは帝都、夜だって噴水広場の周りは人通りも少なからずありますよ!!ましてや息も出来ない水の中に押し込むなど…出来るはずは…」
「そうか、転移魔法…」
リーンは笑顔で頷いた。流石は侯爵と言った所だろう。
「て、転移魔法…って聖王国の秘伝ではありませんか…」
「そうです、転移先を直接噴水の管の中にすれば何も毎回魔法石を持ち上げずとも水の中を通って地下へ行けます。魔法石を動かすのは一度だけでいいのです。転移魔法陣を設置さえ出来れば、この噴水の魔法石は水だけを吸い上げる仕様なので人は吸い上げませんからそのまま川に流されて国の外に」
どう考えてもバカの発想だ。でも、この帝都から誰の目も触れずに出ることは不可能。
「帝都に王の手によって張られている結界からもこれなら潜れる、という事か」
ポールが言う結界とはこの地下道の不可侵魔法と同じく、帝国全体に皇帝が張っている結界のことだ。
この帝都をすっぽりと覆うドーム状の結界は侵入者や密入国者また、中の人間が門以外から出ようとすると一様に結界に弾かれてしまい入る事も出る事もできない皇家秘伝の魔法。
「そうか、一度だけなら工事業者などに扮装すれば良い…」
「この方法を使えば、不可侵の魔法に触れず、更には誰の目にも触れず女子供を外に出せるわけだ。確かにこれでは奴を捕まえられない。しかし、何故直接帝都の外に転移させないのだ」
「転移魔法は聖王国の秘伝ですから知らないのも無理はありません。簡単に言うと転移といっても消えて無くなる訳ではありません。どちらかと言えば早く移動しているようなものですから、結界は通れません」
秘伝なのに、何故…とジャンが言い掛けたが、すぐハッとして口を噤んだ。魔法と言えども万能ではないのだ。出来ない事も勿論ある。だからこそ、不可侵領域とされる地下に行く抜け道もあるのだ。
「転移魔法陣を移動させましょう。そろそろ転移してくるはずですから」
この情報はジャンから貰ったものだ。
予め仲の良い門番にチベット商会の者が出国したら出入国確認の際に馬車の大きさに対して積荷の量に差がないかを調べて貰っていた。
普通の商会や商人ならその街で物を売り、その売上でまた商品を仕入れて馬車を一杯にしたら、また次の街へ商品を売る。それなのに積荷が少ないのならば、その馬車は魔法陣を潜った人達を回収する為のものである可能性があると踏んたから。そしてその馬車を抑える必要があるからだ。これからその馬車が“商品”を回収し損ねれば確実にトットに連絡がいく。
今はまだトットに此方の計画を知られるわけには行かない。
「移動、なんてお前に出来るのか?」
「いいえ、出来ません」
リーンはこの数日間トット・チベットを神示を使って徹底的に調べていた。その過程で転移魔法の情報を得た。リーンは魔法の存在を知ってからというもの自分でも魔法が使えるか実験をして、リーンは久しぶりの子供の頃のようなワクワクを思い出していた。
しかし、魔法は全く使えなかった。問題なく使える方がおかしいのだが、何せ神示のおかげで魔法の知識も神レベルなのに何も出来ないのが悔しかった。
魔法を練習しているとジャンが扉の前で行ったり来たりしている事に気づき、リーンは実験を終了せざるを得なかった。
不貞腐れ気味なリーンにジャン達兵士はこの数日間散々悩まされたのは言うまでもない。
「移動はお願いします」
リーンは手を掲げながらポールに言った。それに対してジャンもポールも無言だ。
「何をすれば良い」
「魔法陣は紙のようなものに書かれていて剥がせば移動も出来ます。ギリギリ手が届くので管に手を突っ込んで下さい」
リーンの言葉を聞くや否、ポールは大きなため息をついた。水の中に入るなら先に言っといてくれ、とポールが思ったのは言うまでもない。濡れる前提の服装ではないのだ。
「それは私でもよろしいですか?」
ジャンが言う。ジャンからすればポールは貴族抜けしたとは言え目上の存在なのは間違いない。決してジャンも濡れる前提の服装ではないがそう言う仕事なら、と買って出てくれた。
リーンからすればどちらでも構わなかったので承諾の意味で頷く。ずぶ濡れながらあっさりと剥がされ、ジャンの手に収まっている魔法陣の紙をポールはチラリと覗いたが、今までに見たこともない程複雑すぎたので解読する事は諦めた。
3人はすぐに店の食料庫の手前の地下室まで戻った。
その間、魔法陣をグランドール家に持って行って転移して来た人をそこで直接出迎えれば、と何度もポールが主張したがリーンは全て却下した。
何故なら時間がないからだ。転移先が貴族の家と分かるや否や女性達が恐怖するのは目に見えているし、ましてや何人転移してくるかわからない状況では移動中の馬車の中では対応できない可能性もあるからだ。
地下室にはリーンに言われた通りお湯を張った大きな桶と綺麗な布を用意して待っていたニーニャとアーニャの姿があった。
ジャンに魔法陣を床へ置くようにお願いする。
「あとは転移されてくるのを待つだけです」
正午を知らせる鐘が鳴る。鐘が鳴ると同時に魔法陣が激しい光を放ち始めた。
「リーン、これは…」
リーンが小さく頷く。それを見たポールとジャン、その後ろで見守るニーニャとアーニャも生唾を飲んだ。
光が落ち着くと同時にガタンッと床に物が落ちる音を鳴らす。
「あ、あ、ぁ…」
物音の正体の人物は此方を見て声が発せない程カタカタと全身を震えさせている。
「大丈夫落ち着いて下さい。私達は人攫いからあなたを取り返したのです」
「大丈夫ですよ。もう大丈夫です」
ニーニャがしゃがみ込み優しく女性を抱きしめる。ニーニャより少し年上風な若い女性。囚われてから何日もちゃんとした世話をして貰っていなかったであろう風体だ。
髪はボサボサで何日も洗われず、泥だらけの服。暗がりにいた為か少し目は虚ろで、身体は痩せ細り目も窪んでいる。
手足は縛られていた。国外に出るまでに岸に上がられたりしないようにだろうが、これなら多分泳げずに死ぬ可能性もあっただろう。
トットがこの店を欲しがった理由もこれでハッキリする。
「大丈夫だよ」
「安心してね」
後ろからアーニャがお湯を含ませた布で優しく顔を拭いてやる。2人の献身的な対応に少女の少し震えが治まった。
「あ、あの!他の子はどうなるのでしょうか!!私の他にも拐われた子達が急に牢から連れ出されて変な部屋に押し込まれたんです!!!」
「大丈夫です。落ち着いて。あなたの他に何人いたか分かりますか?」
「わ、私の他に大人が3人ほど、子供が2人だったと思います」
その答えにリーンは少し微笑み、皆さんここに来ますよ、と言うと女性も安心したのかアーニャと共に布で身体を吹き始めた。
それからは同じ事を何度も繰り返した。皆一様に始めこそ身体を震わせ怖がっていたが、ニーニャとアーニャの献身的なサポートにより安心して貰えたようだ。
「彼女達はこれから安全確保の為、計画が終わるまでは私の屋敷で預かる。それで良いな、リーン」
「えぇ、それで構いません。囚われていた子達はみんな同じ牢に入れられていたようなので、もし作戦中に同じように転移してきても今度は彼女達が居るので事情の説明は出来るでしょう。この後下流の川で待機している者達の方もお願いしますね」
リーンは床の魔法陣が記されている紙を渡し、ポールは受け取りつつ軽く頷き、任せておけ、と言って住居用の裏口から颯爽と外へ出て行った。
「リーン様、出来ればこの後主人、リヒト様にお会いになっていただきたいのですが、御足労頂けませんか?」
ジャンの問いにリーンは頷いた。リヒト達には今回の計画について大した説明もせずに協力をして貰っていたので、確かに説明は必要だな、と少し申し訳ない気持ちとそんな中でも協力してくれた事に感謝の気持ちでいっぱいになった。