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小人の庭  作者: 百物語屋
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開闢の巨人




何処までも突き抜けるような瑠璃蒼色の空が広がり、キャンパスを彩る様に真白な雲が伸々と漂っている。自由に手足を散らし、身体を変えてゆく様は、何者にも囚われない放浪者のようで、地に足着くもの達には決して真似できず、羨望の眼差しで見つめる他ない。

時折、ふうっと通り抜けてゆく風の仕業か千変の如く形を変えてゆく姿に美しさを感じる。

気候が比較的穏やかな地域にあるこの森は、嵐や寒波などの被害はなく、遥か昔から生息する老樹や新参者の若芽達が思い思いに身体を伸ばし愛しの陽に向かって背伸びをしている、そして愛する者に見て欲しいとそれぞれの色を個性として主張していて、新緑色が見渡す限りに広がっている。

空から見下ろせば、小説の中でしか描かれない緑の大海がそこに作り出されているように見えるだろう。この広大な森の景観と、大空が出す輝きを放っている蒼色が一つの絵画のようで、その壮大で美しい様に思わず時間を忘れて魅入ってしまいそうだ。



ここ数日珍しく天候が崩れたため、空には見るものを憂鬱にさせる仄暗いグレーの雨雲が覆っていて、雨粒一つ一つが矢の如く暴力的な雨が森の住人達を襲い降り注いでいたが、朝、森がまだ静けさに包まれている時から顔を出した太陽は、何者にも遮られる事なく自分こそが今日一日の主役なのだというように陽光を照らし出す。

すると遥か彼方の白化粧をした山脈から差す朝焼けの日差しに、身体を照らされた隣人達は暖かな陽気を感じ微睡みから目覚める、小鳥達も恵みの光に喜び羽を広げると、巣穴から出て来て番いと共に飛び立つ。

久方ぶりの太陽の恵みを味わうように宙空を伸び伸びと羽を伸ばし、恋人に寄り添い愛を囁いている声や、牝鹿と子鹿がまだぬかるむ地をしっかり両の脚を使い朝餉を探している。森の中に生活の音が戻り、それぞれの一日の始まりを知らせる鼓動が、静かであった森の彼方此方で広がり、ささやかな演奏会のようであった。





「……はぁ」


そんな光差す楽園のような楽しげな雰囲気の中、場違いに似合わない異常な程の負のオーラを纏わせた異物が一つ、周りの木々達も影響を受けて心なしか憂鬱気に映る。まるでその場所だけが異界であり、空間が断裂されたように孤立して森に鎮座していた。



人の男であった。

緑の海が支配するこの森の中で、迷彩色ただ一色に整えられたこの男の服装は、本来ならば森の枝葉、土くれ等の保護色となって外敵から身を隠す為に役立つものであったが、今現在一ミリの役にも立っていなかった。

それどころか、男は森の中で一際目を引いていたのだった。





「……くそっ…‼︎ 」

なんなんだよ、本当によぉ。訳分からねぇんだよ!



男は行く当てのない己の感情を抑えきれず、息荒く拳を握りこむと、鬱憤を晴らすかのように地面へと振り下ろす。

しかし、力を奮ったとしてもそれで現状が好転するわけもなく、代わりに得たものは、拳に馳しる鈍い痛みと湿り気を含んだ土の感触だけだった。

男は痛みが大きかったのに驚き目を見開くと、思いの外力を込めすぎていたと気づく。同時に知らずのうちに全身に張っていた緊張を解くために、鼻から荒く空気を抜いた。



澄んだ大自然の空気を目一杯肺に取り込み、味わうようにゆっくりと吐きだす。

気温が若干低いためか、冷たい空気で満たされると頭に昇った血が降りてきて、先程までの鬱憤とした気分が和らいだ気がした。



醒めた頭で改めて森に目を向けると、先程の暴虐の影響を受け止めた結果がそこにはあった。

自らが力を込めた拳を振り下ろした地面は、表層の黒く湿った土が吹き飛び、乾いた黄土色がかった顔が覗いていた。

深層に隠れていたであろう大岩の頭も飛び出ている。

青々と深緑色の枝葉を伸ばし、生を享受していた木々は跡形も無く吹き飛ぶか、形を残すことなく地面に潰れ、最早面影もない。

ちょっと前まで離れた位置から、此方を遠巻きに伺うように、食事を愉しんでいた森の住人達も、今や木々の間から姿は見えず居なくなっていた。


恐らくは自分の憂さ晴らしの暴力に、驚き慌てふためいて遠くに避難したのだろう。

暫くは警戒してこの辺りに、身を寄せる事は無いのではないだろうか。

気づくと小鳥達のコンサートも聞こえなくなっていた。



そう考えると大切なリラックスタイムを台無しにして、自分本位な自然破壊をした事にほんの少し申し訳なく思ってしまう。

誰が見てるわけでもないのに責められてるような気がして、空気が抜ける様な小さな声で謝罪の言葉と会釈程度に頭を下げたのだった。



己の拳より数周り大きく歪んだ地面と睨めっこしていた顔を見上げると、風に攫われた雲が形を変えて大空を漂っていた。


「…空は青いし、太陽はひとつだけなんだなぁ」


住み慣れ当然の様に生活していた今迄の世界と、真新しく何も知らない此方の世界とで環境に余り差異がない事に安堵し、小さな息を吐く。



男は鎮座しているだけで、まだ世界が変わったとは確認していないため、断定は出来ない。

まぁ世界が変わっていないのだとしたら、男の身体が息をつくまでもない程の一瞬で変化したという事になってしまうのだが。

その可能性も希望として宝箱の中に納めておく事にしよう。



改めて己の拳を見ると手を地面に打ち付けた為か、黒く湿った土が付いていた。恐らくは座っている尻にも同じ様にこびり付いているはずだ。

男は汚れに顔をしかめると、ひとまず立ち上がり、身体についた土を払った。

払った土は雨となって木々の頭を揺さぶる。



自分の手は何も変わってはいない、グローブ越しに感じる人差し指の先っちょにあるささくれの痛みも、昨日と変わらず其処に在る。

恐らく変わったのは自分の存在規模だ。

その考えが心の中で燻っていた負の感情を再燃させた。

罰が当たる様なこともした事ないのに突発的に巻き込まれた理不尽に不安・恐怖・鬱憤という感情を混ぜ込んだ、なんとも言えない表情を男は顔に貼り付けた。



神隠し、天変地異、空想世界、そんな事が一気に脳の中を駆け巡り考えがまとまらない頭の中は混沌としていて、今は誰かとちゃんとした会話は出来そうにない。だから口から出たのは、男の魂の言葉なのかもしれない。



「ど、どうすりゃいいんだ…」


自分の膝にも届かない高さの足元の木々を見ながら、恐らくはこの世界で最も巨大な小山の様な男は、これから先の未来の不安に、呟く。




その呟きは聞き手の居ないままに静寂な森の中に溶けていったのだった。










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