03
「サラ、おめでと」
淡い水色の髪を揺らして、台所に現われた美少女はお師匠様の娘であるリーヴァだ。
十代後半の美しい少女の姿をしている彼女だが、実は200年以上生きているのだという。
無表情で、ん。と綺麗に紙に包まれた箱を突き出す様子から、どうやらこれは私への誕生日プレゼントらしい。
「わあ、いいの?ありがとう、リーヴァ!」
こくりと頷いて少し照れくさそうに目元を染めるリーヴァに激しくときめきながら、なんだろうと箱を開けてみる。
中にはゴスロリのようなデザインの黒い服と同じく黒いブーツと手袋といった一式が入っていた。
すごく可愛い、すごく可愛いのだが、これ平凡顔の私には似合わない気がする…。
まあ、上に魔女のローブを着るから人には見えないし、色んな魔法も付加されてて助かるからありがたく着ますが…。明らかに服に負けているけどね…。
「すごく可愛い…けど、これどうしたの?もしかしてリーヴァが作ってくれたの?」
「ん。誕生日と、高位魔女の、お祝い。ローブ、母上渡すから、魔女服」
これ魔女服だったのか…。
高位魔女となったら証としてお師匠様からローブが授けられることは知っていたが、魔女服があることは知らなかった。
私のためにわざわざ作ってくれたリーヴァの優しさに、思わず魔女服を抱きしめる。
明日にはもう別れなければいけないことを思い出して涙が溢れそうになった。
そう、今日で私は10歳になる。
先日ようやく高位魔女として認められた私は明日から5年ほど旅に出なければいけない。
たかが5年でおおげさな、と思うかもしれないが、限られた狭い世界で10年のほとんどを生きてきた私にとって外の世界は未知で溢れ、守護者に見つかるかもしれないという不安から恐ろしい世界として映っている。
何よりお師匠様やリーヴァ、母といったこの愛しい人達に5年も会えないことが寂しくてつらい。
「サラ、泣き虫」
必死で泣くのを堪える私にリーヴァは困ったように少し眉を寄せるとぎこちなく頭を撫でた。
何の表情も浮かんでいない顔に反して揺れるその瞳が寂しいと訴えてきて余計に涙が溢れそうになる。
そんな時、バサリと何かが被せられ視界が暗く閉ざされた。
同時に、呆れたようなお師匠様の声が聞こえ、慌てて被せられたものをはぎ取る。
「相変わらずの泣き虫で、困った子ね。リーヴァと違ってサラは感情に敏感すぎるわ…。今からでもそのローブ返してもらったほうがいいかしら?」
「そ、それだけはご勘弁を…!って…これ、私のローブ…?」
折角高位魔女として認められたのに取り消されてはかなわないと、涙が引っ込んだ私はお師匠様の言葉に自分が持っているものがその証のローブであることに初めて気づいた。
漆黒の布地に銀糸でところどころ繊細に装飾されたローブは美しく、背中の部分を見るとお師匠様のものではない紋章が刻まれている。
私の、高位魔女としての紋章だ…。
ローブを掲げるようして眺め、呆けたように、わたしのもんしょう…と呟く姿に、お師匠様はやれやれと肩を竦めるともう一つの証であるブローチを渡してきた。
純銀と魔晶石と呼ばれる希少な魔石で作られたそのブローチは実に美しく、その漂う高級感に思わず姿勢を正して両手で受け取る。
中央に飾られた蒼い魔晶石にははっきりと西の柱の魔女であるお師匠様の紋章が刻まれているのが見え、緊張で手が震えた。
だってこれ、柱の魔女の魔力で作られた魔石なのだ。
下手すれば小さい国が一つ買えるぐらいの価値がある代物に、冷や汗がでてきた。
「馬鹿ね、魔法具なんだから壊れるわけないじゃないの。ぷるぷる震えてないでさっさと魔力登録しなさい」
「は、はい!」
お師匠様の言葉に覚悟を決めて、親指をナイフで切ると血を魔石に落として魔力を込める。
すると一度淡く光り、銀や金の光の粒が魔石からこぼれ出す。
こうして血と魔力を登録することで、他の者は触れられなくなるため、奪われる心配がなくなるのだ。
しっかりと登録できたことを確認すると、お師匠様は頷き、真剣な表情を浮かべ口を開く。
「これでサラは正式に高位魔女となったわ。そのブローチはサラの高位魔女としての身分を保証する大事な証となるから、常にローブにつけておくように。私が後見となっている意味合いも含まれているから恥をかかせるようなことすんじゃないわよ?」
「ぜ、善処します…」
「はぁ…不安だわ……。とりあえず16歳の誕生日を迎えるあたりに戻ってきなさい。それまでは守護者達に見つからないように静かに過ごすこと。絶対にローブの中の姿を見られないようにしなさい。どこで誰からあんたが祝福もちであることがばれるかわからないんだから」
「はい、お師匠様。フードは死ぬ気で守ります!」
握り拳を掲げて殊勝な返事をする私に満足げに頷くと、お師匠様は言葉を続ける。
「よろしい。そのために色々と魔法を付加してあるんだから頑張りなさい。それと各国の城にはなるべく行かないようにしてちょうだい。敵の総本山であると同時に、城には強力な魔法妨害の結界が張られていることが多いからフードを固定している時魔法とか簡単なものは効かなくなることがあるわ。それを常に念頭において行動すること。いいわね?」
「了解です!」
ビシィッと効果音が付きそうな速さで敬礼した私を、横で見ていたリーヴァがつつく。
「サラ、焦げ臭い」
「っは!しまった、ケーキがあああ!!」
リーヴァの指摘に、そういえば誕生会の準備途中だったことを思い出し、オーブンに掛けっぱなしのケーキが焦げ始めているだろう匂いに慌てて蓋を開ける。
「あらやだ。今日でサラのケーキが食べ納めになるんだからしっかりしてちょうだい」
「明日から、5年、我慢…」
そもそも誕生会の準備を主役である私がしているのおかしくないでしょうか…?
いやもう慣れたけど…。
実際、自分で作ったほうが美味しいから納得はしてるんだけどなんか腑に落ちないのは何故だろう…。
夜になり、準備がようやく整うと、お師匠様は私の母を連れてきた。
陽気で普段は明るい表情しか浮かべない優しい母は、私を見るなりそのヘーゼル色の目に涙を浮かべて思い切り抱きしめてきた。
「ああ、サラ…。貴女ももう10歳になったのね…。まだこんなに小さいのに…。貴女をこんな呪われた姿で産んでしまった母さんを許してちょうだい…」
涙を堪えながら震える声で懺悔する母は、いつもの快活な面影はなく、酷く後悔しているような面持ちで私を抱きしめる腕に力を込めた。
母はしばらく会えなくなることで今まで抱えていた気持ちが溢れてしまったようだった。
転生してきてしまった私が悪いだけで、母さんは何も悪くないのに。
私が小柄なのも前世の姿をしているからで、特に体調に問題はないのだが、私の姿を見たことがない母にはかなりか弱く映っているようだ。
つい、母の感情に釣られてまた泣きそうになるが、お師匠様の突き刺さるような視線を感じでぐっと堪える。
高位魔女として一人前と認められたからには、もう簡単に泣くわけにはいかない。
そっと母の背に腕を回して静かに口を開く。
「お母さん、私、お母さんに産んでもらえて幸せだよ。こんなにも愛してくれるお母さんが私のお母さんでよかった。見た事もない私のお墓を作ってくれた優しいお姉ちゃんも、可愛いって評判の妹も私の自慢なんだ。私に、素敵な家族をくれてありがとう。…私を、お母さんの娘に産んでくれてありがとう」
前世では照れくさくて決して口にしなかった感謝の気持ちを母に伝える。
転生してから何度も前世のことを思い出しては後悔していた。
けれどいくら後悔しても、もう取り返しがつかない。
伝えたかった気持ちはもう二度と届くことはない。
だから、今世ではもう後悔しないように生きようと決めた。
前世の家族の分まで込めて、母に感謝すると、母は耐え切れなくなったのか嗚咽をもらして泣き始めた。
落ち着くまで抱き合っていたが、やがて、「私もサラが生まれて来てくれて幸せよ。私の自慢の娘だわ。私を母に選んでくれてありがとう」と鼻をすすりながら笑った母に若干泣いてしまったが、しんみりした空気を飛ばすために私は母から離れて着ている魔女のローブを見せるようにくるりと回った。
「見てお母さん。私お師匠様にちゃんと高位魔女として認められたの!この背中の紋章が私の紋章になるんだよ!」
「あらまあ、素敵ね。この子をこんなに立派にしてもらって…本当に、レインシュテール様には感謝してもしきれません…」
はしゃぐ私を微笑ましそうにくすりと笑うと母はお師匠様に向かって頭を下げた。
「…いいのよ、そんなに気にしないでちょうだい。サラは私にとっても弟子であり娘のようなものなのだから。それよりも早く始めましょ、折角の料理が冷めるわ」
そう言って席に着いたお師匠様に同意するようにリーヴァもこくりと頷いて席についた。
妙に食い意地の張っている人外の魔女二人に私と母は目を合わせると思わず噴き出した。
「相変わらずサラの料理は美味しいわね。このケーキだって王都のどんな高級店にもないわよ!」
うっとりと食後のデザートであるバースデーケーキをフォークでつつく母にリーヴァが静かに頷く。
実はこの世界、生クリームを使ったショートケーキなどの菓子が存在しない。
ケーキといえばパウンドケーキやカップケーキなどのスポンジケーキであり、祝い事の際に食べるのはパイやタルトなどのお菓子だ。
ポタージュなどの料理には普通に使われているし、チョコレートやアイスクリームといった菓子は普通にあるのに何故か生クリームを泡立てた菓子類が存在していなかったのである。謎だ。
私の記憶を覗いたお師匠様が私の料理のスキルが上達した頃を見計らって作ってみろと言ってきたので、色々と作ってみたらお師匠様もリーヴァも見事に気に入り、以降おやつの時間に毎日作らされた。
おかげでめきめきと腕が上達し、今では本場フランスで修業を積んだパティシエにも劣らないと自負するまでになった。
実は密かに旅の途中金銭に困ったらこれを売ろうとか考えてたりする。
ケーキを食べ終えた頃、母は困ったように微笑みながら小さい包み紙を渡してきた。
私は誕生日プレゼントだと思われるその包み紙を受け取り、うきうきと開けてみる。
中には可愛らしい花の飾りが彫られた木の櫛が入っていた。
「レインシュテール様やリーヴァ様から素敵なものを戴いたあとで悪いんだけど…よかったら使ってちょうだいね」
お師匠様とリーヴァから貰った高そうなプレゼントと見劣りするのが気になるのか少しばつが悪そうにつげる母にそんなことない、と首を振る。
ところどころ歪に彫られた模様から恐らく母の手作りであることが窺えて涙腺が緩くなるのがわかる。
前世では考えられないほどに、本当に泣き虫になってしまった。
それはきっと一度死んだことで、周囲の人達の大切さがよくわかったから。
「とっても嬉しい。ありがとうお母さん」
「ふふ…どういたしまて」
和やかに母と笑い合う私に、紅茶を啜っていた師匠がおもむろにアイコンタクトを送ってきた。
それに気づき、重要なことを思い出した私はおずおずと母に切り出した。
「あの、お母さんにお願いがあるんだけど…」
「え?サラが頼み事なんて珍しいわね、何かしら?」
「実は、お母さんの声を借りたくて…」
「…?どういうこと?」
わけがわからないという表情を浮かべる母に事情を説明する。
実は高位魔女と認められるのに普通は数十年を要するため、一人前になる頃には皆老婆になってしまうのだ。
それ故、世間の認識では高位魔女=老婆となっており、そんな中に10歳ほどの少女が高位魔女として現われれば非常に目立つし、恐らく噂にもなる。
目立てば守護者達に見つかる危険性が高まるため、守護者達の目を眩ませると言う意味でも、私は歳を誤魔化すことにした。
見た目はローブでほとんどわからないし、小柄な身長や、小さい手足など露出する部分は上げ底をしたり、包帯を巻いてその上から手袋をするなどの物理的な方法でなんとかなるが、声だけはそうはいかない。喋るとどうあっても少女の声だと分かってしまうため、他の誰かの声が必要になる。
変声魔法で直接変える事もできるが、万が一城になど入ってしまうと確実に消えてしまうため変声用の魔法具を作り、それに誰かの声を登録して、その声を媒体として使うことにしたのだ。
幸い、母ぐらいの年代であれば、相当優秀だとは思われるだろうが、過去にいないことはないのでそこまで目立たないはずだ。
母は、この手に刻まれた紋章が祝福の印だと知らず、呪いだと思っているので、守護者云々は告げずに、幼子が一人で旅をすると無駄な危険を増やすからという感じでかいつまんで説明し了承してもらった。
早速懐から黒い皮ひもで結ばれた紅い魔石のペンダントを取り出し、母に渡す。
「これに話しかければいいのね?」
「うん、一言でいいから、お願いします」
少し考えるような仕草を見せた母だったが、何かを思いついたように私へ向いた。
「これって登録するって言ってたけど、登録するのは声だけ?言葉を入れて後から聞く事はできるの?」
母の鋭い質問に少し驚きながらも頷いて肯定する。
…実は寂しくなったらあとでこっそり聞こうとか思ってた。
そんな私の思惑を見抜いたようで、母は満面の笑みを浮かべてペンダントに言葉を込める。
「いつまでも、愛しているわ。私の可愛いサラ」
…今度こそ泣いた。