第8話 サウガリアの姫
ガチャリ。暗い廊下に立つ女性はシルエットしか見えないが、その服は部屋の明かりを受けて、キラキラと光っていた。
「お邪魔するわ。にぎやかそうね、暁姫」
入ってきたのは、背が高く細身ながら堂々とした少女だった。腰まであるカールした金髪が派手な顔つきを一層華やかにしている。なぜか白衣ではなく、鮮やかなピンク色のナース服だった。
騎士団の制服というのは、決まりはあるのだが、例えばリリィはスカートを太ももが丸見えの動きやすそうなホットパンツに、鈴里はスタイルの良さが分かるタイトスカートにと、それぞれ個性に合わせて形を改造している。ところが、この少女のピンクの制服は、生地からして完全なオリジナルのようだ。ふわふわとした起毛の布は、ラメが入っており、光を反射しているのだ。
トキはこの少女の顔をうっすらと覚えているのだが、酔いも手伝って思い出せない。その隣でリリィが「けっ」と言いながら、露骨に不快な表情を出してワインを飲み干した。
「うるさくしてごめんなさい。初めまして、暁トキです」
「あら、暁姫。初めてだなんて冷たくはありませんか。わたくしはアマリア・サウガリア。サウガリア公国の公女、アマリアですわよ。小さいころによく遊んだ仲ではないですか」
それを聞いて、トキはようやく思い出した。帝国南部と国境を接する農業国を統治するサウガリア公の三女。トキより三つ年上だったはずだ。
初等学校までは時々、カスカバラの宮殿に遊びにきて、年下のトキをまるで家来のように扱った。実際のところ、カスカバラの王家とサウガリアの公家では、格はトキのほうがずっと上だったのだが。彼女の個性だったのだろう。
「あっ。お久しぶりです、アマリア姫」
酔いが完全にひいたトキはあらためて丁寧にお辞儀した。
それに驚いたのは、リリィだった。
「な、なんだよ、トキ? お前、このいけ好かない筆頭中の筆頭の、この女と知り合いなのか?」と、目を見開いて問い詰めた。
「あら、リリィとやら。暁姫を知らないの? 栄光なるカスカバラ神国の皇女、暁トキ姫を。全く貧民あがりの騎士は常識を知らないで恥ずかしいわ。ほほほ」
「えっ!」
驚きと屈辱でリリィの顔は真っ赤になっていった。それを知ってか知らずか、アマリアはなおも続けた。
「おかしな人事でしたわ。本来は暁姫のような高貴な方は漏れなく第一内科に配属されるはずなのですが。なにか手違いがあったのかと、わたくしたち心配しておりましたのよ。それで、第一内科を代表してわたくしが暁さんと一緒に団長に抗議へ出向こうかと参りましたの。さあ暁姫、行きましょう」
「えっ、えっ?」アマリアに手を握られたトキは動揺した。
リリィは立ち上がると「トキ! お前、お前、あたいを騙したな。ふざけるな」と涙声で捨て台詞を吐いて部屋から出ていこうとした。その肩をぐっと抑えたのが土方だった。
「アマリアさん。トキは私たち仲間です。生まれと騎士の所属にはなんの関係もありません。彼女はいい騎士になります。そして彼女自身も私たちとともに務めを果たすことを望んでいるのです。そうだよね、トキ?」
優しくも鋭い視線を土方はトキに投げかけた。
「は、はい。そうです。私はここで働きたい。この仲間と一緒にいたいんです」
トキはきっぱりと答え、アマリアの手を静かに外した。
思わぬトキの反抗にアマリアは少し眉を寄せながら言った。
「そうなの、暁姫、いえ暁さん。御自身がそうおっしゃるならかまいませんけど、思いなおしたら副団長に相談なすったほうがよろしくてよ。ではみなさん、おやすみなさい」
アマリア・サウガリアはくるりとトキたちに背を向けて出て行った。
部屋に残った四人に静寂の時間が流れた。しばらくして、「あたいはもう寝るよ。じゃあね」とリリィは肩にかかったままの土方の手を静かに外すと、トキとは目を合わさずに部屋から消えた。声は震えたままだった。
◇
同じ頃。団長室に向かって小走りにブーツの足音を立てながら、小太りの中年男がやってきた。真夜中にも関わらず、いつものように扉の前の机にはミーチャイが座っており、静かに男に向かって頭を下げた。男は息を切らしながら声をかけた。
「ミーチャイ君。団長はおられるかね?」
ミーチャイは相変わらず表情も変えずに「先ほどからお待ちです」と言うと、団長室の扉を開いて、中に引き入れた。
「団長、百太サウガリア副団長がお見えです」
「やあ、副団長。こんな遅くにどうしたのです。御用件はなんだね」
サウガリア公国の公王の弟、つまりアマリアの叔父である、副団長は勧められたソファーに座りもせずにまくしたてた。
「なにがじゃないでしょう。今日入団した暁姫のことですよ!」
「なにか問題がありましたか? 第七内科への辞令はきちんと出しておきましたが」
「私が留守にした時の伝言で、暁姫は第一内科へとお伝えしていたはずです。知らなかったとは言わせませんよ、団長! まして、よりによってあの土方愚連隊とは。連中は王族に対しても敬意を払わないやつらですぞ」
「ええ、伝言のことは知っていましたよしかし、人事はあくまで団長の権限です。彼女はねえ、非常に才能があります。ただ、今はまだ心が鍛えられていない。第一内科で甘やかされてはいけない。彼女を一人前の輝石術師にする。それは彼女の祖父との約束でもあるのです」
「ま、正宗殿との約束ですか……。それは失礼いたしました」
カスカバラ神国の前国王の名前を出されては、副団長も引き下がるしかなかった。