最終章 旅のはじまり
その日の夜、同盟軍の先鋒が流星騎士団へ到着した。軍を率いていたのは、カスカバラ神国の代王。トキの姉ヌナカワ姫だ。戦場を巡視したヌナカワ姫は、冷たくなったトキがベッドに横たわる病室に集まったリリィやスキピオたちの前に立った。
「術によって凍った人たちは助けることができます。術に巻き込まれた味方も、そして帝国軍も助かるでしょう」
ほーっと安堵のため息が漏れた。
「じゃあ、トキも助かるんだよね。トキのねえさん」リリィが真っ先に口を開いた。しかし、ヌナカワ姫は首を振った。
「いいえ、残念ながら術を放った妹の心臓はもう」
「そんな」
「輝石術師として多くの命を救ったのです。仕方ありません」姉は涙を流した。
「うそだろ! トキ起きろよ!」トキの胸につっぷして泣き叫ぶリリィ。しばらく胸から動かない。
スキピオがそっとリリィの肩を叩いた。「信じたくないが、これが戦争なんだ・・・うん?」
振り向いたリリィは涙をボロボロ流しながらにやーと笑いかけた。
「ど、どうしたんだ?」
「お、音が! 心臓の音が聞こえるんだよ!」
「まさか?!」ヌナカワ姫があわててリリィをおしのけてトキの胸に顔をうずめた。
「ほ、本当だわ。信じられない!」ヌナカワ姫ががばっとトキの胸の服を引きちぎると、左の胸の上に赤い宝石がじんわりとした熱とともに輝いていた。「これは・・・。滅亡したスガット王家の秘宝、レッドドラゴンズアイ」
「命の炎を石に宿すという伝説の輝石」スキピオがつぶやいた。
「なんの伝説か奇跡か知らないけど、トキは助かるんだよね」
緑色の翡翠のような緑色の瞳を潤ませたヌナカワ姫とスキピオがうなずくと、リリィは「やったー!」と拳を天空に突き上げた。
◇
氷の先に水滴がクリスタルの輝きをためては、ぽとんぽとんと床に落ちる。主を失った団長室に、ずらりと四体の氷像が並んでいた。青竜刀を手に仁王立ちしている罪、レイピアを高々とかかげたアマリア、土方を胸に抱いた鈴里だ。
「かちんこちんに凍っているけど、本当に戻るのかな。スキピオ先生」リリィは尋ねた。
「カスカバラの緑の天子と言われるヌナカワ姫の輝石術はトキの比でない」
「ウラメウ、ウルイヒフネ……星と地の精霊よ。我に、そして我の同胞に力を」
凜とした高らかな術の声が響きわたった。部屋が一瞬で春のような暖かさになった。最初はポタリ、次にタラタラと氷像を囲む氷が解けていった。
「このまま氷にしておきたいくらいですね」いつの間にか現れたキルキル隊長がつぶやいた。「特に罪。プププ」
「確かに、これほどの芸術品は大陸中探してもないかもしれない」スキピオがにやりと笑った。
「ちょっと笑えないでしょう」リリィが頬をふくらます。
「おっ。その表情、トキに似ていますね」キルキルが頬をつついた。一転まじめな表情になり、「土方さんにつきましてはすぐに外科の手術に移る準備を終えています」と報告した。
「うん、あの腹の傷。凍っていなければまず助からなかっただろう。しかし、手術しても危ないんじゃないか」スキピオがいうと、キルキルは「この手術を100%こなせる外科医は騎士団にただ一人だけ」と表情をかためたまま答えた。
「じゃあ、その先生に任せれば安心なんだな」リリィは笑ったが、キルキルは黙って氷像に向かって指を指した。
「その外科医とは土方殿のことか。イメリアのご加護を祈るしかないですね」とスキピオは眉をひそめた。
◇
トキは診療ベットで目を覚ました。
――ここは? 第七内科のベッドだわ。とても静か。
団長、アッシュ、ミーチャイさん、戦争・・・すべて夢だったのかしら。
そうか、私仕事が忙しくて倒れちゃったのね。騎士団に来てから働きすぎたから。
もう少し、眠ろう・・・。
「はっ! そんなはずないわ」
トキはがばっと上半身を起きあがらせると、手を伸ばしてベッドのカーテンを開けた。そこには土方の医者用のイスがある。だれもいない。あわててベッドから降りようとして、足が動かない。
「おい、トキ! 大丈夫か」診療室の扉が開いた。
「リリィ! 生きていたのね!」
「当たり前の、不死身のリリノア様よ。いまちょっと食堂に食べ物をもらいにいってたんだ」
「うん、手足がまだ動きにくいけど、もう大丈夫よ。それより、団長さんが・・・」
――ああ、分かっている。リリィは黙ってうなずいた。
「それじゃあ、土方隊長は? 鈴里さんは? ほかのみんなは?」
「・・・それは・・・」頭を下げたままのリリィは言葉をつなげなかった。
がちゃり
扉のノブを回す音がした。空いた扉の隙間から花束がにゅっと出てきて、その後にスキピオが顔を出した。
「ええっ。スッキー! 生きていたのね!」
「ああ、あやうく、トキの冷気で死にそうになったけどね」
続いて姿を現したのは、緑の瞳を輝かしたヌナカワ姫だった。「お姉様! そうかお姉様が私を助けてくださったのね」
トキはその後に土方や鈴里が現れるのを期待したが、そうはならなかった。
「鈴里さん、土方さん・・・」
「なあにトキ」
「呼んだか」
トキのベッドの両脇のカーテンが同時にぱっと開いた。右のベッドには鈴里が、左には土方がいたのだ。
「二人とも無事だったのね!」トキの顔がぱっと輝いた。
「俺は腹にケガをしているんだ。抱きつくなら鈴里にしとけ」土方は指をふった。
「いらっしゃい」鈴里が手を広げるまもなく、トキは鈴里のベッドに飛び込んだ。
◇
「おっと。そのまま行けると思っているのか」
草も生えていない山頂付近の谷間に、土方の声が響いた。ハヤチナ山の山頂まであと五百メートルもない。山を越えれば帝国の領土だ。埃まみれの黒い軍服を着た十五人ほどの一団が声に反応して足を止め、あわただしく集まり、防御体勢を取った。
「土方先生は不死身ですか。自分の刀で腹を刺したと聞いたけど」
「詳しいな」土方は無意識に腹をさすった。
「まあね。でもあなたが本気で刺したなら生きてはいないだろうに、どうしてですか」
「名医が手術を成功させたのさ」
「騎士団に先生以上の外科医はいないと思いますが」ミーチャイが口を挟んだ。
「ああ、そうよ、ミーチャイ総司を救ったのは、トキのおじいちゃんよ」総司の後ろにいた鈴里が一歩前にでてこたえた。
「ああ、団長と同期の…。騎士団で名外科医だったカスカバラ前王の正宗殿……それなら納得ね」
「それより、ミーチャイ、答えなさい。なぜ騎士団を、五一団長を裏切ったの?」
「さあね。騎士団の友情だの、信頼だのが暑苦しかったのよ」
「そんなの、うそよ! アッシュ!ミーチャイさん!あなたたちは何者なの?」トキが叫んだ。
「・・・」
「アッシュも、ミーチャイさんも、大好きだったのに!」
「そんな個人的な感情が、人類規模の戦争を引き起こすんだよ」アッシュはトキから目をそらして言った。
「トキちゃん、悪いけど、私はアッシュと離れてはいけないの」
「くっ」トキは唇をかんだ。
「やめろ、ミーチャイ、行くぞ」アッシュはマントを翻して山頂へと歩こうとした。
「無駄だ、アッシュ、ミーチャイ。みてみろ。山頂にはサウガリアの騎士たちがすでに到着している。おまえたちは詰んだよ」。土方はいう。騎士たちがじりじりと囲みを狭めていった。土方は刀に手をかけた。
「あら、土方先生、あなたはアッシュに命を救われているのよ。ここは恩を返すときじゃなくて?」
「どういうことだ?」土方が刀から手をはなした。
「黙れ!早くするんだ」アッシュが怒りをあらわにすると、ミーチャイは肩をすくめ、両手を合わすと、胸がクンとふくらみ青く光りだした。
「トキちゃん、あなたの術には驚いたわ。あんな術が伝わっているなんてね。お礼に同じ思いをさせてあげる。蒼竜霧散!」
一瞬で周囲は青い光に包まれた。だが、トキはミーチャイの胸の輝きの異常に気づき、ほとんど同時に、視界を護る「未発境遮」の術を唱えた。
トキたちの目には、うごめく青い竜が映った。恐ろしい様相の竜は、アッシュたち帝国軍の一団を柔らかく包み込むと、瞬く間に空中へと飛翔した。
「矢を放て!」土方が命じると、多数の射撃手が弓矢を撃った。五、六人の竜騎士が空中からバラバラと落ちてきた。
青い竜は「ぐおーーー」と悲痛な叫びを上げながらさらに身体をよじりながらも、なお高く飛んだ。鈴里は鉄弓でミーチャイに狙いをつけ、放った。鈴里の矢は、ほかの矢を追い抜かして、目を見開いたミーチャイの顔にせまる。
そのとき、アッシュが左手を伸ばした。手のひらに矢が突き刺さる。
「ぐうっ」歯を食いしばったアッシュは矢速を越えるスピードで手のひらをとじ、矢をつかんだ。ミーチャイのみけんのあと数センチのところでかろうじて鏃がとまった。竜はそのまま一気に山頂を飛び越えて、姿を消した。
土方がいった。「山を越えるか。飛び散ったイメリアのご神体も探さなきゃいけないしな」
鈴里、リリィがうなずいた。トキは一度そでで目をぬぐった。「行きます。なにも知らないままではいられないから」
西からの風が山頂につもった雪を空へ吹きあげた。
(了)
これで終わりです。前半までは順調だったのですが、後半からは更新が遅くなってすみませんでした。お付き合いいただいた読者のみなさん!本当にありがとうございます!
志波城先生の次回作にご期待ください。トキたちの冒険は始まったばかりだ!ドン!ではでは笑




