第9話 開戦の合図
奇襲が失敗した兵たちを中に入れて、騎士団のイメリア城は門を堅く閉ざした。八年ぶりの籠城戦は時間の問題だ。
「りっちゃん、無事だったか」
フランフランは犬のように駆け寄り抱きしめようとする。が、リリィは無言でよけると、トキの前に立った。言葉が出ない。
「おかえり、リリィ」
「・・・・・・あぁ、トキ。すまねぇ」
うなだれたリリィの肩をトキはそっと抱いた。兵たちであふれる騎士団病院に暗い空気がまとった。だが、休息をとる暇はない。夜のとばりに、がちゃがちゃと甲冑がすれる音だけが鳴り響く。
城の前の平地には、夜明けとともに帝国軍がぞろぞろと入ってきた。もはや、その進攻を止めるものはない。
帝国軍は軍勢を北の城壁を攻める右翼、中央、南を攻める左翼の三つにわけた。城壁の上からは三本の蟻の列のように見える。だが、目をこらせば、その蟻たちは血を求める肉食獣たちであることが分かる。最初は線だった帝国兵の列はまたたくまに絨毯のように平地を埋めていった。昼すぎには、帝国軍の配備が終わった。楯でまもられた弓兵の後ろには、攻城戦用の大弓と投石機がずらりと並ぶ。
ドドドド――。
戦意を盛り上げる帝国の図太い太鼓に合わせ、戦士たちが足踏みをはじめた。城壁から外をのぞきこんだイズマイルの兵たちを一層おびえさせた。
――士気めちゃ下がりじゃん。彼らに交じっていたリリィとフランフランは目を合わせた。
そのときだ。
高く軽妙なドラムと弦楽器のリズムが城内から鳴り響いた。音は帝国の重低音をするすると抜けて誰もの耳に届いた。
――誰だ? 帝国の太鼓も足踏みも止まり、音の出る方向に注目が集まると、パッと城壁の中央に三つ人影があらわれた。
「戦争はね、男だけのものじゃないんだよ!」
中心のすらりとした女性の声が城内にも帝国軍にも響き渡った。
「鈴里姉さんだ!」リリィが叫んだ。
おへそが見える短いタンクトップとフレアのミニスカートの鈴里は両手に鮮やかな赤いボンボンを手にしている。両側には、白虎と玄武がドラムと弦楽器を手にしている。
「おお、あれは海向こうの舞踊、チアガルーじゃないか」フランフランは目をキラキラさせた。
「ワンツースリー!」鈴里が片足を高くあげると、演奏が再開された。今度は城内から歓声が沸き上がった。
「あたいも踊ってくる!」リリィをはじめ、騎士団の女たちが城壁にぴょんと飛び乗った。長い城壁に、ずらりと健康的な女たちが並んだ。
「それ!」
鈴里はバック転をすると下に置いてあったたくさんのポンポンを空中に投げた。すかさず女騎士たちはジャンプして軽々とキャッチした。
「鈴里! 俺にもポンポンをくれ」
図太い声が響いた。
チアの格好で短いフレアスカートから丸太ほどの腿を「生やした」罪だった。城壁に罪があがると、帝国軍にザワザワと不安な声が広がった。罪を知らない若い帝国兵たちは、美しい騎士の軽やかな踊りに魅了されていた。
「準備はいいかい?」
耳に手をあてて鈴里は城内の兵士たちにきくと、「イエーーー」一斉に元気な声があがった。
帝国本陣。遠めがねを覗いていた宰相は神経質に叫んだ。「なんだ、あれは我が軍の士気が下がっているぞ。砲撃でやつらをけちらさんか」投石機から無数の巨石が、女たちが踊る城壁に向かって放たれた。
団長室では、居残ったトキと、団長そしてミーチャイがご神体のダイヤモンドを取り囲んで、声を合わせて術を唱えていた。
「光殻甲守!」
宝石から7色の透明感のある無数の光が天窓から外に飛び出して、はるか上空にまでかけのぼると、ゆっくりとした流れ星のように城全体を包み込んだ。光の網に、投石機から放たれた巨石は次々にぶつかり、城壁に届かずに落下し、最前線の帝国軍を押しつぶした。阿鼻叫喚が広がる。
「す、すごい術」トキはうなった。
「わたしも実際に戦闘で発動するのは初めて」
いつも冷静なミーチャイも目を白黒させている。
「ハハハハ、だがこれも無敵じゃない。帝国も経験済みですからな」ちっとも心配した様子もなく五一団長はいった。
城壁の上ではチアガルーたちの踊りが続いていた。両陣営が異常な高揚の中で戦いが始まろうとしている。
◇
「投石やめえ!」
城壁を遠巻きに取り囲む投石群に指示がまわった。帝国の最後尾の本陣では、征夷大将軍に任じられた宰相が、キンキラの前立てをつけた兜をゆらしながらウロウロした。
「むむむ、どうしたらいいのじゃ」宰相は頭をかきむしった。
――戦知らずのバカ野郎め。かたわらにどかっと座っていたハンニバルは立ち上がると、耳元でささやいた。
「宰相殿。あれは輝石術で作った網です。八年前にもありましたが、隙間はありそうですから、弓矢で射抜くか、肉弾戦しかなさそうだが、いかがかな」
「ワシがいまそれを命じるところじゃったのだ。うるさいぞ、ハンニバル!」
「失礼しました。ではわたくしめも前線へ参ります」猛将は素直に頭を下げた。
――くくく、流星将軍罪ボナパルトの首でもいただきにいくかな。「重騎士団こい!」
「ははあ!」いつの間にか、本陣は黒い馬たちとそれにまたがる屈強な男たちに囲まれていた。「な、なんだ?」宰相はきょろきょろと周りを見渡すと、不釣り合いな大きさの兜が頭から落ちて大きな音をたてた。だが、それに同様する馬たちはいない。
すでにハンニバルの頭の中には宰相のことなどすっかりなかった。
呼び寄せたさらに巨大な黒い馬にまたがると号令をかけた。
「行くぞ!」
「おう!」
◇
――すげーな、無敵じゃん。これってトキたちの術かな。巨石が次々に弾き返されるのを見ながらリリィはクルクル回転して踊り続けた。すると、帝国から数え切れない矢が雨のように降り注いだ。
――また魔法の壁が守ってくれるでしょ。
「リリィ! よけなさい!」鈴里が叫んだ。
リリィはあわてて矢をみると、いくつかは光の網にささったが、ほとんどがすり抜けてきた。回転する勢いをつかって身体を後ろにそらした。一本目の矢が顔の真上を通り抜けた。ひゅっと空気が冷えた感触を肌で感じる。左手をつくとぐいと地面を押して体を真上に飛ばして、足元を狙っていた矢をよけた。体が空中に浮いている。
――まずい。また矢がくる。
「りっちゃん!」
視界の前に黒い影があらわれ、右手にもったサーベルを突き出し、矢を次々に落としていく。
――フランフラン?!
着地して体勢を立て直したリリィは、なんなく矢を避け、ときには素手ではたき落とした。しばらくして一斉射撃がやんだ。頭を左右にふって両側で踊っていた騎士たちをみると、みな楽々といった表情で仁王立ちしている。
「さすが、先輩たち。あたいはやばかった。サンキュー、フランフラン」
「おっ、りっちゃんから褒められるなんて久しぶり」
「だから、りっちゃんって……まあいいか」
「団長の術は、編み目のようになっているから大きいものは通さないけど、人くらいなら通るんだな」
「ということは……」
そのとき、二人をぬっと黒い影が覆った。上から野太い声が響く。二人が首を上に見上げると、青竜刀を肩に担いで、チアガルーの格好をした罪がいた。
「そうだ。白兵戦になる。おまえたちは南の城壁から突き出た真田丸へ向かえ。俺は中央から打って出る」
「ハイ!」
「ところで真田丸って? なんですか?」
「あれだ。見えるか」
「あっ?病院の受け付け塔じゃない」
「そうだ。いざというときは移動するのだ」
「し、しらなかった」
「おれは知って……いなかった」
「じゃあな、二人とも死ぬなよ」
罪は二人が持ち場へと走り出すのを確かめると二十メートルはある城壁を軽々と飛び降りた。下は帝国軍で埋まっている。ぐしゃりと何人かの兵が巨漢の足に押しつぶされた。
立ちこめた煙が晴れる。
「なにものだ? その前になんだ、その格好は、男らしすぎるくせに」帝国の大柄の中隊長が剣を抜いた。「それなりに名のある騎士団のカブキものだろう。名を名乗れ。拙者は帝国軍第十八剣術指南所師範代代理である」
「ふん、このかわいい衣裳が気に入らんのか。師範の代理の代理さんは」罪はぐさっと青竜刀を地面に刺すと、自分の服のエリを両手でつかんで、「ふん」と引きちぎった。のばした拳が突っ込んできた中隊長の顔にぐしゃりとのめり込み、体が吹き飛んだ。
「隊長がこれじゃあ、刀をつかうまでもないな」罪は、生えていた大木に腕をまわすとぐぐぐと力をこめる。「ま、まさか」罪を囲む帝国兵は唖然として見守るしかない。
「ぬううおおおお」大人何人分かの太さの木の根がずるりずるりと地上に現れた。「早く、こいつを射殺せ!」誰かが叫ぶと我にかえった弓兵が矢をつがえた。
百本近い矢が巨体に向かって放たれた。だが、矢は近づくことなく空中でまとめてたった一本の鞭にからめとられた。
すとんと鉄鞭の使い手は着地した。
「この女、さっき城壁の上で踊っていたやつ。こいつもこの高さを飛び降りてきたのか」
「遅いぞ、鈴里」
「ごめん、着替えに時間がかかって。罪みたく服破くなんてできないしね」
「ふん。着替えのことじゃない。立ち直るのが遅いってことだ」
「立ち直ってないさ。でも総司に託された騎士団を守らなきゃ、あいつにあの世で顔みせできないじゃん」
「そうだな」
「それより、遅いのは罪、あなたよ。早くしなさいよ」
「おお、忘れていた」
ずぼんと音がすると、罪は大木を引き抜いた。鉄鞭と巨木のどう猛な振り回す二人の勢いにまきこまれた帝国兵が次々に吹き飛ばされ、倒れていった。
「罪といったぞ?あの罪か?」「む、むりだ」「怪物だ」一人二人と不安な声が広がると、中隊長を失った軍勢は総崩れになって、次々に逃げ始めた。
「ガハハ、おとなしく籠城してくれると思ったか。中央門、開門!」ガラガラと音がして、門があくと一万人近い兵たちが武器を手にいまやいまやと待ちかまえていた。騎士団は兵を分散させず、両翼の城壁は少数で防備、残りのほとんどを中央突破にあてる作戦だった。「お楽しみはこれからだぜ。皇帝さんよ、父子そろって料理させていただくぜ」
◇
真田丸は、敵の真ん中に突き出た岬のような城の一部だった。こちらからの攻撃も効果的にあたる。とくに城壁に向かって進もうとすると、真田丸に側面を見せることになるので、ねらい打ちされてしまうのだ。帝国の第三軍の司令官は、まず真田丸の鎮圧に全力を尽くすよう方針転換した。敵と味方の矢が飛び交う中、ようやくリリィとフランフランの二人は、真田丸にたどり着いた。
「土方愚連隊のリリィとフランフラン着任しました。こちらの隊長はどなたですか」
背後から、とんとんと指でリリィの肩を叩いた。「よんだ?」達人である二人だがまったく気配を感じなかった。
「あれ? この声は」
「キルキル隊長?」二人が振り返ると、顔の半分だけ面をつけ、青いマントをひるがえした男が立っていた。
「当たり~」
二人はしばらく無言で目を合わせた。三人とも黙っている空気に耐えきれずリリィが口を開いた。
「あたい初めて姿みたよ。なんというか。いつもそんな服装だったんですか」
「青い彗星と呼んでください」
「なにそれ? でもそんな感じね」
「それはともかく、作戦をお伝えします。ここはいずれ落ちます」
「えっ……・」二人は絶句した。
「最初から、そういう場所なのです、ですが、退却戦は非常に難しい」
――最後まで残るのが、あたいたち騎士ってわけね。
心を読んだかのようにキルキルはうなずいた。「その時が来るまでは、上から弓でも石でもお湯でもパンツでも、ぐふふ、投げるだけですから楽ですよ~」
「相変わらずだな、キルキル隊長」
「よし行こうぜ、りっちゃん」
「わかった! じゃない。なんで、いつの間にりっちゃんって言ったんだよ」




